最近はいろいろとウクライナ情勢で持ち切りな世の中ですが、少しニュースや動画サイトを除くと滝のように流れるウクライナ、ロシアのニュース、特にロシアが国内でやっているプロパガンダのニュースを見ていると、一体何が何やらいろんなところからいろんな情報が飛び交っていて何が何だかよくわからないですよね。
戦争を始めたプーチンが一体何が目的で戦争をしているのか。プーチンは独裁者で残虐非道な恐ろしい人物か。事の詳細を知りたいと思いまずはその文脈からとWikipediaでロシアとウクライナの歴史を調べたりしていたのですが、結局よっくわからず。クリミナ危機やウクライナの政権騒動、2021年の3月からの軍事的緊張が両国間で強くなったなど様々なことがあったようですが、それが今の戦争に直接結びつくというのにはどこか不足感あるように思いました。
ただの一般人にすぎない私個人の物差しにすぎませんが、こんな戦争を仕掛けても経済的にメリットなんてなさそうですし、かつ国際社会を敵に回す理由を作ってしまうわけでデメリットの方が大きいようにしかみえません。
どう考えても損しかしないように見えるんですよね。
しかし最近のニュース、特にロシアの国民に対するプロパガンダや制裁、統制のやり口を見ていて、なんとなくそれが見えてきたような気がしてきました。
私は専門家でも何でもないただの素人にすぎませんので、何一つ確かなことは言えないのですが、戦争というか人と争いごとをしようとする人の心理って多分その相手、もしくは別の何かに対する恐怖が原動力なんじゃないかなぁと思うのです。その点において自分の人生経験上大いに思うところがあり、それについても交えながら書きたいと思いましたので、今現時点での考えを書いてみたいと思います。
目次
独裁者はどうやって独裁者になるんだろう?
プーチンはおそらく独裁者であると思うのですが、そもそも独裁者って内閣総理大臣や大統領のようにあらかじめ用意された席に座る誰かが選ばれてなる、っていうものではないと思うんですよね。
その当人の積み重ねと政治のやり方によって「あいつはひどい独裁者だ!」と周りから呼称される俗称です。それは考えてみれば当然で、独裁者なんて役職はないですから。
つまり独裁者になる、というのはある日突然誰かに任命されたり選挙に選ばれて即座に独裁者になるというわけではなくて、その人が独裁者と呼ばれるようになるまでの過程、独裁者と呼ばれるようなことをやってきた結果であるといえると思います。
つまり、時間も労力もかかるんです。
用意周到な政治的な根回し、恫喝、脅迫、を用いた他者支配の積み重ねを幾度も、何人にも繰り返し、その積み重ねによって恐怖政治がつくられ独裁政治というう政治体制、国の価値観や文化が整う、と思うのです。長年にわたって培われた政治形態で今もそれが実効支配できているということは、そこにはその政治を肯定して順応した国民の価値感や思い込み、習慣があるということでもあり、独裁者単独というよりもその国全体の在り方なんじゃないかと思います。
独裁者に必要なもの
独裁者にとって最も必要なものは一つ、権力だけだと思います。力を持つ人や何か、組織を味方につけ、その味方に二度と自分に逆らうことのないように決定的な弱みを握って恐怖で掌握し、長きにわたり支配することができているかどうかなんじゃないかと思います。
多くの人を支配し従順な味方に洗脳し、誰しもがその人に逆らうことが出来なくなったとき、独裁者は完成するんじゃないかと思います。
その道中で少しでも相手に気を許したり同情などしてしまえば、独裁者になることはできないと思います。なぜなら、その隙をつかれて自身の反体制の誰かに失脚させられたり追放されたり、最悪殺されてしまうでしょうから。あるいは自分と同じ椅子を狙っている別の競合相手に出し抜かれる可能性だってあります。
それがある程度真実に近いとするとプーチンはそんな壮絶なサバイバルの中で生き残ってきた猛者ということになりますが、KGB(そしてその後継機関のFSB)という諜報機関組織の人間なので、それはもう人をだますことが日常、欺き欺かれを繰り返して生き抜いてきたのではないかと思います。つまり他者は全てだまし、逆手に取る標的であり、常日頃からその隙を常に伺って生きているという生き方をしている人、ということになってきます。
