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受け身な生き方は自己否定の人生
受け身でいるということは外から、自分に何かがやってくるのを待つということ。
そして何より、自分で何かをすることに自信がない、自己否定を感じてしまっているこそ選択してしまう在り方。
「いつか自分を好きになってくれるだろう、評価されるだろう、わかってくれるだろう、いいことが起こるだろう」
そんな風に「何かが起こるのを待っている」。それが起これば自信をもつことができる、幸せになれると思えるから、それをずっと待っている状態なんだ
待っている間はずっと苦しい
そうして待っている間はずっと苦しい。
何かに期待してそれが起こることを夢見ながら待ち続けていると、その間は待機しているしかない。それが起こることを願って、ただじっと願っているしかできない。それはつまり「その期待がひょっとしたらかなわないかもしれない」と思うから願うので会って、そうしている間はずっと不安なんだ。だから苦しい。
そしてその期待がかなわなかったり、大きく裏切られてしまったとき、深く絶望して、他人や世界にいら立ちを感じたり、悲しい気持ちになって打ちひしがれてしまう。ひねくれてしまったり、不安な気持ちが強くなって、人生が苦しくなってしまう。
「これだけ自分は我慢してきたのに、義務を果たしてきたのに、周りに好かれる自分になろうとしてきたのに、評価されるために頑張ったのに」
そんな自分の思いは妬みや憎しみに代わって、前向きさや明るさは失われてしまう。
周りにも攻撃的になったり悲観的な態度をとるようになっていき、自分の思いとは裏腹に人はどんどん自分から離れていくこととなって、自分が最も恐れている孤独になり、どんどん不幸になっていってしまう。
能動的な生き方は、自分にストレートな生き方
一方で能動的な生き方は、他人に期待せずに願掛けも何もする必要もなく、単に自分のしたいことをするというストレートな生き方。
自分のすることだけをみて、その目的のためにストレートに行動し、精力的に生き続ける生き方になる。
期待しないということは何も待たなくていいということだ。じっと耐えて、かなうことを願い続けるなんて苦しいことをしなくてもいい。
すべて自分の頭と手足を使って何かをし続ける人生をいきることを意味している。
つまり、無駄が少ない。不幸を感じる瞬間がほとんどない生き方だ。
非常にシンプルかつ、効率的で生産的な生き方になる。
能動的な生き方は「与える生き方」
受け身の生き方は、相手から与えられることを待つ生き方
対して能動的な生き方は「与えられる」という概念が存在せず、ただ目の前のすることだけを考えている生き方になる。
そして能動的に生きていて幸福を感じる人は、自分自身だけですでに幸福を感じている、
つまり、自分という”個”を自分が認めていて、それだけで十分だと満足している状態で生きている。
だから不安も何も感じない。自分を許しているから、他人から何か言われても罪の意識も感じないから、自分を否定せずに済むんだ。
だから他人に対して不満もほぼない。他人から欲しがっているものもほとんどなくて、単純に自分のしたいことだけが頭の中にある。
つまり、自分独りですでに幸福を感じられる生き方なんだ。
そして自分が幸福を感じていると、人というのは他人を助けたくなる。
能動的に生きることが幸せであると知っている人であるからこそ、その幸せを誰かにも感じてほしいと思ったり、世の中に表現したいと思う。「自分で何かをして貢献するということ」がとても楽しいことだと感じられる。
だからその人のやることは自然と、誰かや世の中を助けたい、もっとよくしていきたい思う何かになる。
だから能動的な人生は「与える人生」になる。能動的な人生は、人に何かを与える人生を送るための基本的な在り方なんだ。
損か得か = 不幸か幸せか
人にとって損か得かというのは、経済的な理由だとかいろんな理由に結び付けて感がることができるけれど、結局のところは自分が幸せか不幸かということだけでしかない。
だから受け身の人生は損しかない。常に不幸だから。
だから能動的な人生は得しかない。常に幸福だから。
だったら幸福で楽で気持ちがいい能動的な人生を送った方がよっぽどいいんだ。
人間にとって楽で気持ちがいいなんてのは、結局のところすべてだから。それが人の幸せの本質だから。
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