何で絵なんて物を人は描くのでしょうね。別に描かなきゃいけないものではないわけですし、仕事でもなくただの趣味だとしたらなおさらです。でも絵は多くの人に愛されていてプロアマチュア関係なく多くの人が描いてますよね。
でも絵って腰を据えてやると描き終わるまですごく時間ががかかるんですよ。いつも自分の100%思い通りに描けないから、完全に満足することもないし。
自分の脳内イメージを2次元上に出力するには、そこに強いこだわりがあればあるほど求められるものも多く高くなって、デッサンの知識や現実の世界の組成だったり、いろんな知識が必要になってきますし、描きたいイメージを具体化できてなければそれでもひどく遠くに感じるものなんですよね。
毎日がわからないの連続で自分の力量不足を痛感する日々な上にその上限はまるで天井なしなわけで、やればやるほど深みにはまって高いところを目指して必死こいているような、ある種ドMな趣味なわけですよ。
だったらもっと楽なゲームとかほかの趣味でもいいじゃん?って思いません?昨今ではもっと手軽に楽しめる趣味がいくらでも転がっているわけですからね。そんな中でなんでわざわざそんな面倒な趣味にご執心なのって。写実絵なんて別に写真でええじゃん?って。
その疑問に対する答えはいたってシンプルで、「描きたいから」なんですよね。そりゃそうですよ。それ以外に理由なんてない。いや、衝動といった方がいいでしょうかね。パッションというかなんというか。
褒められるために描いている方もいるかもしれませんが、つらくありません?だって手段としてはあまりにも道が険しすぎるじゃないですか。一枚の絵を満足するレベルまで描き上げるのに何時間も時間を消耗するわけですし、鍛錬だって必要。その間ずっと「やりたくない絵の練習」を我慢してやるわけで、それを趣味にするにはほとんど拷問に近いんじゃないかって。実際、続けられなくて挫折しそうでつらい、なんてこともあるような気がしています。
結局「やりたい」っていう自分の欲求という衝動がないと、人って進んでそれをやれないんだと思うんです。何かや誰かに強制されて無理やりやらせられることには限界があって、その場合は「それを強いる何かや誰かから与えられる報酬」が確約されていることでないと続けられない構造なんですよね。いわゆる飴と鞭です。でもその与える人、飴を用意して無知鞭をふるう他人が自分のやっていることを欲しがったり評価するかどうか、そして与えるかどうかというのはその他人の自由で確約されたものではないわけですから、その報酬に対する100%の信用を持つことは無理なわけですよね。
疑心暗鬼の中でこの趣味を続けるのは無茶ってものです。
目次
なぜ絵を「描きたい」のか?
さて、ではなぜ絵を描きたいのか?という話に入ります。「やりたい」という衝動が必要、じゃぁそもそもその衝動は何によってでてくるのか?なぜそれをやりたいと思うのか?
絵を描くという行為が実際にやってることなんてただ2次元上の紙ないしはパッドに色情報の羅列を描き込んでいるだけ。個人的な都合で絵を描くということを客観的に説明するならたったそれだけのことです。
それだけのことをなぜ「やりたい」と思えるのか。その欲求の大元とは?褒められるためでないのなら、報酬のためでもないのならほかに絵を描く理由なんて何があるのか?
アイワントイット!
それは、「欲しいから」なんですよ。描きたいと思うその対象が。例えば自分の理想とする異性だったらと考えたらイメージはしやすいんじゃないかと思います。絵を使ってその子を手に入れるのですよ。自分の理想や欲求を詰め込んだその子を。
自分が見たいと思うもの、存在してほしいものを描く。描くことによってその描きたいものを手に入れようとしているわけですね。
例えばドラゴンボールで有名な鳥山明さんなんかはそうやって絵を描いていたみたいですよ。欲しい車があったらそれを徹底的に模写して本物そっくりになるまで描いて手に入れた気持ちになっていたらしいです。実際、あの人の絵ってとてもユニークで精巧ですよね。すごい書き込み量で加えて動きがあって、デフォルメのきいているワクワクするような絵ですよね。誰もがあの絵を見たら、あぁ鳥山明さんの絵だ、って思うくらいにあの人の絵ってすごくアイコニックです。そういう絵をかけたのはやっぱりその本人が欲しいと思ったものを本人の思う理想的な形で求め続けたからからこそのものではないかと思います。
ところでこの絵を見てどう思う?
