積み込みの仕事の半年間
レーンで流れてくる様々な荷物を仕分けする作業を行います。各レーン担当の人が傍に置かれている各地域宛のパレットにその荷物を移動して仕分けしていくという作業になります。作業自体は単純なのですが、やってみるとかなり大変で、スピードと正確さ、状況判断力を問われます。私は今まで、バイトや正社員などいろいろな仕事をやってきましたが、この仕事は中でも一番きつかったです。
約半年間深夜勤でやっていたのですが、かなりハードな肉体労働であり、雰囲気も体育会系的でした。帰宅時はもう毎日へっとへとで、特に最初の1か月は毎日死にかけてたんですが、今回はそんな仕事について自分の経験したことをいろいろと書いてみたいと思います。
初日
「おらさっさとかたづけねぇとおわんねぇだろボケェ!!」「真面目にやれやボケガァ!!」
初日に聞いたセリフです。私に向けられてのものじゃないんですが、初日の始まって数分の間にこんな罵声が横から聞こえてきました。どうやらその罵声の主と一緒に作業中の人が怒られてるようでした。荷物は次から次へと流れてくるので怒られながらも必死でやっているといった感じでしたね。
それをみた私はというと「いやー幸先悪いわー^^。」なんて余裕で構えていたわけじゃなく顔面蒼白頭真っ白。(これが普通なの…?ウソでしょ…?やっていけるのか不安になってきた…)とえらくブルーに。
そんな気分に浸りながら最初の30分ラジオ体操と朝礼をやって、その後新人の私を含む4人の人達とともに、リーダーの人に各担当レーンにつれていかれます。
そして私がたどり着いたレーンが…なんとさっきの怒鳴り声をかましていたコワイ人でした。
(ヒェェェェェー!!)
「終わった…初日で辞めちゃうかも…」なんて思っていました。しかしまぁ始まってみると、以外にもその人は荷物の運び方のコツや、やり方を実に論理立てながらそれの必要性と効果について、しっかりと教えてくれるようないい上司の模範例みたいな人でした。
無理をさせられるわけでもありませんでしたし、強そうな強面の印象は変わりませんでしたけど、惹かれるような強さを感じる人でしたね。別に対して怒鳴られることもなく、「お前筋いいな」なんて言われることあるくらいのものでした。
そんな肩透かしをくらいはしたものの、仕事は死ぬほどハードなものでした。
クソ暑い室内、クソ重たい荷物、筋肉痛との戦い
「重いよぉ…」
荷物が重すぎるのです。腕なんかもうパンッパンです。あまり流れてくる商品とかについて書くと情報漏洩なんかの規約にひっかかりそうなので詳しくは書きませんが、まぁ20kg級とか30kg級の荷物がポンポン流れてくることがあるんです。
それを1つ1秒くらいの感覚で積み込まなければいけないくらい急がないといけないので、たった数個で体中の筋肉が悲鳴を上げだします。積み込みは体全体をフルに酷使する運動作業なので、全身がひどい筋肉痛になりました。
蒸しかえるような暑さの性で汗が滝のように出てくるので、ノドはカラッカラ。途中で水分補給はできます。ていうかしないと死にます。休憩入るころにはまるでぬけがらのような状態になってましたね。
私がそんな状態でいる傍ら、教えてくれた人はベテランさんのようで、全然疲れてませんでした。動きは軽快ですし、もうまさに「シュババッ、シャッ、シュッ」という感じで思い荷物を軽快に積んでいきます。
「一体どうなったらこんな風になれるんだ…?」と、当時の私にとってその人はもうスーパーサイヤ人か何かのようにみえていました。完全にヤムチャ視点でしたね。
そんな初日を終えて家に帰ろうとした矢先問題が…。自転車にまたがり帰路に就こうとペダルに足を置くと…
足が曲げられない
激しい荷物運びの上限運動によってふくらはぎがパンッパンになっていたので、少しに足をあげようとするだけでも足がつってしまうのです。「イテテテテテテテ!!!」とその場に座り込んでなんとか足を延ばすなりして事なきをえました。
下手したら肉離れになって病院行きだったかも…必死で家に帰って、その後で浴びたシャワーが気持ちいのなんのって。天国かな?ご飯はあまり通らなかったです。そうしてそのまま倒れこむようにベッドに入り寝てしまいました。
一番きつかった最初の2週間
そんなきっつい初日を乗り越えても、そんな日々はまだまだ続きます。次の日からは先日の過酷な労働に加えて自身の筋肉痛とも戦わなければなりません。
荷物を持つために体中から鈍い痛みが走り、「はやく解放してくれ…この苦しみから…」と念仏を唱えながらなんとか乗り切っていました。
さてそんな生活を1週間続けるとある変化が出てきます。いい変化です。1週間前よりも疲れにくくなっていました。確かにくたくたな状態には変わらないのですが、「これくらいだったらまだ続けられるな」と、前向きになれるくらいの疲労に変わっていきます。
