結果に執着しない方が最終的に良い結果がでて”しまう”というジレンマ




小五の頃の部活で経験したこと

私は小学校5年の頃、5月から部活動で野球をはじめたんですが、結論から言うと入部わずか半年余りでレギュラーになっていました。

グローブをはめることすらぎこちなかったくらいに野球は素人も同然の状態で、ボールを投げたり受け取ることすら碌にできないうえに、運動神経も決して良くなくさらに当時は部活といえば4年生から始めるものでしたから、一つ下の学年の後輩よりも遅く入部したハンディもありました。

でもレギュラーになれた。いや、なってしまったといった方がいいのか。

というのも私はレギュラーになるつもりなんて全くなかったからなんですよね。

守備練習が楽しすぎた

私は練習の中でもとりわけ「ノック」に取りつかれるように夢中になっていました。大抵の子はバッティングの方をやりたがるんですが私は真逆で、ノックが始まった時周りがげんなりしてる中で一人奮してましたね。初めてやったキャッチボールでボールがミットに収まるあの感触がたまらなく気持が良くて、もっと強いボールを受けたいと思うようになったのがきっかけでしたね。それからはずっとその感覚を求めていて、監督にアドバイスを受けながら必死でボールを追いかける日々でした。最初の頃はノックというよりは球拾いだったんですけど、これもどうしようもなく楽しかったです。

部活の練習だけでは全然物足りなくて終わった後も一人校庭に残って壁あてを延々とやっていました。大体夕方6時~7時まで練習してましたかね。休日も部活がなければ一人校庭にでてきて壁あてを繰り返していましたね。やがてそれも慣れてくると鋭角から壁にボールをあててライナー打球を疑似的に作ってスライディングキャッチの練習をしたり、思い切り字面にたたきつけたり上に投げたりしてフライの練習をしたりその時に思いつく限りの難しい打球を想定した練習を夢中でやってました。

そんなこんなで秋ごろになって、引退する6年生にかわって次期レギュラー発表が行われました。打順の順番で次々になじみの名前が呼ばれて行ったのをよく覚えてます。この時自分は何を発表しているのかよくわからなくて、自分には関係ないやと思いながらこの後何しようかなと思いにふけっていたときでした。

「9番、セカンド、(私の名前)!」

と、突然最後になって自分が呼ばれたんですよね。まさか呼ばれるとは思ってなかったので、「え?」と困惑してました。そもそも、セカンドだとか9番だとか何?って。基本球拾いとノックとバッティングの練習だけだったので守備位置とかそもそも打順という概念が存在することとかもよくわかっていなかった私は何が何だかよくわからないまま発表が終わってしまいました。

監督も「これからセカンドの練習ばっちりつけてやるからな~」と意気揚々と私に声をかけてくれてたんですが、相変わらず私の頭の上ははてなのまま。あとで友人に「ねぇねぇ、レギュラーって何?セカンドって何?ガソリン?」って聞いたら笑われちゃいましたね。

「いや違うよ、試合に出るんだよ!やったじゃん!」

──?

実感が全然わかなかったんですよね。え、自分が?って。ずっといじめられてきて自分に自信が持てなくて、運動だってそんなにできないのに、まさかそんな自分が試合にでるメンバーに選ばれるだなんて。自分で自分が信じられない。しばらく私はその場で放心状態だったような気がします。

そんな昔の自分を思い出してみると、結果なんか少しも考えずに夢中になっていると、自然といろいろやっている自分がいて、在る瞬間に気が付いたら周りが自分を認めだしていてレギュラーになったりしていた。私の知らないところで他人は私を評価していて、そんなことに自分は全く無頓着だったのに、こういうことが起きたんです。

セカンドの役割もすごく楽しいものでした。ただボールを取るだけじゃなくてほかのメンバーのカバーに入ったり2塁を守ったり結構セカンドって忙しいんですけどそれがとても新鮮で楽しかった。試合に出てめちゃくちゃ緊張したけどちゃんとボールもキャッチ出来て守備もちゃんとできたし、スライディングキャッチやゲッツーなどのファインプレーすらできた。本当に自分が自分じゃない感じというか、こんな事自分できたんだって、信じられない感じの連続でした。

