「絵がうまくなりたい病」から解放されたら絵がうまくなってきた話。




Twitterで気づきのつぶやきやってます→

2021年06月25日~:
現在メンタルヘルス系過去記事を順次全書き直し中です。
上記年月よりも古い記事は順次修正予定記事になります。

絵を描き始めて早5年。思えば特に最初の三年はほとんどうまくいかなかったように思う

全く続かなかった。描き始めても1時間くらい持てばいい方で、すぐ動画とかネットサーフィンに走ってしまっていた。

はっきり言って絵を描くことが苦痛だった。

その理由はいまならわかる。絵がうまくならないといけないと思っていたから。

なのに全然うまくならないからすごく苦しかった。

趣味で始めたはずの絵が、いつのまにか義務みたいになっていた。

うまくなりたいからうまくなれない。

「誰かに褒められたいから、そのためにうまい絵を描きたい」

当時の私にとっては、絵を描く理由のほとんどがこれだった。

だから絵を楽しもうとしても、すぐそんなことばかりが頭に浮かぶ。

「上手くならなきゃ」「練習しなきゃと。

でもそう思って絵を描くと、目の前にある「へたくそな絵」を見たときに何とも言えない不快感、不安感のようなものが腹のそこからこみあげてきて、気持ち悪くなってすぐやめてしまう。

「いつになったらうまくなれるんだよ…」

そんな自分の思いとは裏腹に、現実のそれはまったく進歩することはなかった。

何せ手が全く動かない。目の前の現実に絶望して全然上達しない自分を目の前にして全然手が進まない。

「ダメだ」

「やっぱり上手くなるなんて自分には無理なのかな」

「才能ないのかな」

積みあがったのは、自分を否定する言葉ばかり。自己否定だけ。

上手くなるなんて、はるかかなた、宇宙の果ての向こう側にあるものみたいに遠い存在だった

承認欲求では絵は続かなかった。

「上手い絵をアップしてほめられたい」

そんな野望(?)を抱きながら、それでも自分に鞭をうって無理やりやらせて模写はある程度かけるようにはなった

しかし、自分で構図を考えてオリジナルを描くということについては全くダメ。

もう全然だめ。ウ〇コ。

まずイメージができない。ぼんやりとした描きたいイメージがあってもそれを構図として表現することが全くできない。

描いてもなんだか平べったいのっぺりとした、ぬーんとしたよくわからない奇形がそこにあるだけ。

苦行だらけで楽しくない

リアルな説得力のある絵は、3次元空間を2次元空間に落とし込むデッサンやパースの知識が必要だし魅力的な絵を描くにはいろんな構図の勉強もしなくちゃならない。

それに自分の表現したい世界がどんな風で、どんな文化がバックにあって、服装はどんなで、どんな生活してて…。

あぁもう!いつになったらうまくなるんだよ!?全然おもしろくないじゃないかこんなの!!

アホかちくしょうめ!こんな苦しくてつまらないことやっとれるかーーー!!

ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ァァ!!!!

バァーカ!!111!!ざまぁみろ!!!

と、ついには自分の絵をぶん投げた上に罵倒とばして、発狂して投げ出してしまう始末だった。私は何をしとんねんホンマに…

絵を描くということは、思った以上にやることがたくさんあった。想像以上に時間と労力と、何よりも『自分自身がもつ情熱が必要だった。

他人の承認という原動力じゃ土台無理な代物だったんだ。

そんな手間のかかりすぎることを達成しようとして、「上手い絵を描く」という目標は、そもそもあまりにもアバウトすぎたし、

褒められたい、評価されたいというほんの一瞬の結果”のために、絵を描くという膨大すぎる”苦行”は費用対効果的にも、目的のズレ的にも最悪だった。

「…あれ、自分はなんで絵描いているだっけ?」

「こんなはずだったっけ?」

「こんな苦しいものだと思ってたんだっけ?もっと楽しいことだと思ってたんじゃなかったっけ?」

「もっと気持ちがいいことだと思ってたよね?もっとうまくいくって…」

そしてそんな自分から逃げてまたネットや動画に逃げる日々を繰り返すだけ。

そんな悶々とした日々がただむなしく流れていく。まさにストレスフル。死にたい。

そんな過去の自分にいってやりたい。「描くことをただ楽しめ」って。

承認欲求を捨ててから

そんな悶々とした日々の中、私は別事として、「自分を変える」ということをテーマに色々と取り組んでいて、それは、「他人の承認を捨てて自分の人生を生きる」というものだった。

承認欲求を捨てて、他人からの苦しみから解放されて幸福に生きようと自分を変えることに取り組んでいた。

それは絵を描く以前の問題で、生きていること自体が苦しくてつらかったから。

誰にも必要とされていない。誰にも好かれない、誰にも大切にされない。それがつらくてたまらなくかった。他人の承認を求めて、そんなつらい生き方をしている自分を変えたかったから。

絵だってそんな理由でそれを求めて描いていただけ。

そんな中で少しづつ自分が変わっていくのを感じると同時に、絵を描く目的にも変化が現れていた。

単純に描くことが楽しくなっていった。

上手い絵を描こうは思わなくなった。思わなくなったというか、うまい絵を描かなきゃいけないと思わなくなった。

自分は絵を義務感でしか書いてなかった。自分の単に「描きたい」というだけの気持ちを押し殺して。

それに気づいて他人の期待も何も背負わず、ただの今の自分でいいと自分を許すことができて、心底そんな自分に安心できてから、それができるようになった。

ただ描きたいと感じて描く。それだけのことなんだけど、これをやっとできるようになって、絵を描くことに義務感はなくなった。

今まで絵が楽しくなかったのは単純で、自分が絵を「描きたい」と思って描いていなかっただけだったんだ。

描かされていたんだ。ある意味で。他人に褒められて、自分の苦労を認めてもらうため、いわば「他人に救われるため」に、他人の承認を求めるために、絵を描くことを手段としていただけ。