さらに1週間の苦難を乗り切ると以前よりも簡単にものを持ち上げられるようになっていきました。
そうして2か月が経過し…
そんな日々を繰り返すうち、やがて重い荷物にたいしてもそれほど重さを感じなくなっていきます。10個くらい30kgの荷物が連続でこようと、別に大したことじゃない程度に余裕をもてるくらいにまでなっていました。
ある日風呂の鏡にふと目をやると「なんか…ごつくなった?」と自分の体が相当鍛えられたことがわかりました。全体的に引き締まり、肉体的に強化されたことが目でわかるくらいになっていました。特に腕の太さは自分で確認してびっくりしました。
エースの3か月
このころになると自分でもっと効率的にかつ正確に、たくさんつむにはどうすればいいのかを考えるようになっていき、毎日研究しながら仕事していました。個人的には仕事というよりは一種のスポーツをやっていた感覚に近かったですね。
より正確に素早く、品物を壊さないように慎重に積み込みができるようになり、できることが増えていくと、そういうのはやっぱりいろんな人から見られるのか、周りの反応も変わっていきました。
新しい仕事を任されるようになり、体もより鍛えられて余裕もあるので、大抵の仕事はすぐに覚えられることができました。仕事を覚える近道はやっぱりできる人の真似ですね。これはどこもどんな仕事も変わらないんだなあとその時強く思ったものです。それからはいろんなところにヘルプにいったりとベテランの人達よりもやたらと便りにされるようになっていきました。
仕事と給料がわりにあわなくなって退職
ですが私はそれと同時にある疑問を感じていたのです。「仕事はどんどんきつくなって、自分は以前よりもずっと仕事に貢献しているのに、時給は1円も変わらないってなんか割に合わない」と。
基本的に新しく任される仕事ほど、より体力を必要とされるような仕事であったため、その度に多忙を極めました。しかしこれだけできることも増えて、周りからも戦力として当てにされていながら、まったく昇給する気配すらなく、その辺りがずっとひっかかってたんですよね。
で極めつけは新しくまかされた仕事です。この仕事はもう尋常じゃないくらいきつかった。20mシャトルランをやったことはあるでしょうか。あれを常に全力で数時間続けなければならないような仕事です。それもクソ重たい荷物がギュウギュウのパレットを引きながら。
そこにいたリーダーの人がすごく気性の荒い人でその人の機嫌次第で鬼のごとく怒鳴り散らしてスパルタしてくるような人で、みんなその人には逆らえないという様子。
私はその人と仕事をすることになってしまい、仕事が終わるころにはボロ雑巾の如くからだはボロボロ、足首にひどい痛みを覚え、普通に歩くことすらできなくなっていました。
「これはあかんわ」と身の危険を感じ取った私はそれを機に退職を決意したのでした。ちなみに足は今は治ってます
とまぁこんな感じで、私の積み込みの仕事は終わりを迎えたんですが、元々半年くらいで計画していたので、いいタイミングだと思ってやめたんですよね。ずっと積み込みの仕事だったとしたらもう少し続いていたかもしれません。
基本的に私の居たところは「使える人はどんどんきつい仕事をさせろ」(でも給料は上げない)的な思想のところでしたので…
こういう仕事を経験できたのはよかったと思うわけですが他にも友人ができたのはよかったです。私のいたところはどういうわけかやたらとバリエーションに富んだ経歴を持つ人がたくさんいて、考え方も全然違って面白かったです。
今回の話にはあまり関係のない話ですけど、日本の給料のシステムって今の労働価値観の変化に全然追いついてないと思うんですよね。
いまだに年功序列的だし、普通に考えて労働者という立場からしてみたら仕事の難易度はどんどんあがって、やっている仕事の価値も上がっているはずなのに給料は全然上がらないなんて、そりゃ昇進なんてしたくない人も増えるでしょう。
ハイリスクローリターンが目に見えてるのに、それを雇われでやるのは限界があります。だったら会社では簡単な6割くらいの力でできる仕事だけやって家で副業とか考えたほうが得。
昔の日本のように、ずっと会社にいれば自然と給料が上がって、老後は年金暮らしなんて世の中でもないんだから、そんな苦行に耐えるメリットは薄い。
よく「できる人間からやめていく」という問題があがっていますけど、労働者に不利なことをする会社は仕事できるできないに限らず見限られるのも想像には難くありません。
いやしかしきつかったなーこの仕事は…あ、関係ない話ですが運動は大事ですよ。この仕事で得た教訓です。心身共に強くあることで自信は身に付きますから、運動を普段していない人はぜひ運動してください
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