「生きていたくない」「死にたい」は甘えなんかじゃありません





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鬱、生き方関連の記事は以下の考え方を基本として書かれています。もしご興味あればどうぞ!

→承認欲求は捨てられるもの

2022/04~現在、再度全体的に記事の見直しを行っています。修正したものから順次最新更新日で更新していきますのでお楽しみに(?)

 

自分の気持ちに正直なのは甘えなんかじゃないですよ

生きていたくないと思うのは多分、今生きていることが何らかの原因で「苦痛」で仕方がないではないでしょうか。

学校に行きたくたくない、会社に行きたくない。そんな「したくないけどしなきゃいけない何か」がある。それからは逃げられない、逃げたら終わり、だからやらなきゃいけないことなんだって。。

でもやっぱりそれが嫌で、その苦痛からは解放されたくて逃げたくて。その強烈な自己矛盾と自分の「素直な気持ち」の摩擦が極限まで高まって生きていたくない、死にたいという思いに駆られていたりはしませんか?

だったらそれは甘えでもなんでもないんです。それ自体は、自分に正直な気持ちというだけなんですよ。

といっても死にたい、生きていたくないが正直な気持ち、というのは違うんじゃないかなと思います。本当のところは逃れたい、解放されたいというところではないでしょうか。

楽になりたい、安心したい、何もかもから解放されて、安心しきって眠っていたい…

そんな心の安らぎが欲しいものではないでしょうか?

じゃぁ逃げよう!でも…

だったら逃げちゃいましょうよ。楽になるために、安心するために、いやな人から。嫌な何かから。いやな誰かの都合から。自分が行きたくないところから。自分が好きではないことから。

本当に自分が求めている「楽になること」「安心すること」を始めてみませんか

自分を苦しめるものを何もかも投げ出して逃げてしまったらいい。学校が嫌ならもう行かなきゃいい。学校のクラスメイトにいじめられているならその学校にいかなきゃいい。

仕事が嫌ならやめてしまえばいい。もっと楽な仕事だったり、時間にゆとりがある仕事、人と付き合わなくていい仕事、自分にもっと合った仕事を探せばいい。仕事自体がしたくないのなら、そもそもそれは精神的に相当追い詰められているわけで、うつ病の診断をもらって休職したり障害年金をもらって療養すればいい。

とにかく自分が楽になる、安心するためにできることをやってみたらいいんです。

ただ我慢しているからつらいんだと思うんですよね。現状の今自分がつらいと置かれている状況に対して身も心もただ耐えるという形をとっているから。逃げることを選択肢から排除してしまっている。逃げられないからそこで我慢するしかないと思い込んで踏ん張り続けているからそれがどうしようもなくつらくてたまらない、そんな風に陥ってしまっているからではないでしょうか。

だったらその我慢をやめて、楽になったらいいんですよ。

…と思っても、いざそうしてみるのってやっぱり怖いですよね。気持ち的に。

経済的理由だったり将来の不安だったり。もしここで逃げたら自分は終わってしまうんじゃないかって。逃げたら周りからどんな目で見られるだろう?もう誰も自分のことを認めてくれないんじゃないか?誰からも愛されないんじゃないか?戻れないんじゃないか。

そんないろんな不安や恐怖がもう限界まで来ていて、自分ではどうしようもなく手詰まりで、それで飛躍した極端な手段の、「死にたい」と思ってしまう。

だったらもう、死んだ方が楽なんじゃないか?と。

本当に逃げられないもの?

でもちょっと待ってください。その苦痛って本当に逃げられないんでしょうか。逃げちゃいけないんでしょうか。例えば末期の病気からのどうしようもない肉体的苦痛だとかいったものだと難しいのかなぁ…とおもってしまいますが、しかしそうではなく例えば人間関係の問題でしたら逃げることは全然できるんではないかと思うんです。学校のクラスメイト、職場の人間関係。そういうものが嫌ならそれはそこに行かなければいいんですから。

仮にその人たちから、あるいはそれ以外の人たちや社会から「そんなのは甘えてるだけ」とか「怠けてるだけ」とか言われるのが怖いから逃げられない、自分を否定されるのが怖い、「負け組」だとレッテルを張られるのが怖い、そんな人間になるのが怖いから逃げられないというコンプレックスが理由だったら、それは全然コンプレックスだと感じる必要はないんですよ。

他人の生き方を勝手に決めたりジャッジできると思っている彼ら彼女らの思考回路こそが甘えですから

過去に自分が何から逃げた話をすると「君は逃げたんだね、そんなことくらいで、気合が足りないよ」とかそんなことを言ってくる人ってたまにいますけど、そんな風に自分の個人的な尺度を他人に当てはめられると思っていることこそが甘えなんですよ。

