他人への依存とは、「この人無しでは生きられない」というような思い込みのこと。
その人がいないと生きられない。生きている価値がないとか、意味がないと思い込んでしまっていること。
それは悪魔で思い込みだ。決してそんな事実はない。そう考えてしまっていることがおかしいとかそういうことでもないし、悪いことでもない。
自分を責めなくていい。今自分が単にそう考えているだけ、というだけ。
依存を止めなければいけないという風に考えなくていい。自分が依存をやめたいならやめていい、自分の好きにしていいということ。
そういう風に自分の素直な気持ちにこたえていくことが、依存からの脱却の一歩でもあるのだから。
もし、今誰かに自分が依存しているような気がしていて、それが苦しいと感じていて、それを手放したいともし思っていたら、
良ければ私自身が誰かに依存する考え方や価値観を持っていた時に気づいたことをもとに、なぜ依存してしまうのかについてを話させていただきたい。
目次
なぜ他人がいないと生きられないと感じてしまうのか
それは怖いから。自分を好きな人がいないと、自分が独りになって怖いから。
独りの自分が怖いからなんだ。
依存先の人というのは、自分のことを愛してくれる人とか、加護してくれる人だというように自分が思っている誰かだと思う。
そしてその人のためになら、なんでもしてしまう。その人の気を引くためならなんでもしてしまう。独りにならないために。
それが依存なんだ。独りの自分を否定してしまっている。一人の自分を拒絶して、他人にそれを埋めてもらおうとしてしまう心理。
自分独りではだめだという思い込みが自分に自信がない自分を作る。自分に自信が持てていないから他人のことばかりが気になる。そうやって依存の心は作られていくんだ。
自分自身を否定している。
他人がいないと不安。他人に愛されていないと不安でたまらない
それは、「自分一人でいることはダメなこと」だとという、自己否定からなんだ。
孤独であることはみじめだとか、愛されていない自分なんて価値がないとか、そういった思い込みが、自分自身だけでいることを否定している。
それはつまり、自分そのもののことを暗に否定してしまっているんだ。
いまただ存在する自分。”単に今いる”自分。
そんな自分を否定してしまっている。
独りの自分を認め、受け入れられて人は、自分だけが好きなもの。自分だけがいいと思っているものをもつことができる。
他人にもとらわれず、他人におびえることも臆することもなく自分を発揮して生きていける。
人に依存しないで生きていけるんだ。楽しく、穏やかに、健康的に、快活に。
人に囲まれて楽しそうな人生を送っている人に限って心は自立していて、案外実は孤独だったりするのだ。
孤独がダメなこと、不幸なことなんていうのは、ただの偏見なんだよ。
むしろ孤独を受け入れていることが幸福の前提条件なんだ。自分を否定せずに穏やかに生きられれば、そういう人はいやでも魅力的になる。素敵な人になる。
望んでなくてもいやでも人が寄ってくるんだ。
依存しなくても大丈夫!
そんな依存の心理から抜け出すには、自分は他人に依存していなきゃダメなんだ、という思い込みを捨てていけばいいんだ。
自分独りではだめだ、とずっと思いこんで自分自身そのものでいることをずっと許してこなかったことを、自分に許す。
他人に守られなきゃいけない、自分は弱い、自分はダメ、そんないろんな自己否定、義務、罪の意識。
それを捨ててしまっていい、ということなんだ。
自分自身でいいんだ。ただの自分でいい。
自分という”個”を認めていい。
自分だけで自分は成り立っているということを、許していいんだ。
それで依存から抜け出せる。他人の都合に合わない自分を許す、社会に推奨されない、承認されない自分を、自分が許すんだ。
私もうつ病10年以上続いていますが、ここまでの分析、独学で学ばれたElepan様は本当にすごいと思います。この記事含めいくつかの記事をこれからも継続的に拝読させていただきます。このブログとの出会いに感謝です。