こうならないように気を付けて!「絵がうまくなりたいと」考えている時に陥りやすい罠






どうも@えるぱんです。

私は絵を描き始めて…2年と半年ですね。3年くらいかと思っていたらまだそうでもなかった。

そんな最初の2年は、絵がうまくなりたいという思いが常にあって、うまくなるにはどうすればいいのかよく悩んでいました。しかし、そんな私の気持ちとは裏腹に、まったく上達する気配すらなく、いくら描いてもその実感を少しも得ることができないばかりか、下書きの時点でどう考えても自分の描きたい絵が描けない、うまい絵がかけないという現実をありありと見せつけられ、すぐにやる気を失ってふて寝したりゲームに逃げたりしていた時期がありました。

なんで「うまくなりたい」と思うのか?

言葉の解釈の違いにもよるんですが、私はやっぱり「誰かに褒められたいから、そのためにうまい絵を描きたい」のだと思うのですよね。

「うまくなりたい」と考えているということは、自分よりも「うまい絵」という存在を自分自身が何等かの形で認識していて、かつ自分の絵とその絵を比較しなければ出てこない発想です。自分もこんな風に描きたい、描ければいいのに、とあこがれているところから来ていると思うのです。

「絵を描くこと」を褒められる手段にするのは非効率

「うまい絵」、「褒められる絵」を描けるようになるには大抵は年単位の毎日の積み重ねによる歳月がかかると思います。例えば、ゲームのコンセプトアーティストのようなリアルで幻想的な絵を描くには、デッサンの知識は必要不可欠でしょうし、それについて本格的に学んでいく必要もあるでしょう。芸術の道で食べている人はみな何年も予備校とかでデッサンをするようですしね。デッサンによって、ようやく「基礎」が仕上がってくると、今度は自分の描きたいもの描きながらそれらを模索していって、きっとこれも何年もかかる。そうやって出来上がる「うまい絵」を、人に褒められるための手段として用いられるようになるまでには、それこそ何年も、何十年もかかることもあるのでしょう。

さて本題ですが、そもそもとして褒められるためという目的だけのために、たとえそれが自分のやりたいことでなかったとしても、これだけの時間や労力を投資することができるものなのでしょうか?やりたくないけど絵がうまくなるために必要だからデッサンやる、模写やる。それってずっと続けられるんですかね?続けられるとしても、それはどれほどの熱意をもって続けられるのでしょうか?学業やお金や生活のためならできるかもしれませんが、ただ褒められるためだけにです。ほめられなくても人間生きていけるわけで、それでもやりたくないことを辛抱強く続けるには、相当な意志の強さが無ければ不可能だと思うのですが、そもそも意志が強いなら既に自分に自信を持っているわけで、人に褒めてもらいたいという目的は持ちづらいと思うのですよね。他者からの承認を求めるのは自分に自信がない、自分で自分を肯定できないところから来ているからです。

それに、これだけ時間と手間がかかる方法を取らなくても、他にもっと簡単に人に褒めてもらえる方法はいくらでもあると思うのですよ。ボランティアでもなんでも、何かしらの社会貢献事業に携わって地域の人達から感謝されることの方がずっと簡単ですよね。

“本当はやりたくないこと”を続けるのは本当に幸せか?

それでも「うまくなりたい」からやりたくないことでも仕方なしに絵の練習を続ける、という方はすごいです。私には到底真似できない。基本的に私は”やりたくないことはやらない”ので、例えば絵を描くための基本としてデッサンが必要なことがわかっていたとしても、私がデッサンを「やりたい」と思わなかったらやらないわけですよ。今はデッサンも好きになって描くようになりましたが、以前はやってもほとんど続かなくて、途中でやめてしまってもいました。

やりたくないことを続けるということは苦痛なんですよねやっぱり。そんな苦痛を長年続けることってはたして幸せなんでしょうかね?楽しいのでしょうか?1カ月くらいならまだできるかもしれませんけど、それが年単位だったら?それで確実に100%うまくなる保証があるわけでもないのに、それをやり続けるって相当な事だと思います。うーむ、やっぱり私には無理じゃ。私なら最悪嫌になって絵描くのをやめてしまうかもしれません。「うまくなりたい」と考えてるのに、それが原因で絵を描くこと自体をやめてしまうなんて本末転倒ですよね。

やりたいことはいくらでも続けられる

でもですね。私は最初の2年はそんな考え方だったんですがそれが変わってきて、今日までの半年間は描きたいものしか描きませんでした。しかし不思議と今は描けるものが増えてきているのですよ。今描きたい対象がある程度描けるようになってくると、自然と「こういうのも描いてみたい」という欲求がわいてくるんですよね。それに素直に従うんですよ。うまく描くということは全く意識せずに、ただ描きたいから描く。私の場合は最初は人の顔が描きたくていろんな人の顔を模写していました。その次に自分の創作キャラクターの顔を描きたいと思って描き始めた。それもある程度できてくると、今度は体とか、立ちポーズを描きたいと思うようになった。かっこいいポーズってどんなのなんだろうといろんなポーズに興味をもってあれこれポーズを模写したりクロッキーしたりするようになった。今度は顔の滑らかな曲線美とか、人の筋肉の流れやその凹凸の微妙な違いで表現される対象の質感に魅了されるようになって、デッサンも楽しめるようになった。

