絵を描き”続ける”には?




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2020年04月25日~:
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“絵を描く”ということ。ここに日本においてはそう珍しくもなく、一般的な趣味として最近は知られています。そんな趣味をもつ人達をSNSで見ていると、絵を描くことを続けるのが難しくなってしまっている人もおられます。もったいない話です。

少し彼らにフォーカスしていくと、彼らのほとんどが誰かに自分の絵を観られていることを意識している節が見られます。つまり他人に自分の描いた絵がどう見られているのかを気にしているのです。これは他人に褒められたい、または下手だと思われたくないというような意識があるために起こるんですが、そういう意識はやがて、“描きたい”という欲求を”描かなければならない”という義務へと変質させていきます

“うまく描かなければならない”という義務感

他人に認められる絵というのは、だれかに何らかの良い印象を与えられる絵であると思います。そういう絵というのは子供の落書きのような絵ではダメで、多くの場合はざっくりと言えば人の共感を得やすい絵でなければなりません。そういう絵というのは大抵は多くの労力と技術を要し、生半可なものではなかなか得られるものではないでしょう。
そうすると、他人から褒められたいことを一心に考える人は”下手な絵には価値がない”、”下手な絵を描いてはいけない”と考えるようになっていきます。明確に意識はしていなくとも、無意識的にそう考えているのです。これが現代社会における絵を描き続けることが難しい障害の一つだと思います。現代社会は結果を求める考え方が定着していますから、大人になればなるほど絵を描き続けることが難しくなる傾向があります。小さな子供の場合、それがどんな絵であっても本人の気が済むまで描き続けられるのは、そういう結果を求める思想に染まっていないから、人に褒められることに価値を見出していないためにできることです。絵を描くことを純粋に楽しんでいるからこそ、いつまでも続けられるんですね。

義務感では続かない

少なくとも一定の報酬が約束されてい無い限りは続かないでしょう。例えば雇用における会社の給料とかでしょうかね。生活もかかっていますしね。しかし家計には関係ない、余った時間で行う趣味というところを義務感で続けるのは非常に難しい。ただでさえ会社に拘束され義務で仕事を行っているというのに、趣味まで義務になったらそこに自由はありません。義務感というのは本人の自由意志を捻じ曲げるものなので、そんなものを趣味にまでつぎ込む必要はないんです。

“下手な人”から学ぶ絵を描く”姿勢”

私個人が思うのは絵の描き方などの技術的な部分も確かに有益な情報だとは思うんですが、”下手な絵”を公開している人からも学べることがあると思っています。それは彼らのもつ絵を描くということに対する意識と姿勢です。下手な絵を描いている人の中には、数年の歳月を経て見違えるほど上達する人もいます。そういう人達を観察していくとやはり彼らは毎日絵を描いていて、絵を描くこと楽しんでいて、公開した絵にも他者からの批評を恐れるような後ろめたさはなく、むしろ堂々としていて、自らネタにすらしている人もいます。最近私が見た人ですと、「でりさくら」という絵を公開していた人がそうでした。とてもインパクトのある絵でしたね。

私はちょうど3年前から絵を描き始めていましたが、数カ月前までの絵をうまくなりたいと思って書いていたころよりも、一番最初の絵を描き始めた、下手すぎな絵を描いていた時の方がよっぽど夢中で描いていました。

こんな絵ですが描くのに5時間以上かかっています

今では初心に戻って絵を描くことを楽しみ、自分の描きたいものをただひたすら描いていますが、こちらの方が面白いです。楽しみながらの方が多くのことを学ぶことができます。ここ最近とにかく夢中で模写をし続けておかげでいろんなことに気づくことができました。

以下は、つい最近(2017/12月頃)描いたものです。

微妙な陰影の色の違いで立体が成り立っていることがわかってきました。

2019/07/15追記

今は特に見本がなくてもここまで書けるようになりました。

上の2枚は全て模写ですが、これは自分の頭の中で想像したものを描いたオリジナルになります。

2019/07/21追記

まだ途中ですが、同じく見本なしのオリジナル絵です。環境光や直接光の位置、光の色、空気を意識した構図作りがイメージできるようにもなってきました。

2020/05/27追記

立体を2次元に落とし込むコツが感覚的にわかってきました。
感覚が変わってきて、絵を描くというのは単純に描くというよりも、2次元上で粘土をこねるような感じに近い感じがしてきました。

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とまぁ、こんな感じで私の絵の成長過程を紹介してきましたが、

うまくなりたいというよりも、単に書くのに夢中になっていただけなんですよね。

ふりかえってみれば、いつの間にかかけるようになってきた、という感じです。

やはり絵というのは、書き上げた瞬間のためではなくて、書いている瞬間にそのほとんどがつまっていると強く実感しています。

絵を描いている瞬間、どう描こうか考えているとき、少しずつ形が成り立っていくその“過程”

書き上げた絵に全てが詰まっているというのなら、別に自分で絵を書く必要はないんですよ。誰かが描いた絵を眺めていればいいわけですから。

絵を描くことの面白さは他人の評価を得ることではない

他人の評価は一瞬です。それもその絵を描いたあなたの労力とは比べ物にならないくらい軽いものです。そんなものを得るために多くの苦痛を長時間感じながら絵を描くというのはどうなんでしょうか。それって本当に大事なことなんでしょうか。

付け加えるなら、”人にどう思われるか”、という受け身な姿勢はむしろ自分を縛って窮屈なものにしてしまう考え方でもあり、絵を描く上での自由さを失わせてしまいます。”人にどう思われるか”ではなく、”人に何を与えられるか”を考えて絵を描いた方がもっと自由に活き活きと絵を描けるようになると思います。

少なくとも趣味で絵を描くうえで大事なのは”自分が何を描きたいのか”だけだと個人的に思います。そう考えられるようになれば絵を描くことももっと楽しくなっていくはずです。



自己紹介

Name : Elepan

元うつ病患者 (闘病歴10年)

約10年間のうつ病の体験と、独学で立ち直ったことや、実施した治療法について書いています。一人でも誰かの役に立つ情報になりますように… その他にも遊んだゲームの情報、世の中のおかしいと思うことなどについて考えたことを色々まとめています。

 

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