そんな人が独裁者になって国を掌握しているのだとしたら、その国の模様は想像しやすい。弱みを握られ命を握られ、誰一人彼に逆らえない、いつどんな時にどんな形で聞き耳をたてられているかわからない。そんな空気感が充満しているのではないでしょうか。
独裁者は「あるものに」最も恐れを抱いている
そんな恐ろしい人であっても、実際のところ当人は、実はあるものをずっと恐れながら生きている人ではないかと思います。
それはその支配をしている自国民そのものなんじゃないかと思うのです。
独裁者が独裁者たりえているのは、やはり国民に依るからです。国民が独裁者を恐れる、という形の支持をしているから独裁者は独裁者でいられる。独裁者は他者を支配することで成り立っているわけで、逆算的には自身はその国民に依存しているのです。いわゆる共依存の関係ですね。
そもそも別に独裁者に特殊な能力があるわけでも、超人的な力があるわけでもありません。神様や超人でもなく、ただの一人の人間にすぎない。もちろん育った環境ややってきたことによる個人差はあるでしょうが、それがどんな強い個体の人間でも所詮は一人の人間にすぎません。徒党を組まれれたり、道具を使われてしまえば勝てなくなります。
素手で機関銃を装備した兵隊に勝てる人間はフィクションの中にしかいません。権力や財力もその実態は国民一人一人の力の集まりであり、やはり独裁者自身の力じゃない。それを恐怖によって動かすことが出来るという信用をもっているというだけ。
自身に「屈して付き従おうとする他者」が大勢いるということ。それが独裁政権における権力があるということなんじゃないかと思います。そこには健全な関係はなくて、意見も文句も言う余地はない。みな独裁者の下す決定、制裁が怖いし、常にびくびくしながら独裁者を怒らせないことだけを考えて接している。独裁者を慕うもの同士ですら互いが独裁者に異を唱えるものであるかどうかを監視しあうような関係性になってしまうのではないかと思います。
しかしそれでも変わらない事実は、独裁者自身はただの人にすぎないということ。それに従う人に指示されているからこそということは変わらない。
独裁者を独裁者たらしめるものは当人ではなくそれを支持している国民達であることは変わらない。独裁者自身の側近に始まり、その側近たちについている部下、そうして構成されている組織を支持している国民たちもみなそうです。
どんな独裁者もそんな他人達の力がなければ戦争なんてできない。ホロコーストを起こしたヒトラーですら、もし彼一人しかいなかったので当然できず、せいぜい殴り合いの喧嘩しかできなかったはずです。彼を支持し、あるいは屈服しておとなしくついていったほかの人間の存在が大勢いたから彼は戦争もホロコーストも実行できた。それだけのことです。
独裁者とはその印象とは反対に実質的に国民に完全に依存している脆弱な存在なんじゃないかと思います。仮に国民が総出でクーデーターを起こすなんてことが起きれば一瞬で転覆してしまう脆い存在、弱く無力な一人の人間でしかありません。
故の国内に対する粛正行為、プロパガンダ
だから独裁者は国民がその本質に気づくこと、屈服することをやめてしまうことを最も恐れているんじゃないかと思います。国民は独裁者当人に特別な力があるかのように、半ば神か何かのように崇拝しているでしょうから。それを利用している関係だと思います。だからこそそのようなことがおこらないように、そこに一番気を使っているし、独裁者の政治の軸は常にそこにあるように見えます。
ロシアのプロパガンダの性質はここに特に現れていて、皆自国民に向けたものばかり。自国民を恐怖であおり洗脳しようとすることに最も金と時間を使っているように見えます。盛大なセレモニーも軍事パレードも他国への戦争も全て国民に対するアピール、扇動、情報統制。それに惜しみなく費用をぼんぼん使う。
最近は側近の粛正などもやっているようですが、誰を粛正するかはそこまで問題ではないのではないかと思います。逆らえば同じように粛正されるのだという恐怖を周りに植え付けるためではないかと思います。
継続的に洗脳、支配活動を行っているのは、そうしないと国民は忘れてしまうから。国民は自分に支配されているのだと思い込ませ続けていなければならない。