とまぁこんな感じで、今描きたいと思っていることを描き続けているだけで、不思議と描くものが増えていったわけですよ。そして何より特筆すべきなのは終始「楽しかった」「描いていて気持ちよかった」と感じることができていたということ。幸福感に満たされる中で私は絵を描き続けることができていたわけです。

夢中で絵を描けるようになったわけですよ。最近は気づけばもう深夜の1時なんてザラですね。こんなのは学生時代に時間を忘れてゲームをやっていた時以来でした。

やりたいことは上達が早い

やりたいことは、やりたくないことよりもずっと上達が早いんですよ。集中力も、それにかけられる時間も全然違います。私はこの2年半の中で最も上達したのは今日までの半年間だと思っています。絵を描くことは日課と化していて、仕事のある平日でも4時間以上、休み日は家にいてご飯とか家事とかやっている以外はずっと描いてるくらいです。

確か半年前は模写するのもやっとだったはずです。その模写も今に比べると大した出来じゃなかったですし、時間も今よりずっとかかっていました。下記の絵なんかは1カ月くらいかけて書いているんですが、最近は1週間程度でこれよりももっとましなのが描けるくらいです。歪みに気づく目が養われていなくて顔の修正だけで相当かかってましたね。それでも続いたのはその時の私にとって顔を描くことが楽しかったから、やりたいことだったからだったと思うのですよね。やりたいことをずっと続けられたから今ではもっと短い期間でかけるようになった。いろんなことにきづくことができたんだと思います。

半年前 : 制作期間:1か月

先月  : 制作期間:1週間

「褒められたい」という欲求は打ち消すことができる

誰かに褒められたいという欲求はそう珍しいものではないとは思いますが、特に現代は若者を中心に際立ってそういう価値が存在しているように見えます。ネットの一部では人間がもつ当然の欲求といわれていることもあるくらいですけど、私はそうは思わないんですよ。そういう価値観が重視されているのは単にこの国の資本主義的価値観や、偶像崇拝的思考がそれを成してるだけで、人間の本質ではないと思うんですよね。つまり後付けだということで。

後付けであれば、それは変えられるということなのですよ。つまり褒められたいという目的を放棄して、別の目的をもつこともできるのです。

目的は「達成できるもの」にする

自分がどれだけ上達して、どれだけ素晴らしいと思う絵を描いたとしても、それが「褒められるか」はそれを見た各他人次第なので、「達成できるかは」未知数です。目的を達成できないことが続くと、いつかは心がおれてしまうかもしれません。

しかし、例えば「自分の理想とする絵を描けるようになる」のような、自分の中だけで完結する目的にすれば、それはいつか必ず達成できるものになるはずです

私の具体例で説明しますと、今の私の目的はZoeyという自身の創作キャラクターを理想的な姿で描きあげること。とにかく今は彼女を自分の想像する理想的な姿で描き上げたいのですよ。


まだ途中ですが…

今はそのためにいろんな絵を描いて練習したり、彼女を描いて試行錯誤を繰り返しているんですが、多分いつかは達成できる目的だと思っています。最近ようやく立ち絵がかけるようになってきたんですよ。やったぜ!

なんせこれは私が納得するかしないかだけの問題ですからね。私が、これがまさに理想の姿だと感じることができれば、その時点でその目的は達成できてしまうわけですから。

うまくなりたくて絵を描くのがいやになってしまったら

さきほど、褒められるために絵を描くのは効率が良くないという風に描いては見たものの、そもそもなぜそんな「絵を描く」という手のかかる方法を選んでまで褒められたいと思ったのか。それってやっぱり絵描くのが好きだから、興味があったからというのもやっぱりあると思うんですよね。

絵を描くことが好きなことに、「うまくなる」必要はないんですよ。私はこの壁に一度ぶつかって、自分はいったい何のために絵を描いているのかについて一度真剣に考えたんですけど、絵を描き始めた一番下手な頃が一番楽しく絵を描いていた気がしたんです。あの頃は誰かの絵と自分の絵を比べるという発想すらなかったので、ただ絵を描くことに集中できていたと思うのですよ。

SNSで自分の描いた絵を簡単に公開できるようになって、すぐにフィートバックを得られるようになった今の世の中ですけど、フィートバックを得ることを目的にすると多分つらいだけです。楽しくないと思います。SNSは不特定多数のいろんな人達同士で情報を迅速に交換しあうために使うただの道具であって、「スキ」とかの評価はただの指標です。見る側の趣向や流行もありますし、不確定です。その指標を得ることを目的としてしまうような、その道具に逆に使われてしまうようなことをしようとするのは間違っていると思うんですよね。SNSをやめろと言っているわけではないんです。むしろどんどん発信していくべきなくらいです。ただ、それに対するフィートバックは期待すべきではないと思うのですね。

だから私としては「絵を描くのが趣味な素人の一人」として、自分にとっての楽しく絵を描く方法を見つけることをおすすめしたいです。どうやったら楽しみながら絵を描き続けられるのか、それが見つかれば後は何も悩むことなくただ絵を描き続けられるようになりますよ。

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元うつ病患者 (闘病歴10年)

約10年間のうつ病の体験と、独学で立ち直ったことや、実施した治療法について書いています。一人でも誰かの役に立つ情報になりますように… その他にも遊んだゲームの情報、世の中のおかしいと思うことなどについて考えたことを色々まとめています。

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