「自分は特別」の意味をはき違えると、私のような「勘違いおじさん」になります




 

特別であろうとしなくていい。特別、優秀な自分という「十字架」を背負わなくていい。

何の後ろ盾も誰かに認められる必要もなく、自分がやろうと思ったことをやっていい。

実際にやってみればわかる。その方がずっと楽で、ずっと楽しくて、

それが本当に自分が欲しかった自分であると。— Elepan.気づきのつぶやき (@Elepan4) April 28, 2021

一昔前、スマップの「世界に一つだけの花」が流行りましたよね。

「ナンバーワンにならなくてもいい。もともと特別なオンリーワン」

ご存じの方はわかると思いますが、発表当初に大流行し、それからしばらく時間がたっても紅白や学校の卒業式の合唱歌としても採用されるくらい、当時知らない人はほぼいないような親しみのある歌であったと思います。

私は当時中学生でその歌に影響をうけた口でした。もっともその自分が受けた影響、いや、私がその言葉を解釈したそれはいいものではありませんでした。盛大に自分をこじらせ、それもその拗らせは、齢30を超えても変わることなく「こじらせたおじさん」になってしまい、生きることにとても苦しむことになってしまいました。

「オンリーワンでいい」という意味

言葉の解釈は人それぞれだと思いますが、私はこれを「褒められる理由」としてとらえてしまいました。

「特別な自分でありたい。”他人とは違う褒められる自分”でいたい。」

承認欲求に飢えていた私は、その”甘い言葉”に飛びついたんです。そう勝手に思い込んで。

「周りとは違う特別な自分であれば、唯一無二になれる。そうすれば周りは私をずっと認めてくれる。ナンバーワンにならなくても、オンリーワンになればもう何も心配することなくずっと認めてもらえるんだ。」

承認欲求からの解放の言葉でもありえたはずのその言葉を、私は反対に、より承認欲求を求め続けるための別の言葉としてとらえてしまったのです。

“特別な自分=誰かに永遠に認められる自分”。それはまるで多くの人からあがめられるかのようなものをイメージしたものでした。

その言葉を聞いてから、まるで神のように唯一無二の素晴らしい存在として、周りのみんなに崇められたいと思うようになったんです。

でもそんな独りよがりな解釈はオンリーワンなんかではなく、実際にはナンバーワンを意識したものととほぼ変わらなかったのです。

“特別な自分”を、他人や社会との比較や競争からの解放というメタファーではなく、特別な唯一無二という”他者の承認というラベル”をめぐってほかの他者と他者の都合を満たしあう競争をし続けるメタファーとしてとらえてしまっていました。

だからほかの自分よりも褒められている人がいれば嫉妬しましたし、褒められない、好かれない、かっこいいと思われない自分がいれば、それが嫌で嫌でたまらなくなったりもしました。

その解釈の違いで、まさか自分の人生がこれほど不自由に、まるで他人の奴隷だと思えてしまうかのようなものになってい舞うとは思いもしませんでした。

この解釈の違いは、自分だけの人生を気持ちよく生きるか、他人と奴隷の鎖自慢で自分を消耗して苦しみながら生きるか、という二択だった。私は後者を選んでしまったのです。それも気づかずに選び続けてしまった。そんな私の人生は窮屈で不自由で後悔と嫉妬で満ち溢れた不幸な人生でした。

特別な何かになりたかった自分

今の私は「もともと特別なオンリーワン」というのは「ただ理由もなく正当性も必要なく、単に今の自分を自己承認していい、そのままの自分自身でいい」という意味であるとらえています。

誰かに認めてもらわなくても、誰かより上でも下でもなんでもよくて、単に自分は自分なのだからそれで充分なのだ、と。

しかし当時の私にそう解釈できる素養はなかったのです。

そう解釈したくなかったんです。「そんなのだせぇだろ」って。「誰にも認められない自分でいいだって?だっせ、なよなよして気持ち悪い」、なんて考えてもいたような気がします。誰にも認められない自分でいいなんてそんなのありえない。みとめられなかったらその人は人間として終わってるだけだろ、と。

そう思うのも無理はなかったのです。承認欲求に飢えていた私が、そんな自分の価値観や生き方を手放して、承認欲求のない生き方を急に知って受け入れることができるわけもなかったからです。

