なぁぜなぁぜ?
目次
単純に最近のゲームが面白くないから?
「なんか最近、昔に比べるとゲームがつまらなくなったなぁ」
と感じる人は多くいると思います。グラフィックはきれいになったけどどこか退屈…やらされている感があるというか、楽しめない、下手すると疲れてくる。
技術的にはどんどん革新的なものが出てきてシステム面もアップデートされ、作れるもの、表現できることが増えてきたのはいいのですが、ゲーム体験的にはあまり変わっていないか、むしろ開発費の高騰などの要因からか劣化しているようなケースもあり、むしろゲームに対して信用がないというか、ゲームで遊ぶこと自体に何か不快感、不安感、「だるさ」のようなものを感じて集中できない。そんな風に感じる方は多くいらっしゃるのかなと思います。
しかしそれでもなんだかんだ遊んでいる自分がいる、新作を購入しているということもありますからわからないものですよね。
「ゲームはつまらない」、と感じているのならやめることができそうなものですが、なぜかやめることができない。一体なぜなんでんしょう?
惰性でゲームをやってる
おそらくゲームをやっている人のほとんどは子供のころからゲームを楽しんでいる人であると思います。それが習慣的に今も続いている状態で、しかし今になってゲームに集中できなくなってきた、体力的にきつくなってきた、というような感覚を覚えゲームができなくなってきているというパターンですね。
その要因の一つは「惰性」だと思います。子供のころから続いている習慣でやっているが、それに対して自分の意欲だけが減退し、しかし習慣だけは残っているから感覚的にゲームで遊ぼうとする自分が残っていると。しかし意欲、楽しもうとする意思がないため、どうやっても楽しむことができず「めんどくさい」という感情の方が勝ってゲームがつまらない、という感じです。
これの厄介なのはつまらないと感じているのにゲームをやめられないという点ですね。
まさにダラダラとやってしまうというか、別にやらないといけないわけでもないのにやらなきゃいけないような感覚でやっているというか。「まぁほかにやることもないしなぁ…ゲームやるか」、と、まるでぬるま湯につかっているような感覚というか。暖かくもならないし冷たくもならないから、どっちつかずのままいつまでも出れないんですよね。
おそらく昔のゲームを楽しんでいる感覚感覚が忘れられなくてゲームをやっているんじゃないかと思います。それを待っているというか。期待している感があるんじゃないかと思うんですよね。
しかしそれがいつまでも満たされなくて悶々としているというか。まてどもまてどもいつまでもやっぱり暖かくならない。ずっとぬるま湯のまま。満足することもなければショックで飛び出すこともない。そんな生き地獄みたいな感じになっているということもあるのかもしれません。
ゲームを楽しめないのは”いつから”で、”なぜ”?
ではいつからなんでしょうか。子供の頃は楽しかったのならいつからつまらなくなったのか、なっていったのか。
その瞬間がどこかにあったはずです。そして次にその理由。なぜなのか。何がかわったのか。なにかあったからなのか。それも何かあるはずです。
ゲームに対してそのような不快感、「重さ」を感じるかのようになったのはいつか。それはおそらく、生きていく中で人生の中に「不安要素」が増えたからであると思います。学生の頃を思い出してみると、今のような不安感はなかったのではないか、と思います。
もちろん学生の時代であっても不安に思うことはたくさんあると思いますが、問題はその対象です。学生の頃、特に小学校、中学校の頃は親が自分の面倒を見てくれますしお金も自分で稼がなくていいので、明日の自分の住む場所やごはんの心配をまったくしなくていい環境です。不安要素は主に学校生活などの人間関係の問題に集中していて、もし学校生活がよくなくても家に帰れば解放されることがわかっているため(家庭環境問題などのケースはここでははぶきます)、特に不安を感じることもなくゲームを楽しむことができていた、という事ではないかと思います。
それが高校、大学、会社員と、自分で人生設計を考え、自分で稼いで明日の飯を手に入れることを考えるようになっていくとそれに対して自分は大丈夫なのか、これから先やっていけるのかどうかという不安を感じるようになっていきます。結婚して家族ができればそれはさらに重いものになり、よりそれに対する意識も強くなっていくと思います。
このように自身とその周りの環境が変わっていき、人生の中で目的も変わっていく中で、ゲームに対する意識や価値観が変わってきたことによる要因もあるのだと思います。
ゲームで遊んでもお金にならないという現実からの「無駄な時間を過ごしている感」
大人になり社会に出ると、より自分の時間をどう使うかということに「シビア」になります。結婚していれば家族を養わなければならない。独り身であっても働いて稼がなければならない。
