結婚っていうのはパートナー同士が婚約を結んで家族になることですよね。それは別に法律でしなければならないこととして強制されていることでもなく、国民の自由意思でそれを選択することができる一種の権利です。
なので、単純に考えれば結婚したい人が結婚すればいいのだし、結婚したくない人は別に結婚について考えなくてもいいこと、という風にそれで終わっている話のはずですよね。他人が其れにとやかく言うようなことはおこらないはずです
どちらが良くて、どちらが悪いという話でもない。もし本当にどちらをするかが「良い」または「悪い」と思うのなら、それは法律化すべき話でしかないわけで、それをしないのではただ個人の価値観で人を裁こうとする「私刑」でしかありません。
なのにどういうわけか「結婚しない人は人間として終わっている」とか、「この時代に結婚する人は先が見えてないバカ」とか、他方を断罪して考える人というのはそこそこいらっしゃるみたいですよね。
妙な話です。個人が自由に選択していいことを国が法律で保障していることを、どういうわけか個人の価値観で断罪できると考えているわけです。
どこかで見たニュースで、未婚者は雇いません、一緒に働きたくありません、ということを明確に採用の募集要項にSNS上で発信していた会社があったことを思い出します。あんな感じで自分たちの意志を表明している会社はまれで、実際には事実上の暗黙の了解として「〇〇才以上なら誰もがしてて当然でしょ?普通のことだ」としている会社も多分それなりに多いんじゃないかと思います。別にこれ自体は間違っているとか正しいとか私は何も思わず、単なる求めている人材像の話しでしかないので何も思う事はないのですが、ただそれをおしつけてくる姿勢がある部分関してはいらないのではないか、とは思いますね。
いらないのならいらないでいいわけですから。そこにお説教がついてくると、この人は自分の理屈で他人を支配したいだけの人なのかな、と思いますね。
こういった「おしつけがましい」考え方が、かえって結婚を特に若い世代から遠ざけて言っているのではないか、という風に私は思うのですよね。結婚の有無を人としてのあるべき姿として押し付けるだけでなく、父親とは、母親とは、といったロールモデルまでも押し付けられるような風潮も強い。
毒親という言葉も少し前から言われるようになったように、ますます「正しい人間」というロールを演じるにはあまりにもクリアしなければならない課題が多く、既に「重責」といってもいいくらいの重さに膨れ上がっているのではないかとも思います
父親なら大黒柱として家族を養わなければならない、年収は〇万以上で、家族サービスも“当然”、そんな「重責」が重い、会社を簡単には辞められず辛い人生が待っているだけなのではないかと不安になりますし、
母親なら家事の全てを“請け負い”、子育てに追われ、下手すれば共働きで仕事にも“追われ”、“やって当然”だと家族からも態度をとられてしまう、そんな生活が待っているかと思うととてもじゃないけどやっていられない、などなど、それぞれが個人のロールモデルを押し付けられ続けて、何れはパンクしてしまう。そんな不自由な結婚生活に、一体どうやって希望をもてというんでしょうね。
家族一人一人が自由で、背負うことをやめればいいじゃない
家族は共同生活を営むことっていうのは大抵のところで共通することだと思います。であればその生活の中で、それぞれの個を尊重できることが大事なんじゃないでしょうか。
父親だから、母親だから、子供だから、という性別や肩書きのロールモデルはもう関係なく、それぞれを1人の人間だと認め、相互扶助の関係をつくり、コミュニケーションをとって持ちつ持たれつの関係性を構築していくことがちょうどよいのではないでしょうか。父親の稼ぎが少ないのなら母親も働けばいいのだし、それで家事ができなくなるなら父親も同じくらい家事をするように分担すればいい。子供にも手伝ってもらえばいいわけですし、そのバランスについても家族で独りの人間としてそれぞれ意見を言って決めていけばいいんです。
子供の養育費が足りない状況なら、子供が高校になった時にアルバイトをしてその養育費を稼げばいいだけです。別に親にすべてやってもらう必要なんかないですし、本当に子どもが大学や指定の学校に行きたいと本気で思うのなら、自分でそれをやると思うんですよね。
全部それぞれの仕事をそれぞれの自分の意志でやれば、そこには「何かのロールモデルによってやらされている時」よりもずっと身軽で気持ちの良い生活を送ることができている自分が居ると思うのですよね。そうなれば、共同生活は楽しい刺激溢れるものになっていくんじゃないかと思うのですよ。
自身の自由意志や個性を保ったまま「やらされているという意思をもたないでじ自分の意志でやっているという意識」で共同生活していくことができれば、そのような結婚に対する「押しつけがましいイメージ」は改善していくのではないか、と思います。独りでしょい込まず、互いが互いの問題を相談し、会話し、協力することのできる人間関係を築いていくことを営んでいけば、それぞれの精神が自立して自由を感じますし、それぞれが精神的負担を分散できて楽にもなれるんじゃないでしょうか。
共同生活、共同作業をする場においては、会話をして自分の意志を伝えることは最大の価値があるといってもいいかもしれませんね。思っているだけでは自分の意志は伝わりません。なのに口に出さず期待だけして「察して」だけをやっているのが一番最悪で、一番自分を苦しめるんです。
だから「結婚すべき」「結婚するからには〇〇としてこうあるべき」といったべき論なんていらないのですよ。全部会話して、父親や母親、子供ではなく、その人個人としてみて接すればいいだけの話しなんですよ。
仮にそんなロールモデルばかり押し付けられてそんなものを真面目に背負ってしまったら、それを聞いたこれから結婚するであろう若い世代が、果たして前向きに結婚に関心をもつでしょうか?
私は持つとは考えません。むしろ裸足で逃げだしていくでしょう。今は結婚しなくても楽しく生きていける環境があるうえに、独りで何かをしていたほうが結構楽しい、なんていう風に気づいてそちらに没頭する人も増えてきています。
そんな中で「結婚することは普通だ」「結婚していない人はクズだ」「だから結婚しろ」とただ自分の考えを押し付けるだけの傲慢な助言の仕方をしたところで、若い人たちを中心に結婚というものに対してただひたすらに「おしつけられているだけのやりたくないこと」という印象は増すばかりではないでしょうか。
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