善悪の生き方を捨てよう。




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2021年06月25日~:
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「善悪」に「真実」なし

人の作り出す善悪という概念には、真に正しいことや真に間違っていることがあるわけじゃない。

それはある宗教観に基づいたものであって、善悪というその捉え方、考え方でさえも、その人の宗教観からくる発想ですらある。

別にこの世が生まれた時からあるものではないから。それらはすべて人間が勝手に決めたルールで、もし人間がいなかったら存在すらしなかった概念だから。

人を殺すことが悪だとされているのは、人間が存在したから生まれた概念だ。

人に親切にすることが善だとされているのも、人間が存在したからこそ生まれた概念。

人間がいなかったら全部存在していない。ただ何の意味もなく理由もなく、ただただ存在し、動き続けている世界、現実がただあるだけなのが、この世の姿なんだ。

だから人間としての本質的な正しさみたいなものがあるわけでも、人間としてのあるべきありかただとか、人間であれば当然すべきことというようなものもあるわけじゃない。

「お前は悪だ、おかしいやつだ、人間として間違った存在だ」と言われたとしても、それは世界でそう決められているこの世の理のようなものでは全然なくて、少なくともその人の中ではそうだというだけの話しであって、それ以上でも以下でもない。

ただその人が「お前のことが気に食わない、嫌いなんだ、どうして俺の思い通りにならないんだ」という個人的要求にすぎないことをを大げさに、”善悪という虎の威”を借りて言っているだけのことだ。

善悪が利くのは法律くらいのもの

人間にとって善悪という概念が有効に働くものがあるのだとしたら、それは法律による裁きの場くらいのもの。

法律は法治国家での国レベルのルール。それにはどんな人間でも従わざるを得ない。

紛争や内戦が続いている地域はまた別の話だけど、この日本という治安が安定している国にとっては、一部の例外を除けば法律というのはほぼ絶対のルールだといえる。

だから法律を守ることが善で、破ることが悪だ、という理屈なのであれば、一応筋は通る。

ただ、それ以外の場面、法律に関係ない個人の人間関係のもつれややり取りで善悪を持ち出すというのは、やはりそれぞれの個人ごとの価値観、宗教観に左右されるものでしかなく、ただのその人の感想にすぎない。

だから例えば、私情で人を善悪で裁くというのはそもそも全然できていないんだ。

法の裁きの元以外で人をジャッジしようとしても、法律のような大きな後ろ盾を背にしてやれるわけじゃない。法的拘束力があるわけでもないし、自分がむかつくからという欲求不満が解消をしたいがためにしているだけのことだから誰の役にも立つことでもない。非生産的な行動だ。

たとえだれかがそれに賛同しても、国の全員が賛同するわけでもないし、仮に多くの人が賛同するからといって、それが真に正しいとか間違ったことであるかなんてことにはならない。別にこの世界が民主主義で成り立っている世界だ、なんて事実があるわけでもないし(動物や虫、微生物たちが民主主義で生きているわけがないのだし、そもそも民主主義じゃない国もあるし)。民主主義を実行している国に自分が生きているというだけの話だ。

それにその法律でさえも所詮は人が作ったルールに過ぎないことは変わらない。だからもし法律を破ったとしても。それでその人間が完全に間違った存在である、だなんてことは言えない。悪魔で法律を犯した犯罪者には違いないが、それが完全な「純粋悪」であるなどということは意味はしないし、できない。人間が勝手に決めたルール上での取り決めでしかないのだから。

ただの自分の私情で人を裁くのは、ただ私刑を実行しただけ。ただその人がその人の価値観で、個人的理由でその人を裁き、否定した、攻撃した、人格攻撃したというだけのことだ。

個人で人を裁いてもただの攻撃になるだけ

個人では法の番人にはなれない。当然神でもないから、真に人を裁くことなんてできない。

みなただの人間だ。

ただの人間が人を自分の思う善悪で裁いたところでどうにもならない。裁判はただの仕事で、社会や誰かにとって必要なことだから行われているというだけ。

それを私情で実行してもただの攻撃にしかならない。個人的私情を求める他人なんかいないからだ。

私情で人を裁いたところで、その人の気持ちはそれで晴れるかもしれないけど、それで社会がよくなるわけでもない。

言われた人は傷つくだろうし、それでネガティブになって将来新たな犯罪を起こしてしまう人になる要因になってしまうかもしれない。実際ここ最近の大量殺人を起こしている人の中には、過去にいじめにあっていたことや、家庭環境によって人格がゆがめられたという経緯がある人は良く見られる。当人の人格を否定され、自尊心を喪失させられてしまった、かわいそうな過去をもっている。

他人にイラつくのだって気持ちのいいことじゃない。他人に腹を立てて他人を裁きたくなる気持ちっていうのは少なくともいい気分じゃない。それにいくら他人を裁いても、自分が気に食わないと思う他人なんて言うのは、自分がそう見ようとすればそれこそ世の中ゴロゴロいるわけで、それを相手にしていてもきりがない。ただただ自分がイライラして、イライラする他人に気を取られて、人生がイライラでいっぱいになってしまうだけだ。

この行為は生産的な影響よりも非生産的な影響の方が大きいと思うんだ。

だったらそんなことをするよりも、もっと自分が気持ちがよく、健やかになれることをした方がずっといいんじゃないかと思うんだ。

善悪の概念を捨てて、ほかの楽しいことを考えた方が、自分にとっても社会にとってもいい影響はあるんじゃないかと思う。善悪の判断の仕事、裁きの仕事は立法機関にまかせていればいいわけだし、今の法律で足りないというのならその法律を改訂し続ければ済む話だ。

他人にイライラしなくて済むし、他事に目が向けられるようになれば自然と明るくなる。それで世の中に何か役に立つことを考えてできるかもしれない。

世の中が明るくなれば活気も出ていろんな人がもっと気楽にいろんなことをやってみたくなるようになるだろうし、自分を否定せずに素直でいられるようになれば人を憎む人も減っていくから、私怨で犯罪を犯す人も減っていってそっちの方がいいように思う。

人を私情で裁くことが、人を善悪をもって接することが自分自身を、誰かを、世の中を生きづらいものにしている要因に一役買っているかもしれないんだ。

だったらそんなのはやめた方がいいと思うんだよ。



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自己紹介

Name : Elepan

元うつ病患者 (闘病歴10年)

約10年間のうつ病の体験と、独学で立ち直ったことや、実施した治療法について書いています。一人でも誰かの役に立つ情報になりますように… その他にも遊んだゲームの情報、世の中のおかしいと思うことなどについて考えたことを色々まとめています。

 

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