義務感は何事もつまらないものにする。

絵を描くことを、自分に自信がない自分を救うための「手段」、「義務」としてとらえていたからつまらなかっただけ。

模写をするにしても、その写真の通りにそっくりそのまま“描かかなきゃいけない”

デッサンをするにしても、対象をそっくりそのまま、少しも“ずれてはいけない”

そうやって自分に完壁主義的な義務を課して、「必ずやらなければならない」と自分を追い込んでいた。

そんなことで楽しいはずがなかった。自分が描きたいと思っていることではなく、描かなければならないのだ、という、まるで誰からやらされているかのように何かをこなす姿勢でやっていたから。

他人から与えられた課題を他人の期待する通りにこなして、期待された結果を出して、褒められることを求める。そんなやり方だったから。

私が幼少期の頃に無意識に身に着けてきた「褒められることで生きることを許してもらう」という思想が根幹にあって、それが「自分で目の前のことを楽しむ」ということを妨げていたのだった。

学校教育を受けていた子供の頃に身に着けた義務の思い込みが邪魔していただけ。他人から一方的に「必ずこのやり方でやれ」と押し付けられ、それに対して「結果をこちらの思った通りの形に必ず出せ」という縛りを受けて生活してきた中で身についた一連の癖、思い込み。

それが邪魔していただけだ。

もう自分を救う必要は承認欲求を捨てたことで必要なくなった。他人という迂回路を回って自分の自信のなさを埋めてもらわなくても、ただの自分だけで自信を自然に持つことができるようになった。

自分の好きなように描きたいものを決めて、自分の好きなように描いていい。

自分のあるがまま、今の自分のままで、絵を描いていいんだと。

デッサンも模写も楽しめるようになった

今までは模写やデッサンは完全に「義務」だった。

うまくなるためにはやらないといけないこと。

やりたくないけど、やらないといけないことだった。

それが、単純に絵を描くことが楽しくなってきてから、無理やり自分にむちうってやらせなくても、自然とデッサンや模写に手が伸びるようになっていった。

「もっとリアルに描いてみたい」

「イキイキとしたキャラクターを描きたい」

「この写真いいなぁ。模写したいな」

そんな純粋な欲求。自分が単純に何かを好きだと思った、すてきだと思ったその気持ち。

誰かの評価のためでもなんでもなくて「自分が純粋にみたいもの、描きたいと思う気持ち」に夢中になっていた。

自分の絵を描くテーマがみつかった

20200601

そうなってからのここ半年の成長は早かったと思う。以前に比べればずっとイメージ通りにかけるようになってきた(上記は最近のオリジナル絵)

それに加えて、絵を描く理由も明確になっていった。

自分の創作キャラクターをもっとリアルに、生きてるみたいに描きたい。

「こいつにもっと冒険させてやりたい」

「こいつにもっとかっこいい装備をさせてやりたい」

「もっと冷ややかで強い目的意識に満ちた表情を。」

「こいつは堅物の女戦士だからもっとタフな目つきで…一匹オオカミで…」

自分の創作に何の制限も描けることなく自由に考えられるようになった。外の評価を気にすることもなく、外に合わせなきゃいけないという義務の意識も罪の意識も感じることもなく、好きに学んで、すきにとりくむ。

ただそうしたいという欲求だけで絵を描くようになった。それに伴って世界観や文化、服装なども自然と学ぶようになっていった。

20210620 「Zoey:Lonewolf」

楽しいから描く。それで十分!

ただ、こうして当時自分が望んでいた「うまい絵が描けるようになるという結果」を手に入れても(まだたくさん知ることはあるし、満足には程遠いけども)、今の私にとってそれは重要なものではなくなっていた。

重要なのは自分が楽しんでいるかどうかだけ

自分が楽しんでいたから、そもそもこうして続けていられる。

楽しんでやり続けた結果がただこうして出ている。

楽しんでなければ続いていないだろうし、結果もなにも出ていない。

というか、もう結果もくそももうどうでもいい。

楽しみたい。ただ心置きなく描きたいだけだ。

なによりもう苦しんで何かをするのはもー嫌だ

絶対イヤ!

それでは苦しいだけで何もよくなかったことはもうわかりきってる。過去の自分のうまくいかなかった実績たちがそれを嫌でも証明していた。やりたくないことを無理やりやろうとしても続かず、苦痛しかないことは、疑いようがない。

だから最初から自分にできるのは「ただ絵を描くこと楽しむこと」だけ。

そう気づいて結果はどうでもよくなった。

だから私は、今後も今の在り方で、単純に絵を描くことを楽しもうと思う。



もし参考になったらシェアお願いします!

自己紹介

Name : Elepan

元うつ病患者 (闘病歴10年)

約10年間のうつ病の体験と、独学で立ち直ったことや、実施した治療法について書いています。一人でも誰かの役に立つ情報になりますように… その他にも遊んだゲームの情報、世の中のおかしいと思うことなどについて考えたことを色々まとめています。

 

1 個のコメント

  • 冒頭付近で何回も何回も頷きながら読みました。 自分の見たい気持ちと描きたい気持ちをもっと大事にしたいな、と思うことが出来て大分救われました。ありがとうございました。

  • コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。

    日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)