多くのファンの期待を抱えながら、満を持して発売されたRPGファン待望のゲーム、サイバーパンク2077。
しかしこのゲーム、そんなRPGファンの多くにとってうれしいできであったかというと、必ずしもそうではないようである。
主に海外圏でRedditやtwitter上では「このゲームはRPGなのか」ということについて議論があちこちで行われている模様。
というわけでここでは、サイバーパンク2077はRPGなのかどうか?という観点から検証しつつ、レビューしていきたいと思います。
目次
プレイヤーがRPGの主人公に何を求めるか
共感型と自作型
その前にRPGの種類について、私なりに二つのタイプに分けてから考えていきたいと思います。
それはプレイヤーが操作することになる主人公が「共感型」か「自作型」か、という点。
共感型は、主人公に共感する形で遊ぶというのもの。主人公の性格や声、出身、考え方や価値観、しゃべり方など、主人公のパーソナリティすべてがゲーム側で決められており、プレイヤーは主人公の行動や言動に共感しながら遊ぶ形。
ファイナルファンタジーなど、JRPGにこの形が多い。
自作型は、主人公を自分で作って遊ぶ、というもの。大抵の場合主人公をカスタマイズするキャラクタークリエイトシステムが存在しており、主人公のパーソナリティはほぼ白紙状態で自分で主人公の性格やバックグラウンド、見た目を設定して、世界を探索したりNPCとの会話や行動を選んで遊ぶ。自分自身だったり、何かになりきって遊ぶ。
いわゆるごっこ遊びのような感覚でやる遊び方。海外のPnP(Pen and Paper) RPGライクなRPGに多く見られる。
サイバーパンク2077は主人公に対するカスタマイズ性が高く、初見の印象では後者のゲームにみえる。
しかし実際に遊んでいくうちに非常に前者よりのゲームであるうことがわかってくる。
「傭兵のV」という固定パーソナリティ
プレイヤーの意思に関係なく喋る
昨今のゲームで主人公がしゃべるという特徴は別段珍しくもないし、むしろメジャーな要素の一つ。
主人公が自然に周りに対してリアクションをとったり、感情を荒立たせて言葉を吐き出すのは、演出の観点から見てそれを際立たせる大きな要素。
「我々はストーリーテラーでもある」と言っていた開発のCDPRの言葉通り、本ゲームでもストーリーをよりよく“魅せる”ための手段として取り入られているだろうということは、本作が1人称視点で作られた目的も合わせてクエストの演出を見ているとよくわかる。
Vはプレイヤーが選ぶ会話以外にも周りに反応してしゃべるし、言い返したりする。時には選んだ内容からは想像できないことをしゃべるし、自らの心情を吐露したり、哲学的なことを語ることすらある。主人公の1人称視点を通じて彼、彼女が感じたもの、精神的な動揺を感じていることがダイレクトに伝わってくるような演出もある。
それはとてもドラマチックな演出でまるで海外ドラマを、主人公の目を通してみているかのような感覚だった。
しかしこれは、自分が想像した通りのVをロールして遊ぼうとするには非常にやりづらくもあった。
自分が選んだテキスト以外のことを主人公が話したり、主人公が何をどう感じるかというのをプレイヤーに選ばせずにゲーム側でオートマチックに演出されると、かえって没入感がなくなってしまうためだ。
Vの目的
※物語の根幹のネタバレになるので注意。できる限り内容は避ける形で書いていきます。
Vがメインストーリーの序盤であるチップを強奪した後、いろいろあって危機に陥るのだが、その盗んだチップのおかげでどうにか命をつなぎ、そこから傭兵のVとしてのストーリーが本格的に始まっていく。
ところがそのチップは一種の「時限爆弾」であり、早くそのチップをなんとかしないとVが数週間で死んでしまうというとてつもなく重い事実を突きつけられる。
そんな事実を終わりまでずっと背負っていくことになり、かつこれがこの作品のメインプロットであるため、真面目にVをロールすると必然的にメインクエストを中心に回していくことになる。
※システム上はどれだけの時間がたっても特に問題はない。このゲームには時間の概念があるが、どんなにメインをほったらかしてサイドばかり進めたり、どれだけ待機して時間が過ぎても何も困ったことにはならない。