独裁者にとって自身の支配力が弱まること、つまり自分に恐れおののき屈服する人が減ることは何としても避けたい最優先事項。
だからあれだけ豪勢に、飽きもせず繰り返しやるのだと思います。
洗脳するための情報の質自体も別になんでもよくて、体よくわかりやすく信じやすい情報なら何でもいい、そんな印象です。それが全く裏の取れない情報であったとしてもインターネットを制限して外からの情報を制限し、内々ででっち上げれば済むことです。
独裁政治での簡単な国民の洗脳の仕方
最も簡単なのは自国の外に敵がいると信じ込ませることだと思います。国外からの情報を遮断して国民がすぐに納得できるような、かつ確かめることが難しく飛びつくことですぐ安心できるようなわかりやすい受け入れやすいなにかででっちあげればいいだけです。
例えば、自分たちの生活や何かの不満は国外の何かのせいだとすることだと情報を作って流せばいい。
自分の感じている不満を何かのせいにするのはものすごく楽に感じます。「自分は何も悪くないんだ」と、自分を正当化できると思い込むことが出来、安心できると思い込めるからです。最もこれは、続ければ続けるほど後戻りができなくなるくらいに自分の人生を台無しにする悪い習慣なわけですが、それはここでは置いておくとして、人間は楽なことが好きですから現状の自身の人生を楽に安心にできるように感じる何かがそこにあるなら、そこに飛びつくわけです。
「あの国はナチズムに占拠されている!だからそこに住む哀れな同胞を解放するために我々は戦わなければならない!」というのが通ったりするのは、そういうところにあるんだと思います。ナチズムは“誰しもが納得しやすい悪”として非常に説得力のある仮想敵であり、それが“他国にいる”、というのはまさに情報統制の相乗効果としてまさに絶妙なコンビネーションだと思います。
如何に国民を情報統制し洗脳し、自分たちは悪ではなく、他国が悪なのだと国民を納得するように仕向けること。どこかの国が悪魔で自分たちはその被害者、あるいは正義。だから奴らを滅ぼさなければならない。やられる前にやらなきゃいけない、と。
これによって真っ先に生活の不安や不満、ヘイトの矛先が向きやすい自国の政権に恨みや怒りが向くことはなくなり、かつ長期間ヘイト先の身代わりになってくれる堅牢なスケープゴートができあがります。
そうして外に悪があると思い込んでしまった国民たちは「(でっち上げられた)自分たちが陥っている(と思い込んでいる)窮地」から救ってくれる救世主かのように独裁者を支持し、自分もその独裁者の掲げるナントカ国のためだと命をなげうってしまうのではないでしょうか。そんな構図があるように見えます。
多分なんですが、ある国が独裁政権かどうかを見極めるのは以下の特徴があるかどうかなんじゃないかなと思います。
①国民を恐怖であおり、たきつけて動かそうしているか
②国民の利益ではなく、自身の政権を守るための情報を流す、あるいは統制をおこなっているか。
②-①常に自身の政権以外(国外国内問わず)を悪とし、自らの政権を正義としているか
こんなところじゃないでしょうか。
独裁者と国民の「恐怖感情」によるマッチポンプ=独裁政治
独裁政治はその特徴から、独裁者が単独で行っている政治ではなく、実質的には国民も総出の共同で行っているスケープゴートのマッチポンプなんじゃないかと思います。(最も国民は無意識でしょうし、そのつもりも当然ないでしょうけれども)
そしてそのマッチポンプの原動力になっているのはおそらく「恐怖」です。
独裁者は恐怖で人をあおり、それに従う国民は恐怖によって突き動かされ、その恐怖の対象である何らかの仮想敵に憎悪を燃やして戦う。恐怖によって支配する政治体系。恐怖によって国民に鞭を打って動かし、自身の政権を他国からではなく国民から守る政権。それが独裁政治なんじゃないか思いました。
以上のことからこの戦争の目的は自分の政権政治を守るため、国民を支配下に置いておくためのアピールなんじゃないでしょうか。
つまりウクライナ侵攻自他は目的ではなくそのための単なる手段なんじゃないか、と私は思っています。
しかし、それはあまりにも過激というかやはりリスキー感はいなめないですよね。北朝鮮のようにポーズだけでよさそうなのに実際に戦争までする理由は何なのだろう?