親に何とかしてもらえるというものがなくなると、嫌でも考えるようになります。
昨今は価値観の大きな変動と世界的な経済問題、年金や社会保障の問題などが山積みで、もはや誰もが明日は我が身状態です。そんな中でゲームに時間を使う、ということ自体がとてももったいなく感じる、という事もあるのかと思います。ゲーム以外により手軽に楽に楽しむことができる動画サイトなどのサービスもありますし、コンテンツ飽和状態であるという事もあると思います。
最近では実況プレイの配信によってお金を稼ぐ人もいるものの、それはごく一部の話にすぎず大多数の人にとってゲームはお金にはなりません。お金につながることもほとんどないでしょう。そしてゲーム自体は長時間のプレイが必要になってきます。ゲームを遊び終えるのに、2,30時間はざらで、ゲームによっては100時間を超えることを想定したシステムのゲームすらも存在します。そういった時間をゲームに使ってしまって本当にいいのか、と考えてしまうのは無理もないことかと思います。
そんなゲームの”不毛さ”と、手軽な娯楽にあふれ、しかし余裕のない現実の板挟みの中でゲームを楽しもうとしても焦りが邪魔して集中できなくなっている、ということはあるのだと思います。
つまり不安だからゲームが楽しくない
さてこれまでの話で見えてくるポイントがあります。それは「時間に対する不安」です。何かしらゲームに時間を使うことに常に不安感が付きまとっています。「本当にこんなことしてていいのか」「ゲームなんてやっていても何の役にも立たない」
人生を無駄にしている──。こんな感じの意識があるというのが大きな要因で、この根幹にあるのは自分の人生に対する時間の使い方の不安感であると考えます。
仮に今日一日ゲームをしようとなったら、ということを想像してみてください。どうでしょうか。それで自分は後悔しないでしょうか。「もしこの時間をほか事に使っていたら…」と考えたりはしないでしょうか。
もしそうなら、やはり不安感からゲームが楽しめなくなっている、という可能性が高いです。将来の不安、金銭的な不安感からくる焦燥感がそれを邪魔し、ゲームに時間を使うこと自体が不安要素となって楽しめなくなっているのだと思います。
計画的に能動的に楽しめばゲームはまた楽しめるようになる
ではもうゲームは楽しめないのかというと、そんなことはないと思います。このどうしようもなさそうな不安感ですが、実は割と単純な方法で解決できます。
それは時間管理です。それもそんなに難しくありません。単純に1日のゲームする時間を決めて、その範囲内だけで楽しむ、と決めればいいのです。
ゲームでもなんでもそうですが、無気力に無秩序にだらだら何かをやるのは精神衛生上よくないです。終わりがいつかわからないからどれだけ時間がかかるかわからず、故に時間をどれだけ損するかどうかという不安につながっているのです。ゲームは特に長時間遊ぶ傾向が強いものが多いですからね。
不安なのは今日やることについて何を具体的にどれだけの時間やるのかを自分で決めてないからなんです。ゲームに引きずられて惰性で遊んでいれば当然不安になってしまうものなんですね。
1日1時間、一日のどこかの時間だけと決めてゲームをすれば「この時間はゲームをやっても問題ない」と自分の中で心理的安全の根拠を設定することができます。ゲーム以外の時間についても決めて管理すれば、すべて計画した中で決めたことで動けるので時間を損したという感覚はなくなって不安感はなくなります。またやらされてる感もなくなり、すっきりすると思います。
不安感がなくなれば自然と楽しもうとする意欲は沸いてきます。それがあればまた子供のころのようにゲームに熱中できるようになると思います。またソシャゲくらいしか楽しめない、腰を据えてやるゲームは時間がなくてできない、という人にも時間管理すればゲームの規模にかかわらず楽しめるようにもなるのでおすすめです。
以上、安心することでゲームを楽しむことができる心理状態にもっていけるはずです。能動的に生活をすることでゲームはまた楽しめるようになる、というお話でした
おまけ:単純に飽きただけの場合
時間管理でゲームをやる時間を決めてもやる気が出ない場合、特に不安なこともない場合、それはもうゲームというものそのものに飽きてしまった、という事なのかもしれません。その場合はゲームと一旦距離を置いて、新しいことを始めてみるチャンスだとして、なにかやってみるのもいいかもしれません。
絵なんかはすぐに始められるのでおすすめです。描くものと紙さえあればすぐにでも始められますしね。試しに好きなアニメのキャラクターとか家族の写真とか、好きなものを模写してみるのもいいかもしれません。
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