誰にも理解されないのは自分自身でいる証拠。自分の人生は自分にしか理解できない




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2021年06月25日~:
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人生は”ブラックボックス”。

ブラックボックスという言葉は、IT分野で使われる用語で、例えば、プログラムの内部構造を知らずとも、入力のパターンと出力パターンだけを作ってテストする「ブラックボックステスト」などの意味を指す。

中身のことは少しも全然わかんないけど、それが何をするのかはわかる、という感じ。

この「中身がわからないという状態」は、プログラムに限った話ではなく、人の頭の中でも同じことが言える。

他人の頭、心がどうなっているかなんてわからない。見えないから。感じないから。わかるのは自分の頭、心だけだ。

できることは、コミュニケーションという入出力だけ。

つまり会話くらいしかできない。そして会話では人を理解することはできない。

会話のやり取りはただの言葉という記号のやり取りにすぎないから。その記号をどう受けるか、解釈するかというのは、それぞれの閉じられた頭の中にしか存在しないからだ。

なぜかというと、言葉に対する解釈、何かに対する解釈というのは、これまで自分が生きてきた人生の積み重ね方で変わってしまうことだから。

これは例えば幸せとは何か、と不特定多数の人に聞いてバラバラの答えが返ってくることからもわかる。これまで生きてきた中で何が自分にとって幸せなのかということを自分が思い込んできたのか、その内容は皆それぞれで異なるからだ。

そのこれまで自分が生きてきたという積み重ねを、人は共有なんかできない。共有しようとしたらそれは、その人が生きてきた人生分の時間をつかって記憶を再体験でもできない限りは不可能だ。

だから人生はブラックボックスなんだ。誰にも理解できない。誰にも理解されない。他人のものを見ることも感じることもできず、できたとしてもあまりにも膨大な時間をかけなくてはそれは不可能。

人は他人の人生なんて少しも知らずに生きているんだ。

人は自分という人生を孤独に積み重ねている生き物なんだ。

生きる=自分を積み重ねる

生きるというのは、経験を重ね、何かを積み重ね続けること。

どんなことを感じたか

どんなことを考えたか

どんなことをしたか

どんなことを経験したか。

自分だけが知っているこれまで生きてきた時間という積み重ね=自分の人生

人は、常に自分の心を誰に理解されず、手も出されないままに生きている。

つまり誰一人の人生も理解せず、誰からも理解されることなく人は生きてきているということ、経験してきているということ。

人生とは自分が積み上げてきた、自分お手製の品なんだ。

自分の積み重ね以外は少しも知らない

人は自分自身がこれまでに何をどう積み重ねたきたのかはよく知っていても、他人のものは知らない。

他人が何をどう積み重ねてきたのか、どんな人生経験、履歴を残してきたのか、何一つしらない。

全部その積み重ねはその人の頭の中にしか蓄積されていないから。それを知ることはできない以上、「この人はきっとこういう人生を送ってきたから〇〇なんだ」というのはただの妄想にすぎず、それも自分の人生をもとにしたものでしかない。

他人の人生のように見えるものは、全て自分が他人に見出したただの想像にすぎず、他人自身のそれでは決してない。

故に、ろくでもない人生というものも、マシな人生というものも、幸福な人生というものも、実はそんなのどこにもないんだ。

だって自分の人生以外に知っている人生は本当はないんだから。それ以外にあると思っている他人の人生は、全部自分の決めつけで、知ったかでしかないから。

人生という概念は、まるで他人の数と同じように多様に存在する”ように見えて”実は一つしかない。

自分の人生だけしか最初から存在していないんだ。

「言葉」とは、人生という積み重ねの頂点で出力される記号でしかない

“最高の善とは智慧(ちえ)であり、最高の悪とは體(からだ)の苦痛である”