次の展開が楽しみになってくるような強いドラマ性をもつ物語に仕上がっているのだが、この「メインの重いデザイン」と膨大なサイドクエストの関係性はロールプレイ的にかみ合っておらず、矛盾というか違和感を感じるような作りにもなっていた。
まるでFallout4の自分の子供を必死になって探す主人公がそれをほっぽり出してサブクエストやクラフトに夢中になっているかの如く、ロールしている主人公とその行動がうまくかみ合わない。
サイドをやればやるほど、ロールしているV(Vに共感している自分が)が、「こんなことやっている場合なのか」と、ひどく矛盾したことをやっている気がしてくる。
1年くらいの猶予があるのならまだいいのだが、たったの数週間だ。実際V自身も「早くどうにかしないと」と必死な心情を吐露する上、クエストをこなすごとに病状が悪化する演出(実際はどれだけサイドクエストをやっても変わらない)を1人称視点でこれでもかとしつこく訴えてくる。
これは共感型の遊び方でも違和感を感じる内容になってしまっているし、自作型の遊び方ではあまりにも遊びにくい。
仮にそんな整合性など必要ないとすべて無視ししてしまうと、せっかくのメインストーリーを心から楽しむことが難しくなる。
素直にメインストーリーだけをプレイすれば非常によく引き込まれるのだが、寄り道すると違和感だらけ。ロールプレイの観点から見た場合、奇妙なものになってしまっている印象だった。
バックグランドが与えるVの多様度
このゲームではVの生まれ、バックグランドを3つから選択できる。
それぞれノーマッド、ストリートキッド、コーポ。
PnP RPGチックな要素であるものの、いざゲームが始まってみると、最初の1時間程度、つまりプロローグしか大きく変わるところはなく、そのあとは全体を通して「傭兵のV」というスタイル。
元コーポの傭兵V、元ノーマッドの傭兵V、元ストリートキッドの傭兵V、という形に収まっており、何れも傭兵Vであることは変わらない。
「プレイヤーの望む誰にでもなれる」という宣伝文句は誇大広告的な印象。
会話選択肢にバックグラウンド由来のものがあるものの、傭兵のVとしてナイトシティのギャングたちを中心にクエストが存在することやVのセリフ回しのセンスなどから、実質的に「ストリートキッドのV」という人物像のパーソナリティが強く、ほとんどVという固定の人物がそこにあった。
さらに「ナイトシティでビッグになる」、「一刻も早く『時限爆弾』の問題をなんとかする」、という個人的野心まで持っているため、いよいよVの性格や目的をプレイヤーの自由に想像、設定する余地がない。
よってThe Witcherシリーズがゲラルトという固定主人公のサーガであったのと同じように、このゲームもそんなVという固定主人公のサーガを描いたものになっている。
プレイヤーが描きたいVにはなれない。
受け身的なクエストシステム
基本的なVのスタイルは「傭兵」。フィクサーから連絡があってクエストが発生することが大半で、個人的に仕事を自分から引き受けるクエストも少しはあるものの、全体量としては少なめで、かつ小さい規模のクエストがほとんど。
ステータスの一つである「クレド」(名声のようなもの)が上がることによって受けられるクエストが増える。そしてそれらも前述のフィクサーと同様に、そのNPCから連絡がきて、クエストが発生するという形になっている。
半面、V(プレイヤー)が自らが探索して発見する、という機会が非常に少ない。「傭兵」という特色なのか、こちらの意思に関係なく勝手に依頼が相手からくる形式がほとんどであり、受け身的。
自分から探索して何かを見つけたり、巻き込まれようとする機会がほとんど存在しておらず、自作型の遊び方では不自由で窮屈。
マップの指定された地点に行くことで受けられるクエストもあるが、そちらについては後述「没入感について」を参照。
ビルドにおける多様性について
主人公のビルド面においては非常に多様。5つの基本ステータスと、それぞれにぶら下がってパークスキルが存在し、それぞれのスキルはそれぞれのスキルに繋がる行動をとることでレベルが上がっていく、OblivionやSkyrimのようなスキル成長型システムになっている。