改めてロシアのことを調べてみると、このような隣国に対する侵攻はウクライナに始まったわけではなく、チェンチェン共和国、ジョージアなどのほかのロシアの隣国にも同じように侵攻を繰り返していることがわかりました。かつチェチェンに関してはそのきっかけとなったロシア国内で起きたチェチェンによるテロだと思われていたことが実際にはFSBによる自作自演だったらしくまたその戦争での勝利によって今のプーチン政権が誕生した、という話らしいです。[4/14日追記]フィンランドなどのほかの隣国たちがNATOへの加盟への動きを促進させているのは、このような傾向を考えてのことなのかもしれませんね。
今回のウクライナも「ネオナチからウクライナの人々を解放しなければならない
」という不確かな情報を元に国民をまた煽って始めたものとみられています。どちらもその根源はでっちあげた恐怖で国民を煽るという点で共通していて、同じやり方を用いているように見えます。
つまりロシア、というかプーチンは「自政権を維持するために行動している」んじゃないか、と私は思ったのです
国民のためでもロシアのためでもない、自分の所属する政党、組織のため。
つまりロシアとはプーチンないしは彼が所属する組織の傀儡国になっているのではないか、と。
仮にそうだとすると彼が戦争に踏み切る判断の基準は自らの政権を維持するための足しになるかどうか、ということにもなってきますね。トータルコストで得をするなら、つまり自分の政権が維持されかつ他国からの攻撃も受けなければやる、そんな感じなんじゃないでしょうか。
でもプーチンが本当に何を考えているかなんて誰にもわからない
と、これまで私の考えを描いてきましたが、彼の目的や彼がどのような人なのかどうか、本当のところでどうなのか、というのはわからないと思います。
だれしも他人の頭の中など分かりませんし、プーチンの頭の中をすこしも知ることはできない。彼が何者であるのかなんて結局わかりません。
何一つ真実はなく、ここで書いていることも、結局は単なる私の憶測にすぎません。
ひょっとしたら本当にネオナチがいて、市民を解放するつもりでやっているのかもしれない。各地で流れている戦争の映像や発表されている戦死者負傷者の情報も、どこまでが本当で、何が本物なのか、私が得た各情報も所詮は西側諸国のそれぞれの都合のプロパガンダにすぎずフェイクだったりするかもしれないし、ある事実も見方や見るポイントを変えたり、何らかの情報が付け足されるだけで簡単に変わってしまうようなものかもしれません。
そもそもウクライナがNATOに加盟する動きが戦争の要因の一つともいわれていますし、過去にロシアが彼らと約束した安全保障である「NATOの東側諸国の拡大をしない約束」をNATOが破り続けてきたという過去もあるという話もあります。(公的文書による取り決めはなく口頭のみだったという話も)。古くから西側の国から侵略をされ続けた歴史もあり、国内の文化がもともとヒステリー気質故の反応ということもあるかもしれない。あるいは、最初からウクライナとは戦争をする算段がもともとあって、ウクライナがNATO加盟をするという情報を皮切りに、加盟前に済ませてしまおう、ということだったのかもしれない。
あるいはもっと別の何かがあるのか。ちらっと書きましたが今のプーチンはこれまでの強面だけど強い頼れる堅実なリーダー的印象からあまりにも勇み足というか、焦っているを通り越してヒステリーでも起こしているかのような、まるで完全に我を失っているかのような印象が目に映ります。しかしそれは、例えば西側のメディアが彼がその行動をとるに至った要所要所の理由や出来事を放送していないからその文脈がはしょられてそうみえているという可能性も考えられなくもない。ロシア側の戦争を始めた理由として説得力がありそうな2021年8月に開催されたクリミア・プラットフォームについて触れるメディアが少ないのもなんだかよくわからない。そういうことも見えると、東とか西とか関係なく政治家たちのいろんな演説もただ戦争を煽って人々を焚きつけているようにすら見えてくる。
