【最強のライフハック】義務をどんどん捨てれば人生はどんどん楽になる!




Twitterで気づきのつぶやきやってます→

2021年06月25日~:
現在メンタルヘルス系過去記事を順次全書き直し中です。
上記年月よりも古い記事は順次修正予定記事になります。

全ての義務を捨ててしまおう!

嫌われちゃいけない。勝手しちゃいけない

勉強しなきゃいけない。仕事しなきゃいけない。

そんな全部の義務を捨ててしまっていいんだ。

「えぇ?本当に?そんなことして大丈夫なの?」

「仕事しなくていいってか?それじゃ生活できなくなるじゃないか!仕事で失敗したらどうするんだ?嫌われたらどうするんだよ?」

そう思われた方もいるかもしれない。でも大丈夫。それでも義務はいらないということは何も変わらない。本当に全部いらない。

何かに対する義務感、義務の思い込み。他人から抑圧されているかのように感じる、自分の意志に反して無理やりやらされているよいうような意識。

これがいらない。自分の頭の中にある「しなきゃ」という考え方のこと、およびその気持ち。

本当にこれ、全部いらないんだ。

自分の心と現実の世界は少しも関係ない

「いやいやでもやらなきゃいけないことをやらんでいいと考えるなんておかしいじゃないか?」と思うかもしれない。

いやいや、それでも本当にそんなことはないのですよ。その”しなきゃ”、”やらなきゃ”がいらんのです。

「やらなきゃ」ととらえようが、「やる」ととらえようが、実態は何も変わらんので。

ではここで一例を

自分がショッピング中にある店で赤い色をした服をみたとしよう。

そしてあなたはそれを赤い色をした服とはあえて思わず、「あれは青い服だ」と思おうとしたとしよう。

さて何が起こるだろうか?

答え:何も起きない

当然だよね。だって赤い服は赤い服なんだから。

自分が青だと思おうが、黄色だと思おうが、赤い服は赤い服。それが変わることなんてない。

現実に存在する赤い服というものが、自分が「いやいやそうではない、青い服だ」と思ったところで、途端に青い服に変わることなんてないんだ。

現実という物理的に存在する何かと、自分がそれをどう見るのか、どう思うのかという自分の頭の中の思考は何も関係がない。一切なにも影響を与えない。

あえて言うなら、現実の物理的な現象をもとにして自分が影響を受けることはある。でもその反対はない。

つまり、自分が現実の何かに対してどう考えていようが、どうイメージしようが、どのような捉え方をしていようが、現実は少しも動かない、変わらない、ということなんだ。

それは義務感にも同じことが言えるということなんだよ。いくら自分が仕事や勉強にたいしてどれだけ義務感を背負って「やらなきゃいないこと」にしようが、その目の前の仕事自体や勉強自体は少しだって変わることはないんだ。

自分が何かに対して義務感を持とうが持たまいがその何かには何も関係がない

自分が「これは死んでもやらなきゃいけない」と思ってやろうが、やろまいが、その思考自体が目の前のある何かに影響を与えることはない

「いやいや、どういう心構えでやるかが大事で、それで結果は変わってくるじゃないか?」

ホントウニィ~?

ではここでぶしつけながら質問を。

実際、それで本当に変わっただろうか?

自分に重たい義務を背負わせ、「やらされている」という意識をもって挑んだ結果、

一体それはどうなった?自分はどうなった?

それは自分が期待した形になっただろうか?

うまくいった?思ったように事が運んだ?面白かった?気分は良かった?順風満帆だった?

多分、そうじゃなかったことが多かったんじゃないだろうか?

苦しいことばかりつらいことばかり、なんで自分がこんな目に、なんてことがたくさんあったのでは?

思い通りになったことなんて多くはなかったのではないかな?

ただただ抑圧感の中でずっと義務を背負って苦しい思いをしてきて、こんだけ苦しい思いをして頑張ったのに、失敗した、うまくいかなかった。あんまりだ、理不尽だ。

そんな経験の方が多かったりするんじゃないかな?

だとしたら、その義務感をもって何かに臨むということは果たして自分にとって本当に必要なことだったのかな

いくら自分が必要な心構えだといってそれをもって何かに取り組んだとしても、それで必ず自分の思い通りに事が進んだり、これから先に待ち構える結果が保証されたりするわけじゃない。

でもそれで苦しみ、心身共に削られるという結果だけは確実に自分自身に残る。

だったらいらないんじゃないかな?義務感なんて。

義務感なんて持たずに気楽にやった方が、むしろずっとうまくいくかもしれないし。

何より気楽なのは間違いないわけだし、精神的苦痛からは解放されるんだしさ。だったらむしろそっちの方が”プラス”なんじゃないのかな?

義務感を「持ちたい」と思って持つならいい。「持たなきゃいけない」と思ってもつのはやめた方がいい。

なぜなら前者は、義務感を持つことで何かを自分が「達成したい」と思っているから。

自分軸だから。自分がそれをやりたい。自分がそれを達成したい。そのために義務という考え方、あり方を使っている。

他人にやらされているからとか、そう決まっているから仕方がなくという消極的な理由でやってはいないから。この場合の義務感は自分を鼓舞したり、集中力を高めたりしてくれるし、やる気もでる。

これならとても気持ちがいいものだと思うし、きっとどんな結果になってもへこたれたりもしない。

ほかにも例として、公園で子供の面倒を見る親が子供を注意深く見守ろうとするのはなぜかというと、子供が道路に突然飛び出したり、ふらふらどこかに行ってしまうことが親にとって嫌なことだから。

子供を自分が「見守りたい」と思っているから見守る。そこには心配という不安感が多少あったとしても、それは「やらされている」といった抑圧感のようなものはないはず。無理やりやらされているというような意識でやっているというような息苦しさはないはずだ

同じ義務感でも、それが自分軸か他人軸かで全然違ってくる。自分軸であれば持っていても問題ないけど、他人軸の場合は大問題だ。

生きづらさが増すだけ。ずっとつらいだけだ。

だったらやっぱりいらないんじゃないかな?そんなもの。

消極的な義務感を捨てて捨てて捨てまくるのだ!!

だからどんどん捨てていこう。自分の足を引っ張るだけ。自分を不幸にしていくだけのそんな義務感は。

そして捨てれば捨てるほど、どんどん気持ちが楽になっていくはず。そして全部捨てきれれば、そんな抑圧感はもうどこかにいってしまっているはずだ。

そうすると「しなきゃいけない」でやっていたことが、自然と自分の「したいこと」に変わったりもするんだ。

「仕事しなきゃ」だったのが「仕事したい」になる。誰かにやらされているという義務感を捨てて、他人に対する期待を全部捨てきると、

結果他人の都合の全てがどうでもよくなって、自分のしたいという本来の自分の気持ちが芽生えてくるから。

本来、しなきゃ、というのは自然的な感情でも欲求でもないんだ。抑圧された環境の中で生きるためだと思って仕方がなく身に着けた考え方に過ぎない。

そんな考え方はいらなかったんだ。それさえなければ、大抵のことは自分のやりたいことに代わってしまうんだよ。



もし参考になったらシェアお願いします!

自己紹介

Name : Elepan

元うつ病患者 (闘病歴10年)

約10年間のうつ病の体験と、独学で立ち直ったことや、実施した治療法について書いています。一人でも誰かの役に立つ情報になりますように… その他にも遊んだゲームの情報、世の中のおかしいと思うことなどについて考えたことを色々まとめています。

 

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)