だから拒否反応を起こし、猛烈な嫌悪感を伴いながら退避したんですね

当時の私にとって褒められることは世界の全てだったのです。それ以外の生き方を少しも知らなかったんですよ。

他人の気を引くため、他人を待ち続ける人生だった

そんな私は特別な認められる自分になるためだけに、他人とは違うことを考えようとしたり、しようとしたり、なろうとしたりしてました。以下に誰かよりもすごくなり、誰かよりもかっこよくなり、誰かよりも特別で、誰かよりも特殊なすごいことを考えることができる人間になれると思っていたのです。

かっこいいと思って楽器を始めてみたり、おしゃれだと思って変わった音楽を聴こうとしたり、目立ちたくてメタラーのような奇抜なファッションで自分を装ったりもしたり、とにかく平均的な人という人物像よりも特別な自分になろうと「形」を変えて、人目を惹くことに必死になったいました。

自分が特別であることに誰かに気づいてもらうため。そんな自分を褒めてもらうため、とにかくそれだけしか頭になくて、必死でした。

ひねくれた性格になったのも他人が怖かったということもあるけれど、斜に構えて何かを考えることが特別で、かっこいいことだとも思っていたからなんです。

私は当時まさに「中二病」真っ盛り。自分は他人と違う、だから自分は誰かよりも“特別に上”なんだ。そうありたいとあこがれていただけでした。

その性質は、中学を卒業しても変わらなかったんです。アニメのキャラクターにあこがれ、その次はファッションや容姿、社会に出れば仕事の出来などの能力や地位に優秀さ。

全部ただ褒められたいがための手段を求めているだけで、その形が年齢とともに変わっただけ。求めるているものの本質はいつも同じで「褒められたい」「好かれたい」「賞賛されたい」だけだったんです。

大二病、意識高い系なんて言葉もあるけれど、みな同じものです。

単に他人の気を惹きたいだけ。永遠にき付けていたい。私だけをずっと見てほしい。拝んでほしい愛してほしい。それだけのことなんですね。

そうしながらも他人の気を惹こうとして惹けなかった時は、それはもう私はひどく落胆し、激しく自分を好きになってくれなかった人たちを嫌悪した。馬鹿にされればひどく傷ついた。絶望したとすら言ってもいいかもしれない。

そんな私の過去の中でも特に鮮明に記憶にあるのは、ある女性との思い出です。

学生時代、当時どういうわけかそんな自分を好きになった女性がいたんです。よくその女性に遠くから見つめられたことを覚えています。かなり大人しいタイプの人で自分からはほとんど話さない子でしたね。こちらが視線をやると、その女性は恥ずかしそうにさっと顔を伏せました。かわいい女性だったと思います。

彼女の気持ちを知る別のプレイボーイな友人から、「あの子の気持ち知ってんだろ?お前から声かけてやれよ」となんてことも言われました。

でも私もそれはできなかったんです。そんなことはカッコ悪いと思ったから。

いや、単にヘタレだっただけですね。自分から切り出す勇気なんてなかったのです。

「もし違っていたらどうしよう…勘違いかもしれない。あいつの嘘かもしれないし。もしそうならただ恥をかくだけじゃないか」

そうやって自分を正当化して、私はいつかその女性があちらから勇気を出して自分にアプローチをしてくれるに違いないと思っていたんです。相手が私を好きなのだから、あちらから出向くのが道理だろうとも思っていました。そんな風に自分を正当化して他人に自分にしてもらえることを期待してたんですよね。

そうして私はずっと待っていました。多分2年くらいでしょうかね?気づいてから。

ところがある日、その彼女に私ではない彼氏ができてしまったのです。後で聞いた話で、その彼から何度も熱烈なアプローチを受け続けついに折れてしまったらしいのですね。

ある日その二人が仲良く談笑しながら、帰宅しているところをみてしまいました。

彼女は実に楽しそうでした。それを見て、「あの子、あんなふうに笑うんだ」と思ったものです。自分には決して向けたことのない表情でした。

自分のことを好きだといっていたのに。その顔は自分に向けられるべきものだったはずなのに。と。

あの時の湧き上がってきた自分の気持ちは本当によく覚えています。いらだちと嫉妬と絶望が入り混じった、憎しみと悲しみが渦巻くグロテスクな感情でした。

「俺のこと好きなんじゃなかったのか?」「今までのあの思わせぶりな態度はなんだったんだよ?」ととてつもなく酷く落胆しました。

裏切られたかのような、自分が根本から否定されたかのような、そんな感覚でしたね。

それ以来女性を信用することができなくなりました。最も、元から女性不信ではったんですが、この経験はかなり強い決めてになったようにも思います。女性のそんな思わせぶりな態度も、言っていることも何一つ信用できやしないと思いました。

