少し前、産後はうつは甘えである、ということがツイッター上で話題になっていたことを知りました。
そのツイートの内容を引用すると
「もし奥様が「産後うつ」を言い訳にして家事や育児を怠ったら怒鳴りつけて躾けましょう。私は産後3ヶ月で衆議院議員選挙を全力で駆け抜けました。
「産後うつ」は「甘え」です。」
というもの。しかこれはおそらく多くの人にとって有益な情報にはなりえないのではないか、話題にはなるかもしれないけれど、それによって不利益になることの方が多いのではないかと感じました。
なぜかというと、あまりにも説明不足すぎると思うのです。なぜ産後うつは甘えなのか、その根拠があまりにも乏しすぎると思うのですよね
目次
この人の場合にとっては、の話なだけ
まずこの人は産後うつは甘えであるという根拠について、「自分はこうしたから、できたから」という理由だけを添えています。
自分は産後3か月で衆議院選挙に挑んだ。だからほかの人もできるでしょ?できて当然でしょ?という理屈です。
本人にとっては事実なのは間違いないでしょう。でもそれは悪魔でこの人の場合は、という話でしかないと思います。
この人の基準が世界標準というわけではないし、この世に存在する人間がすべてこの人であるわけでは当然ないように、人それぞれ価値観や考え方は違うし、あり方も目的もすべて違います。
そんな中でただ「甘えだ」と指摘して、無理やり何かをやらせるようなアドバイスは助言としてはあまりにも押し付けの印象の方が強く、昨今の男女平等の社会の価値観が推奨されつつある中、片方が一方的な労力を強いられるような状況を推奨するような意見はほとんどの場合で軋轢を生むだけで、もしその助言を真に受けて採用したとしても、関係がこじれて険悪になってお互いにとって望まない結果になるケースが多いのではないかと思います。
助言というよりは支配文句
産後の状態の心の状態であったりとか、そのメカニズム的なことについて一切の説明がなく、根拠が「自分はできたから」という自分の経験談のみであることと、そのパートナーに対して「そんなの甘えだからしつけて言うこと聞かせればいいよ」という強要のアドバイスのことであることから、ただの都合のいい支配文句でしかなくなってしまっているように見えます。
パートナーが産後の奥さんをしばいて無理やり動かしてやれ、支配してどうにかすればいいのだという内容でしかなくて、それについての前提条件的な具体的の説明もないので、多くの人にとってはただの攻撃的な意見でしかなく、役に立たないケースの方がおそらく多いでしょう。
前提条件を満たす場合、つまりある条件を満たしてこの内容が役に立つことがあるとしたら、それはもともと亭主関白的な発想の元の家庭を築いている人くらいであると思います。それに奥さんも納得しているという前提があって、初めて“有効に機能”する。かつそのパートナーに値する人(多くの場合は夫)が、彼女のツイートを見ている前提でないと何の助言にもなりません。
そういう限られた人にだけ助言したかったというのであれば、それは発信する対象を絞るような内容の方がよかったし(例えば、亭主関白な夫、奥さんがあなたにべったりの方へ、もし奥さんが産後うつで〇〇だったら…みたいな感じ)、
「これは自分に向けられたアドバイスではないな」という判断できる内容がツイートにあれば、ここまでの反発もおそらくなかっただろうし、必要な人だけが読んだらいいだけの情報になっていたんじゃないかと思います。
もしツイッターの性質上1ツイートに対して入力制限があるからそんな細かい説明していられない、という理屈なのであればツイートを分ければいいわけだし、そんなのめんどくさくてやってられないというのなら、最初から発言しなければいいだけの話です。
それを全部無無視して、あるいは気づかず支配的なアドバイスをした、というのがおそらくこの問題の争点でもあり、産後うつは甘えである、という意見は根拠に乏しく、真実とは到底いいがたいものであるというのがこの問題の結論ではないかと私は思うのです。
毒親的発想
叱って無理やりいうことを聞かせるっていう考え方は「他人を自分の思い通りに支配したい」という支配欲から来ている発想に見えます。