となると一体何が真実なのかなんてやっぱりわからない。様々な自分が全く知らない可能性があり、その可能性の中でどれがどれだけ実際に実現していたのかどうか。この戦争に至るまで、あるいは今起きていることも含めすべての出来事を知る機会を得ることができていることなんて到底ありえない。私が知っていることなど、巨大な山のてっぺんで一掴みの砂程度のものでしかないのだと思います。
そんな巨大なことのあり様に、真実にたどり着こうとしたら、
それはもう情報をえり好みせず、ただ上から流れてくるだけの情報を追うことを止め、自らの視点で歴史を能動的に学び様々な事実を学び、ただ知り続け、学び続け、
そして、考え続けるしかないのかもしれません。
戦争で国民は損ばかりしている
ただ彼が何者であろうと、この戦争がなんであろうと何のためであろうと、国民にとって戦争なんてなんの得にもならないのではないかと思います。
戦闘で死ぬことはもちろん、巻き込まれてケガを負ったりすることもありますし、経済はめちゃくちゃになって生活は困るし、関係する国も物価高騰などその影響を受けます。現地の人は言わずもがな、そのニュースを知った人の不安の種にもなります。戦争が終わった後は復興作業、また一から立て直しです。
この戦争が起きてうれしいだなんて思う人は相当に少ないんじゃないでしょうか。
戦争に行かなかった人も同じ。戦争を起こした国の出身の人は差別を受けたり迫害を受けたりすることもあるでしょうし、敵国同士の国民間で憎悪の感情が生まれ、今後様々な私怨による犯罪などの増加の要因にもなりえるかもしれない。
大半の人は、ただ平凡ないつもの日常を平和に繰り返したいだけなんじゃないでしょうか。
自国内にも様々なリスクを生み出す
度重なる戦争によってその恐怖を植え付けることになると、国の外あるいは内に常に何らかの恐怖や脅威があると思い込むようになることもあると思います。ただそこに実態が常にあるは限らず、その中には思い込み、つまりマッチポンプによる虚構も含まれている可能性はあると思います。そのマッチポンプに屈した人々がそれを前提した価値観を国内に蔓延させてしまえば、それは今後の何世代にもわたって受け継がれ、長きにわたり何かにおびえ続けることを生きることの基本とすることになってしまうのではないか、と思います。
前述していますが、ひょっとしたら今のロシアはまさにそんな感じだったりすのかもしれません。
その怯えの感情を支配者につけ込まれ好き勝手利用されてしまう。そして結果同じことをその子世代にも繰り返し続けてしまうのではないか。そしてそんな支配者の形すらも継承され、同じような人をリーダーに据えたいと願う国民の価値観が引き継がれてしまうとしたら…
あるようなないような、存在しているようで存在していない概念、国家だとか、イデオロギーだとか民族主義だとか言ったものを妄信し、個人ではなく全体を遵守し、そこに正義や価値があると思いこむ。
そんな国に自由など生まれるわけがないでしょう。国民総出でそれを願わない形が望まずとも実現してしまうわけですから。それでは生きやすい世の中なんて作れるわけがない。外を恐れ、お互いがお互いを監視する生きづらい社会が続くだけ。
勇気ある国には一生なりえない。ずっとおびえ続け、恐怖に屈する国でしかなくなる。
何かに挑戦したり新しい何かを作ったり、そんな新しい価値を作り出す土台がいつまでたっても作られない、そんな不自由な国にしかならないのではないでしょうか。
自国をよくしようとしている「つもり」でやっているそれは、実際には自国を地獄に変えようと「している」だけなんじゃないでしょうか。
それが戦争の実態なのではないでしょうか。
恐怖に屈して談合し、集団ヒステリーを肯定し、それを前提とした価値観で国の文化、価値観、あり方すら決めてしまう。自国を、自分の住んでいるところを、自分自身の幸福を自分自身の思い込みで破壊する行為、それが戦争の実態なのではないでしょうか。
日本にもある何世代も残る戦争の爪痕の例
放射能による遺伝子的な影響だけの話しじゃない。私は個人的に、今の日本の価値観の中には過去の戦争の傷跡によるものもあるんじゃないか、と思っています。