レベルがあがるとパークポイントが得られ、それを振って主人公を強化する仕組み。
どのパークにも、それぞれのステータスポイントの条件を満たしていればふることができ、ハンドガン、ライフル、ブレード、殴り、ハッキング、などなど、戦闘のアプローチに対して特化型から満遍なくふることもできるなど、非常にフレキシブルにビルドできるデザインとなっている。
レベル上限も50となっており、すべてのパークを取得したり、すべてのステータスをmaxにできるようにもなっていないので、バランスはとれているのではないかと思う。
戦闘面に限って言えば、いろんなビルドを作って遊んでみたくなるような仕組みに仕上がっており、RPG的要素として、とても強く存在しているものであるといえる。
また各ステータスの値で特定の会話選択肢を選ぶことができたり、オブジェクトに対して干渉することもできるので、そういった意味でもRPG的であるといえる。
没入感について
RPGでかかせないのが没入感。まるでその世界が生きているかのように感じ、自分がそこにいるかのような感覚を得られるような世界観の構築具合。
街並み、目で見える世界は非常に重厚で素晴らしい。
特にメインのナイトシティの作りこみはこれまでのオープンワールドゲームの中でもかつてないレベルのもので、そこを歩く人々の多様な姿や高くそびえる様々な摩天楼や空を行きかう乗り物たちを眺めていると、「科学も倫理観も価値観もすべてが未来的な、とてつもなく巨大なすごい街に来た」という感覚が感じられるような迫力のある出来になっていた。
グラフィックは最高水準といっても良く、レイトレーシングという光の処理の機能をオンにすると、現実のそれを超えた美しさすら感じられるほどだった。
3DCGで表現できることもついにここまできたのか、と感動せざるを得ない。町に限らず、例えばNPCの服もよりリアルな質感にしあがっていた。特定のNPCにおいては、衣服のしわに物理演算のようなものが施されているように見えるものもありNPCの動きに合わせてしわが変化していた。
世界を”探索”するのではなく、マップをただ”たどる”だけ。
CP77 the player explores the map and not the world
https://forums.cdprojektred.com/index.php?threads/is-this-game-an-rpg.11050727/
ストーリー、目で見る世界は非常によく作りこまれているものの、それにアプローチするシステムは没入感を得られる出来になっているとは言えない出来だった。その一つが探索の在り方。
このゲームのクエストは前述の受け身的なことに加え、それ以外のクエストが全てマップ上に明記されてしまっている。
プレイヤーが新しいエリア(区画という大きな単位の)に足を踏み入れると、ランダムイベントやクレドの不足によって発生していないクエスト、NPCのコールから始まるクエストをのぞいて全てマップに明記される。
だからプレイヤーはほぼ必然的にマップを開いてどこにクエストがあるのかを確認し、そこに向かってクエストをうけるか、クレドをためてNPCから連絡が来ることを待って遊ぶということになる。
これは逆に言えば、それ以外の場所には何もない、と言っているのに等しい。
未知の場所への探索意欲が生まれず、ただマップについた印への「おつかい」を延々と繰り返すだけ、というルーチンワークにとどまってしまう。
そしてそのほとんどのクエストが単純なルート系(エリアのせん滅、物資の入手など)で埋められており、RPG的な選択を迫られるクエストはそれほど多くない。
もちろん良質で選択肢の用意された濃厚なストーリーサイドクエストも存在している。しかし、ほとんどがメインクエストでかかわった既知のキャラクターや、一方的にVに電話で連絡して接触してきたキャラクターたちであり、前述しているが、Vが自ら探索してたまたま知り合った誰かのクエストというものはほぼ存在しない。
つまり、オープンワールドの世界で体験する大きな面白みの一つである「探索」という体験が、このゲームにはほぼ存在しないのである。