なぜか。それは他人に自身の人生の決定権をゆだねられていると思っている人の発想からくるものだからです。人に認められているから自分は生きていける、人に自分の人生の価値を決めてもらえると思っているからこそ、自分は人生の価値を知っていてそれで誰かの人生の何たるかも決めることが出来るんだ、ジャッジできるんだと思い込んで、頼んでもいないのに勝手にジャッジしてどや顔決めているわけで

もし自分の人生は自分が決める、自分だけが決められると思っている人であれば、そもそも他人がなにをしようがどうでもよく、それに口出しなどする必要がありません。他人の尺度も都合も自分には関係はないし、世の中や世間の目がどう思っていようがなんだろうが関係ない。

ひたすら自分の人生を楽しんで生きるだけですし、それだけで既に大忙しです。

だから誰かの人生に口出しをしようだなんて発想はでてこない。自分と他人は違っているのが当たり前なのですから空気が当たり前にあるように、それに一々指摘をする動機も目的もない。

つまり、人をいじめたり嫌味を言ったりジャッジしたりマウントとったり、他人の人生に一々妙なおせっかいをたてる、そんなことを言う陰湿な性質をもつ人々しかそれをしないわけです

逃げること自体は甘えでもないんでもない、ただの自分の選択、欲求というだけなんです。

だから彼ら彼女らやその言い分を怖がる必要なんてないんです。あんなことを言っていても実際的にはあの人たちはみなただのヘタレなんですから。自分がマジョリティだと思い込みそこに所属できているか安心できているという、お手本ありきの一人で自分の人生を意思決定できない依存心全開のヘタレなわけなのですから、おびえて生きている人に何を言われようが何も恐ろしいことなんかありません。

純粋な自分の意思決定を他人が甘えだなんて言うのはおかしい話です。

「楽になりたい、安心したい」

そんなただ純粋に感じている自然の欲求を他人が甘えだといって否定するということは、自分の意志に嘘をついて他人や社会の都合のために我慢をして苦痛の中不幸に生きろと命令しているようなものなのです。

要約すれば、彼ら彼女らは他人に「不幸に生きろ」なんて言っている。そんな戯言を真に受けているわけです。

あなたは不幸になるために生きているわけじゃないはず。苦しみたくて苦しんでいるわけではないはず。他人の言うことに振り回されるために生きているわけではない。

むしろ幸せになるために生きている。楽に、もっと快活に、気持よく生きたいと思って今日も生きている。

楽になりたい、安心したい、今自分が、今この瞬間そう思っていらっしゃるのならそれが答え、全てなんですよ。

じゃぁ自分で決めていいじゃないですか。楽になるために何かをしていいじゃないですか。

死ぬ必要なんかどこにもない。というか、死にたいなんて本当は思っていないんですよ。楽になりたいって思っているならそれがその証拠。だって楽になるっていうのは、今の苦痛から解放されて気持ちよくなりたいってことでしょうから、それって生きたいってことですよ。気持ちよく生きたい、楽になって生きたい。それが答えだと思います。

だから逃げるって方法を思いついたならいますぐとったらいい。楽に生きるために。甘えた他人のいう「不幸の生き方」で自分を追い詰めることなんかよりも「自分だけが求める幸せ、楽な生き方」を選んで自分を苦痛から解放して生きていいじゃないですか。

それを選ぶってすごく勇気がある生き方なんですよ。自分でそう思っていることを実行する、つまり他人をあてにせず自分で自分のことを自分で決めているのですから、勇気ある行動以外のなにものでもない。それが何かから逃げることでも何でも同じことです。

逃げるにかぎらず、自分がそうしたいと思うことなのならただ素直にそうしたらいいだけの話なんですね。法律を破ること以外であれば。周りはそれでいろいろいってくるかもしれませんが、そんな他人の都合なんて関係ない。関係させなくていいんです。

そもそも、自分を不幸にするようなことを言ってくる人に嫌われても別にいいじゃないですか。その人と付き合いたいですか?そうでないなら関心をむける理由すらない。その他人が自分の人生を保証したり守ってくれたりはしませんし、自分のことを決めつける力もありません。別に彼らは神様でもなんでもない、ただの自分と同じ先のことも何もわからないただの人間なのですから、その他人に何かを保証されようがけなされようが、本当に先のことを保証できているわけではないわけで、それにすがる必要も本気にする必要もないわけですからね。