これはいわゆる毒親的発想で、自分の思い通りに子供を育て、動かそうとする親の心理と似ていますね。
もしこれを受け入れるということであれば、きっとそのやり方を生まれてきた子供にもやってしまうじゃないかと思います。
そうなるとその子供は、親の言うことを聞くために生きる子供になってしまって、自分に自信が持てない、不幸な子供になってしまうかもしれない。
そうなったらどうなるか。それに対しては子供は恨みを抱くかもしれない。
その矛先が自分に向くかもしれない。
あるいはそれならまだましな方。それが他者や社会に向くことになり、人を私怨で殺してしまうなんてこともあるかもしれない。
秋葉原連続殺傷事件や附属池田小事件のように、彼ら容疑者たちの家庭環境はみな支配的な親である毒親の存在があったようです。
そのような子供を育ててしまうかもしれません。
産後うつの課題で重要なのはコミュニケーション
私は子供を産んだことはないし、産むこともできないので産後うつという感覚がなんなのか、どういうことなのかについて何も説明することはできないですが、
産後うつという言葉はこの症状によって何か困ることが起きるからこの言葉は生まれたのだと思うのです。単にうつではなく、産後うつというのも、産後はホルモンバランスなどの崩れによって抑うつ気分がでるといういうこともそうだろうし、産後の体力が低下している状態ではパートナーに対して何らかの協力が必要な状態になるタイミングが存在するから必要になった言葉だと思います。
その必要というのは何に対してか、というと、それは多くの場合はパートナーとの人間関係に関する問題であることではないかと思うのです。
健康だったころのようには動けないということ、気持ちが沈んでいるから同じかかわり方はできないかもしれないということ
そういうことを、相手に伝えていくことがおそらく重要なんじゃないかと思うのです。だからこそこの言葉は生まれ、必要とされているんじゃないでしょうか。
自分がしてほしいこと、してほしくないこと、これはいやな気持ちになる、これはうれしいと思うこと。
そういったことを話していく機会を作るために。自分の気持ちを表現して、相手に聞いてもらうために。
話をすれば時には相手が反発することもある。でも時にはそれでお互い了解を得ることもある。でも、そういうことを繰り返していくことが、共同生活なんじゃないでしょうか。
会話がない家庭には救いがありません。これは私自身の経験上自身をもっていえます。その家庭で育った子供は、自分の思ったことを素直に言うことができなくなるんですよね。なぜかというと、直接話さず陰口ばかりいっていると、「相手に自分の思っていることを言ってはいけないんだ」と子供は思ってしまうからです。
相手を一方的に悪者扱いしようとすると、子供も親の真似をします。そして子供も同じように「自分に都合よく察してくれない人はみんな悪人だ」と思い込むようになります。それによって生きづらさが生まれ引きこもりになったり、自分をそんな風にした家族が憎くなって、縁を切られたりするんですよ。
でも現実は、みな自分に都合よく接して言うことを聞いてくれることなんてないのです。超能力者じゃないですし、義理もないですし、みな自分の人生があります。皆にとって重要なのは自分ではなく、それぞれの当人の人生なんですから。
だから家族として幸せに生きていくためにも、何より家族を幸せにしていくためにも、コミュニケーションはとても大事なことだと思うのです。
そしてコミュニケーションにおいて人ができること。それは、自分の思いを素直に表現すること。相手の話を聞くこと。これだけなんです。
だから産後はうつは甘えだと押し付けることよりも、かといって産後うつだから名でも気を使って当然と開き直ることでもなく、
産後うつであるから自分はどういうことがしたいのか、どういうことがしたくないのかということを言葉にして伝えること。自分の感覚や気持ちに素直になって、嫌われるのも喧嘩になるのも覚悟で伝える。その上でパートナーとコミュニケーションをとて約束事を決めていくことの方が、私はずっといいんじゃないかと思いました。
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