「やってくれて当たり前」?長男とは結婚するなという風潮がある理由




もちろん全てのご家庭の長男がそうなるわけでは決してないのと思うのですが、平均的な日本の家庭においては、長男というのは良くも悪くも一番親に大事にされがちだとおもいます。

それも、特に母親からですね。

長男と聞くと結婚をためらわれる女性もいると思うんですが、その理由はそういうことから来ているんじゃないかと思います。

母親からいろんな意味で最も世話を焼かれやすく、かわいいからなのかなんなのか、いわゆる「過保護」に育てられがちです。

私は長男なんですが、そんなケースに陥った人間の一人です。私の母はいわゆる毒親で、私に対して支配的かつ過保護な人でした。とにかく母自身の思い通りに私をしないと気が済まない人で、何でも言うことを聞かせようといつも鬼のような権幕で怒鳴り散らしてきたり、何でもかんでも先回りして部屋の掃除から選択など、勝手に自分の私の身の回りの世話や身支度をしてしまったりと、まるで私を人形か何かかのように扱っているかのような側面もある2面性を持った人でしたね。事あるごとに「あんたはダメな子なんだから」と何度言われたかわかりません。今思えば多分あれは「私がいないとあんたはダメな子なんだから」だったんだろうなぁと思っています。

そんな母から受けた“様々な余計なお世話”な教育によって、自分で自分のことを決めて好きなことを考えて行動することを経験する機会を奪われ続け、私もなんだかんだそれに甘んじてそれにすがり、従ってしまっていたがために機会を逃し経験せず、結果自分や自分のすることに自信がもてず、自分の身のまわりの世話すら自分でできない、誰かに世話してもらわなければ何もできない甘ったれな人間になってしまったわけですね。

単なる無力なマザコン男だっただけなのかもしれませんが、そんな自分の癖を直していく中で、「これって多分日本の長男にある程度当てはまる傾向なんじゃないか」と思い当たったため、いかに私が陥っていた特徴をもとに、それをまとめてみました。

やってくれて当たり前の考え方が生み出す癖

相手から動いてくれて当たり前。相手が自分に都合が良くて当たり前

基本的に受け身で、何事も相手から提案されることを待つ姿勢。自分から提案をしたりすることはなく、ただ相手の提案を受けて、自分が気に入るか気に入らないか、気に入れば了承して、気にいらなければ拒否。

自分の意志がいつも朧気ではっきりとせずころころ気が変わりがちで、それも自信がないためにいつも周りを気にして意識が注意散漫であるからで、いつも何か良くないことがおこっているのではないか、おこるのではないかと、そればかりに注意をこらしてしまいます。なのでこちらが何かを提案しても「でも〇〇だし」とか「いや〇〇だからダメでしょ」とかダメ出しばかりします。

しかも、そんな自分をどこか「わかっている人間」であるかのように思い込んでもいて、それを用いて他人を否定し、それができないように見える人を見下していたりもすることもあります。

場合によっては自分のやってる他人に対するやっかみでしかないそれを「指摘してやってるんだ」「哲学だ」とか言ってることもあるかもしれません。しかしそんな自信がない自分を守るための理論武装をこちらへの指摘や哲学だというのなら、そんなもの必要ですらありません。

単に自分に自信がないばかりに他人のやることに武装をしてまで嫉妬しているだけなんです。

とにかく、他人を自分の思い通りに動いてくれることを期待して、その通りに動いて当たり前だと思っているわけです。

結婚すると奥さんを自分の母親の延長としてみてしまう

そんな人が仮に結婚をすると奥さんに精神的に依存してしまうと思います。もちろん本人にそんな自覚はないでしょうし、親から大切に世話されてきたために「俺は特別なんだ」という妙なプライドももちあわせていると思うので、そんな自分を認めようとも気づこうとも思えないんじゃないかと思います。

なんでもやってもらおうとしますしそれが当たり前の感覚で、しかしそんな見栄っ張りな自身の精神性である反面やはり自分に自信がなく、自分から家事をしたりすることが精神的にできないのです。