マー不気味だよね。ゴスロリチックな衣装と化粧で薄暗い場所で笑っているのか怒っているのか泣いているのかわからない表情で何かを見ている感じ。目も充血して真っ赤ですし、アイシャドウとアイラインで真っ黒な目、何よりかなりバタ臭いと思います。
取り立てて面白みのある構図でもなく流行りの絵柄でもないこの絵に一体何の価値があるんだよなんて思う人が大多数なのは想像に難くありません。
でもですね、描き手の私からしたらこの絵。というかこの子。
くssssっそかわいいのですよ。「うーんかわいいんんんねえぇええくぁwせdrftgyhぶちゅー!!」
あぁもう気が狂う!
自分の娘がいるときの気持ちってこんな気持ちかな?と、想像してしまいました。もちろん現実の子供は自分とは違う他人なので自分の半身である自身の創作物とは全然違うと思いますがね。でもかわいいって感覚は割と似てるのかな、なんて。
かわいいので「あぁ、泣かないで」と孫をあやす爺の気持ちを抱えているのですがしかしその裏ではもっと悲痛で訴えかけるような感情で懇願してべそをかいてほしいという畜生であり、それでいて内なる怒りを抱いていているだろう、いや、そう抱いていてほしい!みたいなそんなことを思いながら描いている自分がいるわけです。そしてその彼女の抱えているであろう様々なある葛藤が「あぁんかわいいわ!」とたまらなくなる。愛おしくなるわけです。
何を言ってるんだお前は?って?今言ったままだよ!そんな一連の自分の性癖。絵はリビドーだ!とも言いますよね。自分の頭の中にある描きたい誰かに対するイメージや設定、性格や物語といったバックグラウンドがそうさせるもので、それがすべての原動力なわけです。他人がどう思うかは何も関係がない。さらに言えば他人はそんな内なる私の脳内設定なんて知らんのですから自分と全く違う感想を持つことはごく自然的な話です。違うどころかドン引きものですね。「えぇ…?」みたいな。どんな性癖よみたいな。どこかおかしいやろみたいなね。
でもそんなもんだと思うのですよね。絵なんていうのは。いや、欲求というのは。自分の欲望をさらけ出したらそれは他人から見て奇異なものになるんですよ。人それぞれの素直な衝動の行きつく先はHENTAIなんじゃないか?なんて思いますね(偏見
だから人によってはここでストップがかかってしまうのかもしれませんね。恥ずかしくて。こんなこと言ったら白い目で見られるんじゃないかって。こんな欲求を持ってる自分はやばいんじゃないかって。それで自分の欲求に蓋をしてしまって自分の欲しいものがわからない、なんてことになっていたりして。それが絵なら視覚的にダイレクトに表現されるわけでなおさらですね。痴漢とか犯罪行為に走るのはダメですけどね。
ちょっと話がずれてしまいましたね。絵っていうのは自分の個人的願望をかなえる手段の一つに過ぎないと私は思うのです。
ゆえにその原動力は、自身の内なる正直な欲求によってのみのものなんじゃないかと思うのですよ
こんな何かがあったら、いたらいいなっていう自分がもつ欲望を叶えるもの。他人は関係ないし、他人の目なんて気にしてたらその火は消えてしまうんです。だから迷子になっちゃうんですよね。
絵以外にもいろんなやり方があるんですよね。3Dモデリングとか文章で表現したりすることもできるし、歌だったりゲーム制作だったりほかにも人の性癖の数だけたくさんあるんだと思います。
その欲望を叶えるためならなんでもできるわけです。だからどんな練習もそのためなら何もかもはかどり、一日中やっていられるというわけです。
まぁようは「愛」なわけですよ。愛することです。愛されることではなくてね。「家族のためなら俺は頑張れる」なんていうのはそんな愛がなす技でしょうなぁ。
あぁんかわいいわ?ぎゅううううううううううううううう!!!(ビオ
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