でもそんな思いも、ただ私が恩着せがましい期待を他人荷掛けていたことに対するものでしかなくて、勝手に期待して、勝手に期待した自分の気持ちに自分が裏切られただけ、だったんですよね。

特別であることが他人のいいなりになることに。

そんな自分も社会人になってからは、上司や先輩に気に入られるために仕事をしていました。

怒られないように、仕事ができるようになるように、とにかく気に入ってもらうためだけに仕事に精を出しました。

思うと私は、特別でありたいと思いながらも、常識的で普通な自分を演じることもやっていたんですよね。一見矛盾しているかのようですが、根本にあるのは同じ「他人にこうみられたい、みられたくない」というものによるものでした。それが様々な場面で様々な形で表れていて、それが会社などのフォーマルな場面ではこうだった。

突き抜けるならひたすらに突き抜ければよかったのに。本質はヘタレであるが故の行動ですね。

当時仕事実体は楽しかったんですよね。プログラムの構築は本当に楽しくて、具体的に見えて、実は抽象的な思考を使って構築していくその”建造物”の作成に、私は心を奪われました。

人は夢中になっているものには人知れずどこまでも行ってしまうものです。少なくとも周りを気にしている時よりもずっと早く、ずっと深くそこに入り込んでいくんですよ。

夢中になると、本当にまわりのことってみえなくなるんですよね。

気が付けば周りは私を評価してくれるようになっていました。先輩には気に入られたし、上司や会社からの評価もたかったです。

しかし、そんな”幸福な”時期はあっという間に、それも唐突に終わりを迎えてしまいました。それはある先輩に嫌われたことで起こりました。それを皮切りに、いじめが始まったのです。

詳しい内容は上記記事で書いているのでご興味があればどうぞ。

その時に感じていた感覚は今でも鮮明に思い出すことができます。なんならそれが10年以上続いていましたからね。

汗が止まらず、まるで背中から頭にかけて吊り上げられているかのように体が硬直し、肩に重い岩がのっているかのようで、まったく体が動かない。息をすることすらままならず、呼吸困難でトイレに引きこもる日々。

入社してから半年くらいだったと思います。親に会社を辞めたいと言ったら、「そんなすぐ会社をやめるなら出ていけ」といわれました。誰一人信用できる人はのこっちゃいなかったわけです。

そのようにして私は完全な人間不信となってしまったわけです。

自分独りで何もできない人間になっていた

気づけば私は、自分の意志で、自分だけの都合で行動することが一切できない、外や他人が怖くてたまらない人間になり果ててしまっていたわけです。

特別になりたいと思い、そのために他人に好かれる自分を求め続けていたら、それに裏切られてそっぽを向かれた。そこにいたのは他人の都合でないと動けない、そしてもう他人の都合が怖くてたまらない、「壊れた自分」がそこにいたのです。

思えばずっと他人に指図されて、他人に叱られて、他人に煽られて、他人にたきつけられて、他人に操られて生きていただけでした。他人に褒められることすら、結局その他人の都合に操られていただけのことです。

嫌われないことを探して生きてきた。他人の都合にそうためだけに、ひたすら他人にとって特別な自分になれる何かに必死になろうとしてきただけ。

それ以外にできること、やりたいと思えることがなかったのですね。

そんな私が完全に他人を信用できなくなり、他人の都合で生きること対する価値を失ってしまったことから、今まで自分が背負ってきた「特別な自分」という十字架にただ押しつぶされるだけになってしまったわけです。

捨てたいのに捨てられない

背負う価値なんてもうないことはわかっているのに、どうしてもその十字架を捨てることができませんでした。

それだけ自分をずっと洗脳してきたからです。褒められなければいけない、特別でなければいけないと、それだけのために生きてきたから。

他人の都合を背負って生きる以外に生きる術を知らなかったから。生きる意味がない気がしたからです。

その十字架が唯一の自分の生きがいで、生きる意味で保証でもあった以上、それを手放すことなんて恐ろしすぎてできなかった。

完全に袋小路だった。どうしようもない。どうしたらいいのかわからない。

どうしたいのか、なんて考えられもしない。

いつ自殺してもおかしくないような精神状態でした。体中が痛くて重くて、寝てるときすら呼吸もうまくできない、まさに生き地獄

親も信用できなかったため、独りで生きようと部屋を借りましたが、既に自活できる能力はなく部屋は荒れ、瞬く間にごみだらけになってしまっていました。

そしてある日「嫌われる勇気」に出会います。その本を読んでから、自分を変える日々が始まりました

自分が背負ってきた十字架を捨てるために、毎日自分や自分の過去について考え、これまでに積み重ねてきた様々な歪んだ自分を掘りあて捨て続ける日々を送り続けることになりました。