一言でいうなら「観光」。ガイドブックを片手におすすめスポットを見て回っているような感覚。
未知の場所を当てなくさまようような「冒険」しているという感覚からは程遠い。
分岐について
RPGでは欠かせない要素の一つである分岐。自分が選んだ選択に対してどのような結果が待ち受けているのか、またはその結果が後のさらなる物語にどのように影響を与えるのか。
メインクエスト、いくつかのサイドクエストにおいて分岐が存在し、それに対して得られる結果も違っていた。いくつかのクエストは後続のクエストに影響を与えるものもあり、そのあたりはRPGらしさを感じる作りだった。
しかし、大半のクエストで得られる結果は些細な違い程度のもので、先のルートが全く違うストーリーに変わるというような大きな変化を及ぼすようなものはなかった。
サイドクエストがメインクエストのラストに絡んでくる要素が存在し、それによってラストの分岐は多様。しかしそれまでのルートがその道中で全く違うルートに行ったりすることはなく、エンディングに至るまでに大きく枝分かれするような分岐はない
会話選択の自由度は高い。しかし…
まず没入感についての中でも前述した、「探索の機会」が非常に少ないために、プレイヤーが好きなタイミングでNPCとかかわってクエストを進める、というデザインにはなっていない。
各クエスト内の会話の選択肢における自由度は存在するものの、クエストを受ける機会の選択に対する自由度は非常に低いのである。
例えばメインストーリーの全てを無視して世界を探索してNPCと知り合ってクエストを進める、みたいなプレイはできない。メインストーリーを進めてNPCと知り合ったり、クレドを稼がないと勧められないストーリー系サイドクエストが多い。(マップ上に既に存在するクエストはお使い系クエストが大半)
前述したようにNPCからコールがかかってきて始まるものがほとんどであるため、ストーリー系クエストを始めるタイミングのほとんどをゲーム側でコントロールされてしまっている。
そのような特徴からサイドクエストを含め全体的なクエストデザインは一本道的なつくりになっており、感覚的にあまり自由を感じられない。
また“Vの心情の選択肢”が存在しないことも没入感をえられづらい要因であるといえる。前述した、Vがいつどこで何かに対してどう感じたという精神的なもの、心の情景を演出によってオートマチックに、ドラマチックに描かれるため、プレイヤーが独自に描く余地が微塵も存在しない。
全体を通して、「魅せること」に関しては相当なこだわりを感じるゲームである一方、「自分で設定して冒険して遊ぶこと」に関しては無頓着なデザインになっている。
映画を見ているかのような感覚で遊ぶことはできるけど、自分で冒険、探索して遊ぶ感覚からは遠い。
自作型遊び方でのRPGの没入感を得られるような出来になっていないようだった。
異彩を放つあるクエスト
ところがこのゲームの中にはたった一つだけ、次世代RPGであることの”片鱗”を感じさせてくれるクエストが存在する。
それは2018年のデモでもプレイされていた、メイルストロームとの取引クエスト。
このクエストはこのゲーム全てのクエストの中でも異常に突出して分岐が存在しており、このゲーム内で唯一PnP系の次世代RPGを感じさせてくれるパートでもあるといえる。
単に分岐だけでなく、会話の選ばせ方やタイミング、展開のさせ方にいたるところの細部にまで、どのクエストよりも、いや、これまでのどのRPGの中でも群を抜いてRPGとしての没入感や緊張感があり、それに対する結果にも多彩なバリエーションが用意されている。
下記サイトのフローチャートを確認していただければ、そのパターンの多さを理解できる。デトロイトビカムヒューマン並みの分岐、結果が用意されているのである。
もしこのようなクエストが全体を占めるようなゲームであったなら、間違いなく次世代RPGとしてRPGファンから高い評価を受けていたに違いないであろうと感じさせてくれるクオリティのクエストだった。
しかし残念なことにこのクエストを除けば、他のクエストの規模のそれは平均的なオープンワールドRPGのそれと比較して”並より少し上”くらいの規模のものか、単なるお使いクエストに収まっているものがほとんどであった。