─レオナルド・ダ・ヴィンチ

人の言葉は、その言葉を発するまでに積み重ねてきた自分の人生の頂から出力されるもの。

これまでに経験してきた様々なものたちを合算し、その答えを、言葉という手段を用いて出力している。

つまりあらゆる人の言葉とは、「それを発した時点のその人」にとっての答え、”積み木の頂点”でしかない。

その頂点にあるただの点に、意味なんてものは存在しないのだ。

なぜなら、どんな言葉もただの記号だから。

万人が同じ解釈をすることも、万人が賛同するものにも、反対するものにもなりえない。

それぞれの読み手の解釈次第だから。読み手の人生という積み重ねにとっていかようにも解釈が変わってしまうものだから。

ゆえに人は相互理解などできない。

人がもし全く同じ理解をするとしたら、それはこれまでの人生の積み重ねの形が全く同じでなければならず、それは原理的に不可能。

もし他人に自分のことを理解してほしいと迫るなら、それはつまり「自分が生まれてからここまでの人生を追体験して、かつお前の人生を全部消してくれないか?」とお願いしているようなものになる。

ようは、相手の中身を殺して自分になってくれないか?とお願いしているんだ。

だから相当にえぐいお願いなんだ、他人に理解してほしい、だなんてのは。

できるわけがないのだし、お願いしていること自体が相手のことを完全に踏みにじっているから。

長く生きるほどあらゆる他者から遠ざかる

長く生きれば生きるほど、人は他人から違う存在になっていく

誰の人生も人は理解してはいないけれど、赤ちゃんだったらほとんどスタート地点は同じだ。何一つ知らないという点では大体同じであろうことは予想はつく。

しかしそれから時間がたって成長していけば、それぞれの人生という積み木を積み重ねていくことになり、

かつて同じような場所にいたところから互いに遠ざかっていくことになる。

時間を掛けるごとに積み上げる積み木は高く、かつ複雑になっていく。

積み重ねれば積み重ねるほど、その形はあらゆる他人から違うものになっていく

そんなたった一人しかいない自分。たった一つだけの自分。

それが「自分」なんだ。

自分という存在は、常に他人から遠ざかり続ける。

まるで宇宙の法則と同じように。時間がたつほど、生き続けるほど、その距離はどんどん開いていく。

価値観も考え方もバラバラになる。

生きれば生きるほど、人の心は孤独になっていくようになっているんだ。

積み重ね続けるほど、価値観や思想はその個人固有の特徴を帯びていくことになる

それはつまるところ、それに従って、「合う人」も減っていくってことでもある。

幼稚園や小学校の頃には簡単に誰とでも仲良くなっても、中学、高校と進んでいくうちにどんどん限定化されていくように。

社会に出ればさらに顕著になる。仕事以外で付き合う人間はいないか、相当に少ない

SNSを見れば、”まるで自分と合わない”と感じる人は様々な形で、いろんなところに存在していることがわかる

自分が積み重ね続ける限り、つまり生き続ける限り、近いと感じる人間は減っていく

この世に同じ人間は一人もいない

同じ価値観も同じ考え方も、同じ文化も、同じ評価基準も実はどこにもない。

皆バラバラだ。

だからだれかにとっては価値あるものが、誰かにとっては無価値なものに、

誰かにとっては優秀な人が、誰かにとっては無能な人に、

そんなこの世に真に価値がある何かとか、真に優秀である人なんて言うのは、みなそれぞれの基準の全てがバラバラであることから、この世のどこにもないということを指示してもいる。

この世に真なる何かなんてない。あるのは、個人の思い込みだけ。個人の景色だけ。個人の願望だけ。

この世で唯一確かな存在、自分自身だけだ



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自己紹介

Name : Elepan

元うつ病患者 (闘病歴10年)

約10年間のうつ病の体験と、独学で立ち直ったことや、実施した治療法について書いています。一人でも誰かの役に立つ情報になりますように… その他にも遊んだゲームの情報、世の中のおかしいと思うことなどについて考えたことを色々まとめています。

 

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