逆に結果に縛られるようになってからは苦痛を感じ、結果も出せなくなっていった

でも反対にバッティングは全く上達しなかったんですよね。本当に少しも。ヒットなんて片手で数えられるくらいしか打てなかった。

だって怖いんですもの。やりたくなかったんですよ。グローブがあった守備とは違って、バッティングはバットしかないからボールを手で取ることができない。デッドボールになったら痛いし、何よりピッチャーからの圧が心底嫌だった。素振りの練習も守備の練習と違って全然続きませんでしたね

好きじゃないものって全然上達しないんですよね。何とかうまくなってヒットをたくさん打てるようにならなきゃと素振りを何度もやっても効果はなく、打席に立つのが嫌でしょうがなかった。いくら必死で打とうと気持ちをはってもどうにもならない。無力感ばかりが募っていってバッティングはどんどん嫌いになって億劫に感じる一方でした。打順もずっと9番のままでしたね。

無理やりうまくなろうとしても全然だめなんですよ。「うまくならなきゃ”」、っていうのは自分がそれを本当は望んでないんだから。そんなものに執着しても全然面白くないしつらいから続けられなくてやめてしまうんですから。そこに楽しさ、自分がこうしたいと思う欲求がないとそこに労力もつぎ込むことが出来ず全く成長していかないんですよ。

こう試してみたい、こうやってみたい、こう作ってみたい。そんな自分の個人的な欲求が成長の原動力であって、それをないがしろにして無理やりどうにかしようとしてもダメなんですよね。

承認欲求おばけになってしまった頃はもうボールを追いかけている時の何かに夢中になる経験は全くできない自分になってました。何をやっても面白くない、続かない。だって褒められるためにやってるから。他人の気を引くためにやってるから。

他人に「好かれなきゃいけなかった」から。

他人に好かれたいだなんて、本当は望んでなかったんですよね。他人に縛られてやることで結果を出せたことなんて一つもありませんでした。

結果なんて嫌でも”勝手”についてきてしまう

それはもう、本当に勝手なんです。自分がどんなにある結果を望んでいても、反対に無関心で全く求めていなくても、結果は勝手に勝手な形で現れます。それはいい意味でも悪い意味でも。あらゆる意味で結果なんて言うのは独り歩きしていきなりこちらに出くわしてくるものなんです。なんなら、全く執着していない方がいい結果がついてきて”しまう”んです。

なんでそんな不本意な言い方なのかっていったら、だってそれを突きつけられてもただ困惑するだけだったんですから。全く実感がわかずに信じられないくらいでしたからね。

結果の中でもとりわけ他人が関わるものというのはなおさらです。レギュラーに抜擢されることも、周りのチームメイトたちの私に対する評価や反応も。私自身の力でどうにかなったことではなく、そういった周りの反応が作り出したものでしかない。

環境という要因が結果の成分の大半を構成しているわけで、自分がやったことなんてただ一人勝手に夢中でボールを追いかけてただけなんですから。

何一つ周りなんてみている瞬間なんてなかったし、そこは自分しかいなかった。

でも一番充実してたんですよ。

ただ自分ができること、感じたいことを求め続けること、追い続けることだけなんですよね。自分が何をするか、どう感じ、次にどうしたいか。その繰り返しし。そんな小さなことが自分にできることで、それ以上はない。

だからこそ、そんな小さな物こそが自分の唯一の財産であり、確かなものなんですよね。

そして確かだからこそ続くし、信用できるし、夢中になれて楽しくて、心地がいいんです。

それ以外のものはすべて気まぐれなもの。あてにはできない不安定なものです。

だから自分は、自分がしたいことをする。したいことをし続けるためにどうすればいいかも考えて実行し続ける。これしかないんだと思っています。



自己紹介

Name : Elepan

元うつ病患者 (闘病歴10年)

約10年間うつ病でしたが、多くの自分の歪んだ思い込みに気づきそれを捨てることで独学で立ち直りました。その「気づき」の記事を本ブログにて日々更新中です。
一人でも誰かの役に立つ情報になりますように… その他にも遊んだゲームの情報、世の中のことで疑問に思うことなどなどについて考えたことを色々まとめています。

 

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