絵を始めたての頃、絵の描き方なんて何も知らない自分にとって、模写やクロッキーといったお手本をもとに何かを描くっていうのは、絵を描くということがどんなことなのかということを体験することができる良い手法だった。
絵をかいてもう5年くらいたつのだけど、ここ最近はずっと模写とクロッキーををやっていて、そんな中でいろいろと気づくことがあった。
最初は単にできる限り同じになるようにほぼトレースみたいな感じで描いていた。それができるようになってくると、「ものを目でとらえてその通りに描く」ということができるようになってくる。
それができるようになってくると、次は「測って描く」ことも初めて見た。顔や手の比率を確かめながら書いていって、横に写真を並べて描かなくても、iPadの左上あたりに小さくした写真を置いて、それを参考にして同じように描けるようになった。
さらにそれができるようになってくると、今度はパースなどを意識して「空間」をとらえるかのようにして描くことを始めた。写真選びもそれがわかりやすい遠景系のものを使うようになって、背景も描き始めるようになった。ここからはデッサンも取り入れて、3次元上にあるものを書いていくことも始めた。
そんな風にして模写やクロッキーを続けてみたのだけど、これほど絵の練習になったものはないなぁと感じた。確かに描き方とか理論を勉強するのも大事なんだけど、やっぱり一番いいのは「実際に描いてみる」ことだった。
目次
「自分にとっての絵の描き方」がわかってくる
絵を一から全まで各過程をお手本を元にしながら自分なりに完成させていくことができるのが模写やクロッキー。多分デッサンも。
最初はレイヤーも一枚で書いていたのだけど、後になってキャラクターのデッサンの崩れに気づいて修正しようとしたとき、一緒に背景まで全部修正になってとても時間がかかってしまうということに気づいた。それからはレイヤーはどうするか。背景とキャラクターを分けた方が後で修正が少なくなっていいな、とか、そういったツールの使い方を覚えていくことになった。
またどんなブラシを使っていくのか、どんな描き方で進めていくのか、背景をべた塗系ブラシでざっくりと塗っていって、その上に下書きで形をとっていき、その形に添ってざっくり色を塗っていきながら少しずつ詳細を塗っていって…というように、自分の中でいろいろ試してこっちの方が楽に描けるな、それっぽくかけるな、面に沿って自然に描けるな、そう書くと立体感が出てくるぁ、なんて試してみることで分かることがたくさんあった。
模写はお手本の絵からできる限りそっくりそのまま描こうとするので、ゴールがわかりやすい。そのゴールに向かってどう書いていったらもっと効率がいいとか、こう縫ってみたらどうなるんだろうとか、いろいろ試すことができた。
自分なりの絵を描くための”過程”を学べる
一つ一つ自分の中である程度の満足いく絵が描けるようになってくると、「次はあれも描いてみよう」といろいろ試したくなってくる。これまでは人間ばかり書いていたけど、背景も描いてみたいなとか、金属の質感がどうなっているんだけと気になって、身近なものでデッサンをし始めたりとか。
描きたいものが増えていく
描けば描くほど、描きたいものはどんどん増えていってそれには上限がない。絵って結構時間がかかるもので、クロッキーのような比較的短時間で行うものはともかく、なるだけ精密に模写しようとすれば何十時間もかけてそれを行うことになる。
でも描きたいものはそのペースとは比べ物にならないくらい早く増えていくから、ちょっとこれはもどかしい気持ちもあるけれど。クロッキーの時間を増やしたりした方がいいのかな。
絵を描くことについて難しく考えなくなる
模写やクロッキーだけに限らない問題だとは思うのだけど、絵を描くことって別に大したことじゃないんだなと感じるようにもなる。
憧れの絵師をみてそれをきっかけに絵を描き始めたりすると、そういう絵を描きたいな~なんて最初は思うのだけど
別にそんな”すごい絵”なんてかかなくても絵を描くこと自体楽しいわけで、そんな”難しい絵”を描こうとするよりももっと気楽に自分だけで楽しんで絵描いた方がずっといいと思えてくる。
“褒められるため”とかで描こうとすると、途端に描くのがしんどくなる。絵を描くことが人に褒められるための絵(うまい絵、素晴らしい絵)出ないといけないと自分に強制しまうため、途端に自由に気持ちよく描けなくなってしまう。
そんな「楽しくなくなる絵の描き方」はやめておいた方がいいな、なんてことに気づいたのも、私にとっては模写とクロッキーのおかげだったのかもしれない。というのも、仮にどんなに自分の中で「これはきれいいに模写できたぞ!」だなんて思えたものが描けたとしても、評価なんてほとんどされなかったから。
それを皮切りに、そもそも評価されても大して面白くないことも経験できた。それ自体実はどうでもいいことだったんだ、ということも。「いいね」がつくなんて一瞬のこと。それもSNSをちらっと除いていいねという数字を見たほんの一瞬だけ。そんな一瞬のためだけに「しんどい絵の描き方」をして絵を描くなんていうのが、なんだかとても馬鹿らしくなった。
そういうことに気づけたことが、私の中では一番大きかったかもしれない。
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