普通や常識にこだわり、他人の目ばかりを気にし他者を監視し、自身の価値観を普通だと思い込んで他者に押し付けようとしたり、既存の階級社会のヒエラルキーの上の方に所属することだけが良い人生である、ということを思い込む傾向にあるのは、戦争で負けその世界で生き残るために仕方なく身に着けた考え方からきているものなんじゃないか、と思うのです。大きなものに巻かれ、安全を確保できなければ生きていけない。そんな風に思い込む考え方がその時からあって、それがずっと今も継承されてきているのではないか。
要はおびえているんです。常に何かに守られていないとダメ。常に何かに焚きつけられながらでないと行動することが出来ない。
自分の素直な欲求がわからなくなる。自分が何をしたいのかわからない。自分は普通なのか、生きていていいのか。そんな風に自分に自信を無くして、他者に屈することが当たり前の価値観になってしまう。
何かにおびえて生きることが普通だから、自分がおびえていることに全く無意識で気づけない。だから失敗することに極端に憶病であることも普通で、その状態を疑えず、何にかけても成功しなければやる意味がない、価値がないと、自分で自分のやることを決めるという単純なことのハードルがとてつもなく高いところにある文化、価値観を構築するに至ってしまったのではないか。
そんな風に戦争というのは、その後の何世代にもわたって影響を与える巨大な爪痕にもなり得るんじゃないか、と思うのです。
独裁政権を倒すものは誰か?
独裁政権を倒せるのってなんなのでしょう。他国からの支援でしょうか。いつかその国で革命を起こすような救世主なんでしょうか。あるいはいつかほかの国に攻め込まれて滅ぶことなんでしょうか。そんなことは避けたいですよね。どちらも被害が出ますし、どちらも負けです。
私個人が思うに、独裁政権を本当に倒せるのって上記のどれでもない気がします。当然国民を全部滅ぼすのは無しで。
本当に独裁者を真の意味で倒することが出来るのは多分、国民だけです。独裁者は国民に依存しているのだから、その国民からそっぽを向かれれば独裁者は独裁者でいられない
化けの皮がはがれてただの人になる。そうすればその政権はもう終わりです。
ただそんなことはほぼ100%起こらないだろうとは、私個人は思います。現時点で政権が維持されていることが事実で現実の全てですし、ロシアの歴史を垣間見るにずっと恐怖の世界観の中で生きてきた人々なんじゃないかと思いますし、仮にそうであるとしてその恐怖に向き合うというのは相当の覚悟と持続的な取り組みが必要です。そんな大変でつらいことをするくらいなら今の生き方で生きていることが楽、と感じるのは自然的な話かなと思います。
その価値観や考え方の根本にあるものに恐怖が根差しているものであろうがなんであろうが常態化している生活、つまり日常を疑うなんてことは、日本で例えるなら自分が思っている「普通」「常識」を全て疑ってそれに向き合って生きなおす、ということをやるということにおそらく近いことです。
そんなことを他人からやれと言われて「はいやります」なんてありえない。やるなら、自分にとって何らかの形でメリットがあると感じることもない限りはやりません。
実際、自分だったらやるでしょうか?他人に突然、「あんたの信じていることはおかしい、間違ってる。だから全部考え直せ、やり直せ、こちらの考え方に合わせろ、言うことを聴け」なんて言われてどう思うか。きっと必死に自分の信じているものを正当化して守ろうとするでしょう。ましてや恐怖支配で強大な拘束力を持つ機関が自分を監視しているような国のもとで、そんなことを外野から言われたところでそれに賛同するわけがない。
人は基本的に変わりません。みな自分の都合、自分の生きてきた人生経験、世界観、自分の思い込みで生きてる。変わるとしてもそれぞれの個人の都合で変わりたいようにしか変わらない。いくら外の都合を押し付けようが彼らの都合に合わなければ関係ないでしょうし、却って不満をあおるだけのような気もします。
だから今国際社会では経済制裁をしている、ってことなのかもしれません。これに影響を受けるのって一番は国民の生活でしょうから。国民っていうのは一般市民に限らず、兵士やその上官たちたちも含みます。これを受けてどうするのかということなのかもしれませんね。これが外からできる精いっぱい、ということなのかもしれません。