Cyberpunk2077 Twitterアカウントの説明文が変更されていた。
と、ここまでこのゲームがRPGか否かについて私なりの検証、レビューを書いてみたものの、ある決定的な情報を見つけてしまった。
気づいていた人もいるかもしれないが、このゲームの公式ツイッターアカウントの説明書きが、いつの間にか変えられていた、というもの。
元は「ダークな未来を舞台にしたロールプレイング」、だったのが、「オープンワールドアクションアドベンチャーストーリー」という文言に変わっている。
2019年6月から変更されていたようである。
ジャンルがRPGからアドベンチャーへと変わっていた。
つまり、Cyberpunk2077は少なくとも2019年6月の地点から、公式にRPGとして定義はしていなかった、ないしは、RPGとして宣伝をしていなかったということになる。
ツイッターアカウントだけでなく、公式宣伝サイトからもロールプレイングなどの文言の一切が存在しないことからも、少なくとも本ゲームが公式的にRPGとして重点を置いていないということではないか。
実際、アクションアドベンチャーと重厚なストーリーテラーのゲームとしとらえれば、数々のバグとオープンワールドとしてのインタラクティブ性の未完成さを除けば十分な出来。
グラフィックや演出を中心に魅せることに特化していることも、アドベンチャーゲームであればまさに相応しい内容であるし、そこにカスタマイズ要素がついているとらえれば、RPG要素はおまけとしてとらえることができる。
でもひょっとしたら、前述の異彩を放つクエストは、かつてはRPGとして作ろうとした頃の名残だったのかもしれない。あまりにもほかのクエストとは規模もその雰囲気もかけ離れているので。時間や資金など、リソースの都合で不可能と判断しRPGからアドベンチャーへの方向転換を決定したのかもしれない。
これは個人事だが、この告知なしにしれっとジャンルに関する内容が書き換えられていたという事実はショックだった。私個人はRPGとしての(特に上記の自作型の)サイバーパンク2077を期待してしまっていたので、この行為が「そもそもRPGとして作ってなかった」ということを内包するものであったとするなら、ほとんど詐欺に近い。
発表から約7年間ずっとRPGとして謡ってきた上、宣伝活動もその間にたくさん行ってきた。2019年5月時点まではtwitter上でもRPGとしてPRしていたのは間違いなく、2018年に公開されたプレイデモではこのゲームがロールプレイングゲームであることを強くPRするような内容だったから、まさかそんな宣伝のされ方をしていたゲームがその宣伝していたジャンルを変更するようなこと、それもこっそりとされることなど夢にも思わなかっただろう。
https://www.ign.com/videos/2018/08/27/cyberpunk-2077-gameplay-demo
他にも発売する前に公式が言っていた多くのコンテンツが実装されていないこと(着ている服が与えるソーシャル的影響→何を着ていようがどんな髪型だろうがサイバーウェアをつけていようが性器がどうだろうが影響なし、マップが小さい代わりに建物の中を作りこむ→ほとんどの建物に入れない、など他にも多くのカットされたコンテンツあり)、メタスコア90点のために現在バグだらけのPS4、Xbox one バージョンのレビューを意図的にさせなかったという不穏な噂。
https://opencritic.com/news/2000/they-knew-it-was-wrong-cd-projekt-red-deceived-consumers-anyway-
The Witcher 3は素晴らしいゲームであったと多くのファンが認めるものであったし、ゲーマーに対して真摯な姿勢を見せてきたCDPRだからこそ、それまでとはまるで打って変わってしまったかのようなこの“不信な仕打ち”の数々は信用を大きく失ってしまったのではないかと思う。
※2020/12/19 追記 PS4、XBOX ONE版の品質の理由とレビューができなかったのは、ギリギリまで開発していてレビュー製品の受け渡しがリリース当日になってしまったからだとのこと。