十字架を捨てて自由に

そんな私の今はというと、その十字架を捨てることができ、とても生きやすくなりました。人間不信は既になくなり、私にとってこの世に75億人以上存在するほとんどの他人たちという存在はその十字架と同じくらい”取るに足らない存在”になったのです。

といっても別に見下しているわけじゃないんです。単にただみんな生きているだけ、自分も他人も、ただの人間に過ぎなかったということに気づいた、そんな感覚です。誰かに褒められてもけなされても、何の意味もなかった、ということに気づいたわけです。

またその過程でいろんなことに気づいてきました。例えば私は、私が思っているずっと以上に他人に興味がなかったということ。他人に対する興味そのものが歪んでいた、といった方がいいかもしれません

私が興味があった人はみな、自分に何かしらの見返りをくれる人だけでした。見返しをくれない人には興味をもてず、それはつまり、自分の好奇心で他人にかかわったことがない、ということだったんですよね。

常に”見返り”を得るためだけに生きていた自分を捨てることができた

あの私を好きになった女性にだって、思い返せば私はほとんど興味をもってなかった。

自分を好いてくれているということ理由で彼女に興味を抱いていたから。

自分からそんな”見返り”もなし彼女に興味を持ったことなど一つもなかったのです。

いや、彼女にかぎった話じゃないでしょう。今までの友人たちもみな、単に自分を気に入ってくれたから交友を続けていた人ばかりでした。

趣味も仕事も、何もかも見返りを前提としていたのです。それを楽しむこともほとんどせず、常にその先の結果を求め、他人や社会に認められることがだけを考えていた。

私は常に”見返り”を期待しないとあらゆるものに興味を抱こうとしてこなかったわけです。

人間関係に対する思い込みを捨て、本来の自分を取り戻した

これまでの自分は嫌われたくない、いい人に見られたい、尊敬されたいという気持ちのために誰とでも関係を結ぶことを強いてきただけだったのです。

そのために常に他人によく反応しなければならない、気にしなければならない、というような思い込みを持っていた事に気づきました。

個の思い込みにいたったのはいろんなこれまでの人生で経験したことが要因なんですが、その中でもターニングポイントだといえる経験があって、それは、小学校や中学校の頃に「お前はよくぼーっとしてる」とクラスメイトや教師からバカにされてきたことだったと思います。

「ぼーっとしている自分」こそが本来の自分であったのに、周りからバカにされてそれが嫌で、ダメなことだと思ったから、そんなぼーっとしている自分が嫌いになって、いつも必死に他人の顔をうかがって反応するように自分を洗脳したのです。

でも本当はもとの自分でよかった。ぼーっとしている自分でよかったのですよ。そうしていたかったのですからね。

そうしている間、自分はいろいろと考え事をしていて、それはそれでとても楽しくて心地よかったのです。国語の教科書に載っていた物語を何度も読み返して空想に浸るあの時間は、今思うと満たされた時間でした。

自分は自分でいい、というのはこういうことだったのだと思いました。自分という軸をもっていていいというのは、そんな自分のままでよかったのだと。ぼーっとしている自分でよかったのだと。そんな自分を軸に自分を高めることを成長というのだということを知りました。

それを他人との都合や他人の言うこと、他人と同じになることで自分のコンプレックスを克服しようとするのは大きな間違いだったのです。

特別であるというのは、十字架を背負うことなんかじゃない。

自分を正当化する理由なんかでもなんでもない。見返りを求めるための保証でもなんでもない。

ただ人はもとから違っているというだけ。その違い、自分自身をそのまま認めていいってことだったんです。

だからただ自分のために、自分が感じるままに、何も背負わず生きればいいということをただ言っているだけ。

ただ違っていい。違った今の自分のままでいい。何にも合わせず自分で生きていい。

ただ今をリラックスして、今感じる目の前をすごしてよかった。それだけのことを言っているだけだったんですね。



自己紹介

Name : Elepan

元うつ病患者 (闘病歴10年)