まぁ結局は何が起きているのか、何を目的としてのことなのかなんてことは、わかりはしないのですが。
私事:個人ができることは自分が扇動者に”煽られることを止める”こと
私個人の話ですが、私は今回の件でいろいろ考えた結果、政治家を信用するのはやめました。
いえ、政治家というか信用というか人に煽られて何かをしたり考えたりすることを完全にやめようと決めました。ロシアの恐怖政治というものが実際にあるのか、在るとしてその実態はどのようなものなのか、それはわかりません。ただ、煽られて動く生き方というのは、今回の件に関係なく自分の身に降りかかっている現実の問題としてとらえ、今後自分はどうありたいのかという問題としてとても重要なことであると認識しました。
ただ煽られて生きていては独裁者、扇動者の都合のいい道具として動くだけの不自由な生き方をすることになり、それに気づかないまま彼らにぶら下げられたニンジンを追いかけて期待しながら、その期待がいつまでたっても満たされず何かを憎んで苦しむ生き方をすることになってしまうと思ったからです。
だから、それを止めようと決めました。他者から煽られることを止める。他者から煽られることで行動するという「受け身的かつ脅迫的な行動原理」を止めるってことです。
独裁者に限らず、こういう「煽って人を動かそうとする人」というのは、政治家のほかにもたくさんいるなぁと周りを見渡してふと思ったのです。SNSの中にも、会社の中や家族にも、「こうしないと後悔するぞ」「〇〇が悪だ、だからみんなで力を合わせてこの悪を殺さなければいけないんだ」みたいな誰かを焚きつけようとすることを言っている人っています。ニュース番組も番組の構成そのものが恐怖を煽るような形になっているものもありますし、少し目を凝らして考えてみれば結構こういうのってたくさんあると思います。
色んな「大きな何か」に煽られてその中の何ににすがるかで物事を決めても、その大きな何かにある日裏切られたら自分の立場がなくなります。例えば今回の場合、例えばプーチンを支持していたらある日プーチンの今回の行動で世界から憎まれる存在となってしまった、という状況です。プーチンでなくても、関係ないロシアの何かを支持していただけでも標的になってしまうこともあるくらいです。
所詮は他人です。他人は何を考えているのか、本当のところはどうなのかはわからない。
自分が他人に抱いている心のイメージは単なる自分の願望であり、思い込みに過ぎない。それが今回の件で強く突き付けられた。そんな風に私は感じています。
戦争だけはダメだ。
個人の自由を妨げるものとして、戦争ほどのものはそうそうありません。
戦争に対抗する唯一の手段は自分の人生を自分で楽しむことに関心を持ち続けること。他人の都合なんかに振り回されないということは、自分の人生を勇気をもって生きるということを選ぶということ。
周りが何を言おうが情勢がどうだろうが、そんなものに同調していても幸福でなかったことは、これまでの人生の中で嫌というほど味わってきたのでもうよくわかっているので。
権威や権力は所詮は他人の都合。そんな都合にかまけていても何も面白くないし、ただ不安や恐怖が蓄積していくだけ。
例え彼らの言い分に見かけ上では従っても心まで屈する必要はない。自分の心は自分で成り立っているのだから、周りがとやかく言うからといって自分の心を否定する必要もない。
自分の心までを恐怖に屈する必要などないわけです。
だったらそういうものから関心をすて、もし粛正されたり外の何かが自分をどうにかしようとしてきても自分の心は保ち続ける。巧みに周りに隠し続けながら自分の人生を自分で大いに楽しんでやる。
別に自分の心を外に、他人に開示する必要なんかないわけですからね。そこは永遠に隠していればいい。周りに認められる必要はなく、染まる必要もなく、ただ表層のみフリをしていればいい。自分はどこまで行っても自分。如何に自分の自由、自分自身を楽しみ、その心の自由を守るためにあらゆる手を尽くして生きていく。別にこれはロシアだけでなくどこにいっても変わらないと思います。
「現実」に立ち返って