「あなたのためを思って言ってる」なんて恩着せがましいことを言う人もいますけど、あれって嘘なんですよ。全部その他人の都合で言っていることですから。全部その人本人のためでしかない。人を自分の尺度で救って自分はいい人だと思いたい、自分の人生はそれで証明されたんだと思いたい。そんなその他人がすっきりする何かのために、あなたは使われているだけに過ぎないのですから。

人間は究極的にずっと最初から最後まで自分のことしか常に考えてません。自分も他人も、それぞれの個人的な目的をもってただ今日を生きている。本当の意味で誰かのために生きている人なんてどこにもいない。親だろうが友人だろうが会社の同僚だろうが上司だろうがなんだろうが、みな同じです。自分が欲しいもの、やりたいこと、すっきりすること、安心すること、気持ちがいいと思うものものを求めて、今日もひたすら生きているだけです。

「逃げちゃ”いけない”」なんて思わなくていい

「だってここで自分が辞めたほかの人に迷惑がかかるから」

「嫌われるから。」

「社会的地位を失ってしまう。給料がなくなる。家族に合わせる顔がなくなってしまうよ。」

誰かにそう見られたり、他人から嫌われるのが怖くて逃げられなくなっている人もいるかと思うんですよね。逃げちゃだめなんだ、って。自分だけの都合で逃げるなんて最低だ、って。

でも全部これ他人の都合なんですよね。「やらなきゃいけないこと」ってみんな他人の都合を満たすためのタスク。

本当はやりたくないことなんですよね。逃げちゃいけない、っていうのは逃げたいっていう気持ちを必死に押し殺して無理やり自分を動かそうとしているわけで、そりゃぁつらくて死にたいとか生きていたくないと思ってしまうのも無理はないです。

でもそうやって自分を追い込んで、本当にそれで自分は得してるんでしょうか。というのは、そう我慢し続けることでいつか見返りがもらえるんでしょうか。他人に好かれたい、変な目で見られたくないと思って無理やり何かをしても、望んだその見返りって得られないことの方が多いんじゃないでしょうか?

モチベーションの問題や精神的疲労でむしろ却って迷惑をかけたりして、結局想定通りにならないことが多いと思うのですよね。余計嫌われたり怒らせたり、結局途中でやめることになってしまったり。気にすることで達成しようとしている他人に嫌われないことが、気にするが故に自分を精神的苦痛に晒して不安定になり、余計にかえって満たしづらくなっている。

はっきり言ってこんなことを続けても、何もいいことなんてないんじゃないでしょうか?

むしろそういう態度を嫌う人すらいますし、優柔不断な態度やよそよそしい人は信用しない、例えば「キョロ充」「八方美人」嫌いという人もいます。

他人の都合って、どんなにどうにかしたいと思っていても、あらゆる手を尽くしてもできることじゃないんです。

自分がどんなに頑張って、我慢して、何かをどれだけ気にかけて行動したとしても他人はそんなこちらの「思い」なんて関係ありませんから。その「思い」は自分の頭の中にしかありませんからね。人は他人の頭の中をのぞくことが出来る仕組みを持ってません。

だから他人はそんなこと何も知らず好き勝手に他人の都合でこちらにかかわってきますし、他人の都合でこちらを評価したり、他人の都合でこちらを好きになったり嫌いになったりするだけです。こちらの思惑なんか気にせずにその他人の都合でこちらを使うだけです。

皆それぞれの自分の好みや価値観があって、それぞれは独立した個のもので、かつ孤立したものです。癒着も融合も実際はできず、同じ価値観も思想ももつことはできない。

分かり合うなんて、人間には身体的な仕組みの部分で既に不可能なんですよ。

だから本当はこの世に普通や常識といったものなんかない。だって誰も分かり合えていないなら、どうやって共通の思想、つまり普通とか常識っていうのを持てるのでしょうか?

みんなただの思い込みなんですよ。自分が勝手に常識や普通だと思っているだけ、常識や普通というものを語り、言葉に同調しようとしているだけで思考に対して同調しているわけじゃない。

実態は何も理解しあってなんていない。確かめられない。ただ言葉を交換して、そのつもりになっているだけです。

ただ言える確実に起きていることは、気にすることによって自分の素直な気持ちや欲求にただただ蓋をしてしまうことことだけです。

つまり、他人を気にして我慢したところで、必死に合わせようとしたところで徒労でしかなく、ただずっと耐えることが続いてしまうだけなのですよ。結局救われないまま、ずっと苦役を続けることになってしまうんです。