約10年間うつ病でしたが、多くの自分の歪んだ思い込みに気づきそれを捨てることで独学で立ち直りました。その「気づき」の記事を本ブログにて日々更新中です。
一人でも誰かの役に立つ情報になりますように… その他にも遊んだゲームの情報、世の中のことで疑問に思うことなどなどについて考えたことを色々まとめています。

 

2件のコメント

Elepanさんの経験談がまんま自分で笑っちゃいました。
自分のことを好きだった後輩の女の子が先輩の男と付き合った時の感情は何とも言えなかったです。別に自分が対してその子に対してアプローチするわけでもなく、告られるのを待ってました。その結果がそれでした。気分は胸くそ悪かったですね、自分が悪いんですけど。
あとはバイト先で上司に嫌われてからは動悸が止まらなくなり結局辞めました。
いい待遇だっただけに残念でした。パニック発作もよく起こって死の恐怖がすごく大きかったですね。自殺も考えましたが何とか生きてます。
まー全部待ちの姿勢だったんですよね。自分から行動するのが怖くて仕方ないというか。奴隷根性が骨の髄まで染み込んでました。
たぶんこういう思考回路とか態度ってアダルトチルドレンとかメンヘラに多いですよね。これは完全に社会とか学校教育と親のせいです。私も昔はは完全にそうでしたが、今はだいぶ治ってます。Elepanさんの記事はゲーム系以外は全部見させてもらってます。すごく参考になります。
なんていうかすごい誠実で正直な記事ばっかりで、かっこつけようとしてないところが非常に好感が持てるしためになります。
そういう記事ってあんまり今のネット上にない気がします。金稼ぎのための中身スッカスカで広告べたべたのクソ記事が多い中で、このブログに出会えて感謝してます。
あと音楽の趣味も合いますね、NINファンなんで。(笑)
長くなりましたが、これからも応援しております。
お互い人生充実させていきましょう!

パニック発作ですか…それは大変だったと思います。私も同じく毎日呼吸困難や痛みの苦痛から解放されたくて必死でした。

> たぶんこういう思考回路とか態度ってアダルトチルドレンとかメンヘラに多いですよね。

アダルトチルドレンやメンヘラといわれる人には多いかもしれないですね。家庭環境や交友関係、学校での教育など環境によって自分を素直に出すことが自然でないように感じて育ってしまうと他人が怖くなってしまって、他人の許可を動機にしないと行動できなくなってしまうというのはありがちだなぁと思います。

> なんていうかすごい誠実で正直な記事ばっかりで、かっこつけようとしてないところが非常に好感が持てるしためになります。

自分に誠実、正直でいるのってとても気持ちがいいですよね。以前はそれが怖いと思ってましたから全くできませんでしたが、できるようになってみるとそのすがすがしさに本当に驚きます。誠実であることを他人のためだと思っていたころは、「そんなダサイことやらんわ」なんて息巻いてましたけど、自分のためであることがわかってからは、今まで勝手に自分がつらい生き方を選んできたことを痛感せざるえませんでしたね。

これは個人的な所見なんですが、多分私の世代(20代後半から30代前半)以上の世代を中心に、承認欲求を基底に生きている人というのは多いんじゃないかなと思ってます。人を怒鳴り散らしたり、威圧したり、ネットで誹謗中傷を行う人も、多分その多くは承認欲求が基底にあるんじゃないかと。実際これまでいろんな人と会いましたが特に社会に出てから出会う人々を中心に、いつも余裕がなくてイライラしていたり、拗ねてしまったり、人の愚痴ばかり話していたり、他人が怖いのだろうなという姿勢が見え隠れしてるように見える人がたくさんいました。

賞罰教育が一段と濃い時代を生きていたでしょうし、自分を押し込んで無理やり他人の都合で自分を埋めて生きることを徹底してきたでしょうから、それが普通になっているんだろうなと。

なのでそういう”空気”はまだこれからもしばらく続くんじゃないかと思っています。
でも次の世代にはこんなつらい生き方を伝えたくないとも思います。だから今の世代に生きている私が彼らにできるのは、自分の人生を生きるということを体現することなんじゃないのかと最近は考えてます。

子供は親の背中を見て育つといいます。子供は自分がなりたいものになりたいと思って育ちます。

私は「そのなりたい背中」を作りたいなと。何より第一に私自身のためでもありますしね^^。

一人一人が自分の幸せを追求していく時代を作るためにも、自分が幸せになることが先決ですね!励まし、応援の言葉ありがとうございました!お互い充実させていきましょう!

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