今回の戦争を受けて、今まで私はなんだか無意識のうちに、自分の絶対的な安全は常に保障されているのだ、という思い込みをしていたことに気づきました。というのは「こんな人がいるはずがない」というような、現実の世界にいてほしくない他人を無意識にいなくて当然のものだと思い込んで正当化し、頭の中から退避して都合よくできているようなお花畑のようなイメージをもっていたためです。
しかし考えてみれば世界に人間は70億人以上います。犯罪組織やいまだに戦争をしている国はウクライナ以外にもあります。そんな中で例えば人を思い通りに動かして利益をえたいとか、戦争で人を使って金儲けをしたい、人をだまして利益を得たい、
そう考えて今日も生きている人が世の中にいるのは別におかしくもなんともなく現実の話しなんですよね。
そしてその手口は巧妙で、自分が気づきづらい形でそれに参加させようとしてくる。正義感だとか恐怖心だとか、そういったものを煽ってこちらに行動を迫ってくる。そんな人たちはきっと常に狡猾にその機会をうかがっているのだと思います。特にメディアなんかは危険だと思っています。
人間は聖人じゃない。だって人間は自分の欲しいものを手に入れるために毎日生きている。その形は人それぞれだけれどそれに共通しているのは、人間は基本的には毎日何かを食べて生きている狩人で、毎日何らかの狩猟を行っている。それが私の国では仕事であることが普通ですが、中には犯罪だったり形は様々にあって、それが現実の世界だった。私はそれに目をつむってきただけだったんだと思いました。
この世は別に安全が保障された安全地帯なんかではなく実態はハンティンググラウンド。今回の戦争で強くそう感じました。ロシアが破ったように、安全保障なんてあるようで実は全くなかった。人間は自身の狩りの目的のためならそれを破るという手段も使う。永遠に約束されたことなんてなくて、どこかで変わってしまうもの。結局人間も自然界の生物の一つ、ほかの生物を狩猟して食べる、単なる動物の一種類にすぎない。
安全保障だけでなく国内の社会制度や年金問題など、あらゆる保障されて当たり前にあると思い込んでいる様々な約束事は、ある日突然反故にされてしまう可能性をはらんでいる。
この世に保証されたことなんか何一つない。現実というのは、何一つ保証なんかされておらず、そんな人間の都合なんて無視して、無慈悲にただ流れ続けているだけ。
様々な狩猟目標や方法をもつ狩人たちが跋扈し、時にはお互いがお互いを狩ろうとすることもある、そんな野生動物たちの世界。
人間も動物だった。私が生きている世界とは、そんな世界なのだ、と。
だったらもう誰かの言う生き方に倣って生きるのも、言われた通りの人生を送ることも何の保証もなかったということになる。普通の生き方、常識的な生き方、いい子の生き方、当たり障りのない生き方、親が喜ぶ生き方、社会が喜ぶ生き方…そんな生き方をして自分の生き方を放棄して生きることに一体何の意味があるんだろうか。
誰かから見返りをもらうために必死に我慢をして嫌なことをして、それがもらえないことを嘆いて不幸になる不自由な生き方をすることに、一体何の意味があるのだろう?そんなことをしてもその見返りが得られるかどうかなんて限らないのに。
少し話がそれてしまいましたが単的に言うと、自分で自分の人生を生きることは大事、ってことです。周りに煽られたという理由で行動して生きていれば自分の狩りはできず、他人や社会の言う通りに生きても、思わない形で裏切られたらきっと後悔する。というかもう、すでに何度もいろんな形で裏切られていると思うのですよね。
他人や社会に保証を求めて何かをしてもそれは本当に保障されうるものではなく、結局は自分で何とかする必要がある、ということです。
そんな世界でどう生きるか。たまたま今日も生きているただの一生物に過ぎない自分が、今日何をして生きるか。
それを選ぶ。自分で選ぶ。そして自分で自分のやりたい方向に、実現したい何かに向かってひたすら手を動かしてただ前に進んでいく
それだけしか最初からやれることなんてないんだと思います。
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