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絵はうまく描けないと面白くないもの?
もしうまく描けることが絵の面白さだったとしたら、それはうまく描けない限り永遠に楽しむことはできないからずっと我慢しないといけないってことになる。
となると、世の中に存在するすべての”下手の絵”を描いている人は皆一様に苦痛の中耐えて絵を描いていることになってしまうんだけど、本当にそうなんだろうか?
ずっとそんなことを私自身考えていた。頭の中の理想のお絵描きさんに対して自問自答していたんだ。
私「お絵描きさんお絵描きさん、なんで絵描くのはつまらないのですか?」
お絵描きさん「お前がくそつまらんやつだからでちゅー」
我「くそったれっっっっ!!!!!!!1!!」
幼い子は楽しそうに描いているみたいだけど?
あぁ取り乱した…言いえて妙だぜくそっ(自惚れと自虐
はてはて冗談はほどほどに、生まれて間もないちっちゃい子がクレヨンを握って夢中で絵を描いているのをみたことは?
好きなようにいろんなクレヨンを使って、その時に描きたいと思ったことを直感で描いている。それも実に楽しそうに。
キャッキャ笑いながら書いたり、食い入るように真剣なまなざしでクレヨンをぐりぐりしながら描いていたり。それがどんな絵であろうと、あの子たちは本当に夢中で、周りのことなんか全然気にせず描いてる。
そんなあの子たちが、苦痛の中で我慢しながら絵を描いているとは到底思えない。きっと楽しく描いているはずだ。
幼い子は何が楽しくて絵を描くんだろう?
幼い子供たちは絵に限った話ではなく、もっと単純に目の前のことを楽しんでいる。大人にとっては当たり前でつまらないと感じることでもキャッキャと笑いながらその視線はその面白いものにくぎ付け。
ではその楽しんでいる目の前のことはなんなのかというと、好奇心を揺さぶる何かであると思う。あの子たちがまだ知らない、初めて目にする何か。初めて感じる何か。そういう未知の何かだ。
誰かと追いかけっこしたり、ペットと一緒に走り回ったり、ボール遊びをしたり
そんな風に、自分がその時にあるものの中から自分がみたいとかやろうとか思ったものをることじたいが、あの子たちが何かを面白いと思っているコアだと思うのです。
そしてそのコアは、大人になってもそれほど変わりはしないと思うんだ。
漫画はなぜ面白いのか?
日本ではすでに当然といえるまでに当たり前の存在である漫画。なぜ漫画は多くの人から愛され大事にされ、
何より、面白いと思われているのか。
それは漫画が、何らかの自分の好奇心を満たしてくれるからだと思う。自分ではない他人が書いた物語は自分にとっては全くの未知のもの。その未知を追いかけているのが面白いからなんだ。
つまり漫画の面白さとは、未知に対する好奇心をもってそれを追いかけること。未知の何かを追いかけて楽しみにしながら追い続けていることが面白いんだ。
面白い漫画っていうのは皆、現在進行形で連載中のものか、自分がまだ読んでいる途中の漫画だけだ。すでに読み終わった漫画もいつ見ても面白い、というのはあるけれど、知的好奇心を満たすという意味ではそれらにかなうことはない。
続きを読みたいから、続きが知りたいから漫画は面白い。
漫画を読み終えるために漫画を読んでなんかいない。むしろ読み終えるのがもったいないくらいで、その過程の漫画を読み進めて内容を知ることが楽しいから読んでいるはずだ。
絵も漫画と同じ
これは絵を描くことにも同じことが言える。漫画を読んでいる時に欲している続きが読みたいという欲求、つまり未知への探求、追及は、絵を描くという行為にも当てはまるってことなんだ。
自分が何かを試しに描いてみると、そこには何らかの絵が少し描きあがる。たとえ線一本でも、確かにそこには何らかの絵が描きあがる。それを繰り返す。一筆一筆、いや一ストローク一ストロークかな、最近は。それを繰り返して本当に少しずつのペースで描かれていく。
その自分が描く絵を自分が描くことで追っていくこと。それが絵を描くことの面白さなんじゃないかと思うんだ。
絵を描くのがつまらないと感じるのは多分、自分が描いているそれを「うまくかけない」と否定して、拒絶してしまっているからつまらないと感じているだけ。結果ばかりみて楽しもうとしていないからなんだ。
何も否定せずに受け入れてみるんだ。現実の自分の絵を、卑下もせず褒めもせず。「絵を描き上げたい」という結果に対する執着を手放して、楽しむんだよ。
次に自分が書く線が楽しみ
絵を描くという作業を具体的に言葉にしていうと、描きたいものをペンなどの描くものを使って、何かに何回も「線を引く」こと、である。
つまり線を引くことの連続の中に絵を描くという追及の行為そのものがあるということ。
次はどんな線を引いてみようか。こう引いたらどうみえる?このブラシでこう引いてみるのはどうだ?今度は色を混ぜて引いてみようか。
そんな風に、線を引いてその結果を確かめて、また線を引いてその結果を確かめて…その繰り返し、振り返りそのものが自分の絵の追及そのもので、好奇心をくすぐる何かなんだ。
絵は最初から自分が描きたいとイメージしたものを寸法違わず迷いもなく描くもの、なんてものじゃない。実際は調整と試行錯誤の連続で、線を何度もひいては試し、構図を確かめながら違和感や好奇心に気づいていきながら何度も引き直し続けて完成していくもの。
その”ズレ”、自分のイメージと現実に描かれた絵のズレを直そうと試み続けること。線を引いて、あぁでもないこうでもない、こうしてみたらどうなる、とズレを見ながら次のズレを追いかけていく。
それが絵の面白さ。絵を描く行為の面白さ。
その繰り返し。線を引いてズレを追いかけ続けていくことが絵の面白さなんだ。
誰かの評価よりも絵を描く行為を楽しもう
絵をうまく描けると面白い、っていうのはちょっとしたニアミスなのかもしれない。本当に面白いのは、描く過程の中で感じる探求心、好奇心、自分が次に描く線でさらに良く描こうとする欲求と、それに対する探究心なんだ。
「〇〇な絵を描きたい」っていう目的や目標は、絵を描くことを楽しむための口実みたいなもの。漫画を読み終えるために漫画を読んでいるのではないことと同じで、絵を描き上げるために絵を描いているのではなく、描き上げるまでの絵を描くという行為の追及こそが面白いからなんだ。
最終的にうまくかけた、理想通りにかけたという結果もその中の一つでしかない、いや、その探求心の中で見つかった何らかの未知の描けた結果を「上手い絵だ」と自分が名付けているだけといった方がいいのかもしれない。
その名付けた何か自体に面白さがあるんじゃなくて、その名づけた何かに到達するまでに味わう様々な経験や発見が面白い。
それが絵を描くという行為に対する人の知的好奇心で、探求心で、面白さのコアなんじゃないかと私は思うんだ。
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