「手伝ってよ」といっても曖昧な返事しか返ってこなかったりします。

先ほどの「自分で提案できない」という精神性と同じものです。家事というのは自ら予定を立てて段取りを考えながらこなしていくものだと思いますが、すべて母親にやってもらっているケースの場合、そのような経験をしてこなかった上に自分のやり方を否定され続けているために、自分で家事をしようとしても精神的苦痛を感じてしまうので、生理的にできないのです。

それを本人は「めんどくさい」とか「自分には向いていないから」と表現しているかもしれませんが、そんな自意識の根本にある「家事をやりたくない理由」とは、「自分の家事を否定されるかもしれないという恐怖心」から来ているわけで、一種のコンプレックスなわけです。

失敗するかもしれない。うまくいかないかもしれない。それで自分を否定されるのが怖いんです。

「あんたには無理」「頼まなきゃよかった」

母親からそんなことを言われ続けてきてネガティブ思考になっており、自分が何をしてもうまくいかないと思い込んでいて、とりわけ家事については母親にずっと否定され達成できなかったことをやることになるためにより一層精神的苦痛が強く、かつ怖いわけです。

そして、そんな母親にされてきたいろんなことを、奥さんからもされるだろうということを無意識的に考えてしまう、感じてしまう。

そのようにして、今度は奥さんに母親のそれを重ねて、「俺にはできないから全部やってくれるよね」と依存するわけです。

否定癖がつく

冒頭でも少し上げているのですが、何事においても否定的です。これは、別に本人が賢いわけでも何でもなく、単に自分に自信がないことからくる一種の反応です。

「とりあえずやってみよう」ということが出来ない精神性なわけで、前向きな姿勢をほとんど持ち合わせていないためにある姿勢です。

なので他人の何かを否定するだけで自分から何かを提案することが生理的にできないのです。自分から行動することができない。

今週末旅行にいかないか、とかいつどこに遊びに行こう、とか具体的な計画をして誘うことが出来ません。実際、全くあちらから何か提案をしてきたことってほとんどないのではないでしょうか?いつもこちらか提案しないとことが始まらないとか。

そして代わりに自己否定癖ばかりが強烈についているから、他人のやることなすことに一々細かくねちねちと否定することばかりになります。他人や自分のすることにたいして多角的に否定できる、ネガティブにみる能力が伸びていくわけですね。

他人は自分の鏡ですから、他人を否定的にみているということは、自分のことも否定的にみている証拠なんです。つまりそれだけ否定的な視点と観点と感覚、認知ばかりは大量に持ち合わせていて、それだけ自分を否定しているわけです。

その反対に自分から提案すること、何かをやってみようとする観点、能動的な行動の経験値はほぼゼロなんですよ。それをやるのがやはり生理的に無理なんです。

別に賢くも何でもない、言ってしまえばヘタレすぎていろんな悪いことばかりが浮かんでくるだけの人です。

でも当人は、多分そんな自分のことを賢い、わかっていると思い込んでいる。だから余計に始末に負えないわけですよね。

どうやったら治せる?

本人の意識と意思の問題なので、正直なところこちら、つまり他人がどうこういってもどうにもならない気もします。

が、まず手始めとしては本人が自分がそんな「殿様」でも「王様」でも「主」でも「知者」でもないことに気づくことからでしょうか。

過保護な世界で生きてきたわけですから、「自分は常に他人から与えられるべき存在だ」と勘違いしているところがあります。どこか自分を優れている存在だと思ってもいるかもしれません。

ゆえに、彼らは(というか昔の私は)自分自身が特別な存在であると錯覚しているので、そんな特別な自分の考えていることが正しい、だから他人が自分の思い通りに動いて当たり前、みたいな世界観を持っています。でも現実の世界というのは、そんな自分の思い通りになるようになってませんし、他人は自分のためになんて生きていませんよね。

自分の思い通りには動かない。みな自分と同じようにそれぞれの都合あって、それぞれの当人のために生きている。そんな中でそんな風にふんぞり返っていたらみんな離れていくだけだ、ということに気づくことでしょうかね。