https://www.gamespark.jp/article/2020/12/15/104678.html
結論
このゲームがRPGか否か。結論から言うと、
RPGではない。
公式がRPGの表記を削除していること、アクションアドベンチャーだと表記していることからもこれ以上の証拠はないだろう。
RPGとしておすすめか
とはいえまったくRPG要素がないというわけではないし、アクションアドベンチャーが主であるものの決してRPG的な楽しみ方ができないというわけでもない。
このゲームがRPGなのかどうか、どちらなのかというのはもはやさしたる問題ではなく、このゲームに何を求めているのか、サイバーパンク2077をRPGとしてどう遊びたい思っているのか、それは可能なのか、によると思う。
昨今では同じRPGと区分されているゲームでも全くユーザーエクスペリエンスが異なるくらいRPGは多様化している。
例えばFallout New Vegas と Assassin Creed Vallhallaは同じオープンワールドRPGとして売り出されているが、同じジャンルとしてのゲーム体験を想定する人はそう多くはないと思う。
アサクリシリーズ、Falloutシリーズいうように、ジャンルというよりはゲームシリーズとしての体験を想定すると思う。RPGというジャンルは、もはやRPGというゲームがなんであるかを識別することができるタグの役割を全く果たしていない。
それを踏まえておすすめできるかどうかを私なりに整理して考えてみた!
PnP RPGの特徴に重きを置くゲーム、Fallout New Vegasのようなほぼパーソナリティ白紙の主人公を操って世界のあちこちを探索、冒険し、様々なNPCやロケーション、勢力とかかわって自由に行動、選択しながら後の進行に影響を与えていくというようなゲームを求めるなら、おすすめはできない
ファイナルファンタジーやThe Witcher 3のような、パーソナリティが固定のゲーム側で定義された主人公を操り、GTAやセインツロウシリーズのように既に表示されたマップ上のアクティビティを消化しつつ主人公を通して入念に作られた濃厚なストーリーを体験しVという固定のロールの中で与えられた選択肢を選びながら物語の展開を楽しむゲームを求めるのなら、おすすめ。
基本的にこのゲームは1人称視点か3人称視点かの違いを除けば、The Witcher 3と類似したシステムのゲームになっているので、同じような形で遊べば楽しめるようになっている。
もしそれでも前者のRPGをお望みなら、別のゲームで遊ぶことをおすすめ。アクションではないが、発売から今でもRPG愛好家の中で話題のDisco Elysium(日本語はないが、Pnp的RPGとしての完成度はすさまじい)、今年発売の中ではWasteland3、現在アーリーアクセス配信中のBalder’s Gate 3がおすすめ。
期待は必ず裏切られるもの
最期に、ちょっとした小話を。身もふたもない話かもしれませんが、何事にも期待してはいけない、ってことですね。どんなに話題になっているものであろうと、どんなに華やかに宣伝されているものであろうと、それにかける自分の期待というのは勝手なもの。多からず少なからず裏切られるものです。
自分の期待が他人の作ったものに合致するなんてことはありえない。宣伝なんてのはそれがどんなものであっても期待というものの前には「絵に描いた餅」にすぎず、実物を手にして自分で遊んでみるまでは「他人の噂話」以上のものにはならないということですね。
ゲームに限った話ではないですが、どんな宣伝のされ方をしていても期待は厳禁だということを私自身今回のことを機に改めて思い直しました。そもそも宣伝事態見ない方がいいかも。精々発売日がいつかくらいだけにとどめて。発売された時に先入観無し期待なしで楽しんだ方がずっと楽しいでしょう。
未来に発売されるゲームに期待するくらいなら今遊べるゲームで遊んだほうがずっと楽しいですね!
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