だから他人や社会のいう様々な都合に自分の意志に反してまで合わせることをやめていいんですよ。ただの苦役でしかなく何のメリットもないわけですから。

他人ファーストなんてしなくていい。自分ファーストでいいんです。

だから他人の言い分なんてどうでもいい。逃げることが悪なんて言う言い分も無視していいものなんです。ただの選択肢の一つです。背負わなきゃいけないようなこと、絶対やらなきゃいけないものなんてこの世にはない。そんなものは、この世に「在るもの」なんかじゃない、もしそれをあるという人がいるなら。それはその人が勝手にそう思い込んで作り出したただの虚構です

仕事でも家族でも、もし自分がそれにとってどうしようもなく重くてつらくて、今それを望むなら、それを自分の肩から降ろしてもいいんです。

この世に絶対的な義務も善悪も何もありませんから。何をやっても結局はただの自分の選択、行動です。

生き方は一つじゃないし、正解も間違いもない

今の自分の生き方以外にも、選べる生き方ってたくさんあります。今の仕事や学業をやめて、ほかの生き方を模索してもいいわけです。職場を変えるなり、勤務形態をかえるなり、行く学校を変えるなり、休学するなり、アルバイトするなり、なんでも道はあります。

そのなかに正しいも間違いもなくて、ただその中からその時に自分がそうしたい、そうありたいと思う何かを選ぶだけなんですよ。正解の生き方なんてありませんし、何を選んでも必ず保証された人生を送れるわけじゃないし、その反対もない。

そんなのは今日の世界で起きているいろんな出来事をみればすぐわかります。コロナ、戦争…そういうものって自分がこれまで生きてきた保証されると思っている何かを守って我慢していれば防げたものなんでしょうか。他にもこういう事はいろんな形で起きるでしょう。自分がどんなに我慢をしていても防ぐことなんてできない。病気だったり災害だったり事故だったり、ほかにもそんな要因ってたくさんあるんですよ。

自分の描いている理想なんかおかまいなしに、知らぬ顔で現実はただ流れ続けるだけです。

いくら何かに守られたいという思いがあっても現実は常に知らぬ顔です。現実は泣きも笑いもせずただ流れているだけのものですから。人間がどれだけ立派な何かを作っても変わることはない。

社会的地位なんて結局ただの”ラベル”にすぎませんし、自分自身でもなんでもない。会社や組織を辞め離れればだれしもただの人です。社員証や学生証と変わりません。実際は何のラベルももたないただの人。それが本来の自分なのであって、例えばどこかに所属していたり何かしているから自分は優れた存在である、普通である、なんていうのは単なる思い込みにすぎません。

立場やステータスにすがって自分をまともであるとかすごい人間だと思い込んでいるだけですし、ただ担がれてるだけなんですよ。他人が作ったなんらかのただの神輿に自分がたまたま乗っているだけ、乗っている人自体は別に自分でなくても誰でもよく、それを担ぎたい人が担ぎたくて担いでいるだけの話しで、その人たちそれぞれの都合の問題でしかありません。

常識や普通なんて、結局はただのマッチポンプにすぎないのですよ。

誰も「正解の人生」なんて知らない。そんなものを誰かがもし知っていたら誰も人生で悩んでない。誰一人しなず、誰一人不幸にもなっていない。そして皆一様に全く同じ人生を送っているでしょう。

でも世の中はそうはなってない。もしそうなっていたら、この世はこんなにバラエティ溢れた姿にはなっていない。来ている服も髪型も仕事も趣味も家族も文化も価値観もイデオロギーもみな違い、いつどこで何をするかどんなことを体験するかも違う。

人それぞれの価値観が根本からそれぞれ違う以上、その中にそれぞれある正解や間違いという形がどのようなものなのかもわからないわけですから、この世の正解、常識、普通なんてものは探りようすらないのですよ。

お金はたくさんあるけれど不自由な人生か、お金はなくて貧乏だけど自由な人生。そのどちらが正解かなんて争ってもどちらが正解かを真に決めることはできません。個人の価値観や人生の形でその捉え方はいくらでも変わりますから、検証のしようがないのです。

だから自分が好きに選んだらいい。自分が思う事自分が感じることが自分の全て、世界の全てです。

だからもし死にたい、生きていたくないなんて思わなくても、ただ自分が逃げたいものから逃げたらいい。単純な話なんですよ。

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自己紹介

Name : Elepan

元うつ病患者 (闘病歴10年)

約10年間うつ病でしたが、多くの自分の歪んだ思い込みに気づきそれを捨てることで独学で立ち直りました。その「気づき」の記事を本ブログにて日々更新中です。
一人でも誰かの役に立つ情報になりますように… その他にも遊んだゲームの情報、世の中のことで疑問に思うことなどなどについて考えたことを色々まとめています。

 

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