それから本人が自らの認知の歪みを修正し、自分で決めて自分で生きるという生き方を身に着けていけば治ると思います。

ただ何れにしてもそれにはとてつもない根気と時間が必要になります。そんな自身の歪みを修正していくのは今までしてきたいろんな思い込みを解消する必要もありますし、子供のころから植え付けてきた様々な自己否定の癖を捨てていって、自己肯定感を身に着ける作業が必要になります。

そもそも本人がそれを問題視し変わろうとしない限りは無理な話です。私は自分の意志をもって自分を変えてきた人間ですが、そんな人間でも5年以上の月日を要してようやく、という感じなので、本人が自ら気づこうと思うのならともかく、他人から本人に気づいてもらおうとすればそれはそれ以上の相当な時間がかかるか、一生かかっても不可能かもしれません。

というか基本的にはやはりそうでしょう。人に他人を変えることはできないので、現実的に可能なことはその人と付き合うことをあらためるか、あきらめて受け入れるか、というような話になってきます。

とはいえ、何もしないよりはなにかしてみてからでもいいかもしれません。とりあえずやってみてダメだったら別れるかあきらめる、くらいなことだったらできることはあるかもしれませんね。

① 現実を突きつける

人が変わるのは、自分が抱いていた現実に対する自身の認知、つまりは自分の思っている理想的な世界である「自分の思い通りに他人が動く世界」がそうではなかったということに気づく何かがあった時です。

それも、根本的に気づくような強烈な何かである必要があるでしょう。

例えば私の場合は、会社の人からいじめを受けて、会社の人ほぼ全員から白い目で見られ、村八分にされたという経験がとても大きかったと思います。これがなかったら自分を変えようだなんて思えなかったかもしれません。

人は痛みや恐怖には敏感です。そういった刺激を与える機会、現実を感覚に響く形で突きつけることができれば、自分のそんな世界観を考え直すきっかけにはなるかもしれません。

② 自分で自分のことをやってもらう

なんだかんだ言いながら本人の世話をしてしまっている自分がいるのだとしたら、それもそんな本人の性格をのさばらせてしまっている要因の一つかもしれません。

自分のことは自分でやる。それを一度徹底してみるといいかもしれません。家庭内の家事も自分の洗濯物は自分で洗って干して取り込んでたたむとか、とにかく自分で自分のことをやる機会をつくるのもいいかもしれません。

③ 話し合う

なんだかんだ一番これが効果があるのかもしれません。

何かを一方的に押し付けても相手は拒絶するだけかもしれませんし、多分嫌な気分になって仲が悪くなるだけなるかもしれません。

そのような衝突や軋轢を避けるためにも、まずはお互いの思っていること、してほしいことやしてほしくないことといったことを話し合うわけです。

基本的にやはり人は変えることはできません。それに期待してしまったら多分不幸になるだけ。

だからその中でできることとして、自分と相手がすること、してほしいこと、してほしくないことを言葉を使ってはっきりと情報交換して約束事をするんです。それで互いの関係性の中でやることやらないことをきっちり決めていきます。

後はその通りに行動して生活できるようになっていけば不満は減っていくのではないかと思います

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とまあこんな感じでしょうか。読み返してみると、長男に限らず受け身な人ならほとんど当てはまる内容だったかもしれませんね。

冒頭でも書いていますが長男といってもいろんな人がいるのでこれはほんの一ケースに過ぎない話です。結局はみな違いますし、長男である以前に個人は個人、その人はその人です。何れにせよ今後いい関係を継続していきたいなら、向き合って話しあうことが大切なことかなと思います。



自己紹介

Name : Elepan

元うつ病患者 (闘病歴10年)

約10年間うつ病でしたが、多くの自分の歪んだ思い込みに気づきそれを捨てることで独学で立ち直りました。その「気づき」の記事を本ブログにて日々更新中です。
一人でも誰かの役に立つ情報になりますように… その他にも遊んだゲームの情報、世の中のことで疑問に思うことなどなどについて考えたことを色々まとめています。

 

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