目次
自分が本当にしたいことってなんだろう。
自分がしたいこと──
それは、「自分に向いている何か」なんでしょうか
自分に適正がある何かなんでしょうか?
生まれつき自分に向いている何かなんでしょうか?はたまた、そう運命づけられている「私はこれをするために生まれてきた」というような壮大なものなんでしょうか?
もしそうなら、なんだかとても“凄そう”ですよね。私はこれをするために生まれてきた。私がこれをやらなきゃ世界が救われない。私の人生はみんなにとって意味があるものなんだ、みたいな感じでしょうか。
きっとみんなに褒められるだろうし、評価されると思います。
でも、なんだかそれは”しんどそう”にも見えます。
いつも他人に称賛されないといけないし、いつも他人に優秀であると認められ続けなければならないということでもあります。
いつも結果を出さなきゃいけない。いつも意味あることをしないといけない。いつも、常に誰かの役に立つ自分でいなければならない。
そんな壮大で重たいものじゃないと、自分のしたいことにはならないんでしょうか。
もっと気楽に打ち込んじゃだめなものなんでしょうか。
意味があることでないとしたいことにしてはいけない?
誰かの役に立つことじゃないと、自分のしたいことにしてはいけないんでしょうか?
みんなが喜ぶ何かじゃないと、自分のしたいことにしちゃいけないんでしょうか??
誰かに褒められる何かじゃないと、認められる何かじゃないと、自分のしたいことにしちゃいけないんでしょうか???
そんな他人の都合たちを背負ってでないと自分のしたいことにはならないのだとしたら、そんなものどうやって見つけられるっていうんでしょうね。
自分に”ちゃんと適正があって”、”向いていて”、”社会に評価される”何かでないといけないだなんて、とてつもなく高いハードルじゃないですか。
それ全部他人に確認して回りますか?たくさんの人に褒められることを見つけるために
そんな大層で大変なものでないと、そんなものをいきなり今の自分で飛び越えないと、したいことは見つからないんでしょうか?
そんな「大変な苦労」を伴わないとダメなんでしょうか????
自分のしたいことって、そんなに厳しいもの?
そんな厳しくて苦しいことが、自分のしたいことになりえるの?
それを続けることができると思いますか?それで幸せになれると思いますか?
「したいこと」って何だろう?
自分がしたいことっていうのは、そんな風に誰かが決めることなんでしょうかね。
“外の評価たちに決められてしまうこと”なんでしょうか?
向いているとか、求められているとか、そういった誰かの需要にこたえることを前提とした「他人の都合」がないとダメなんでしょうか。
随分不自由なものになってしまいますよね。それじゃ。自分の意志ほぼ関係ないんだもの。
極論を言えばそれは、他人がいなきゃ自分のしたいことをもてないってことになっちゃいます。
じゃぁもっと単純に、例えば「自分の好きなこと」はどうだろう。
ゲームとか漫画を読むこととか、友だちと遊ぶこととか。別に誰かの都合に関係のない自分の好きなことのことです。
そういったことは自分のしたいことではないんでしょうか。しては”いけない”のでしょうか?
好きだからゲームするわけだし、好きだから友だちと遊ぶわけですよね。
もしそれはダメだというのなら、自分のしたいことは「嫌いなこと」なんでしょうか?
いや、そんなことはないはず。だって自分が「したい」と思っているのだから。したいと思っているのに、それが嫌いだなんてどう考えてもおかしい。
それを自分の人生の中で大事なことにしたいと思っているのに、そんな自分のしたいことが「嫌いなこと」のはずがない。
「好きなこと」の方がずっとそのイメージに、求めているしたいことの姿に近いはずだ。
「面白いこと」「楽しいこと」、そんな自分の人生を豊かにしてくれそうな何かをイメージしてのことのはず。
だったら、自分のしたいことというのはやっぱり「好きなこと」「面白いこと」「気持ちがいいこと」、あるいはそれに近いことってことになります
誰かの都合なんて関係ない、単純に自分が「やりたい」と思えるなにかということになりますよね。
だったらゲームも漫画も、友だちと遊ぶことも、自分がそれを好きでやってるんなら、それは間違いなく自分の「したいこと」になります。
それでも
「でも社会で役に立たないし」
「無意味だし」
「誰にも注目されないし」
と思って、それを否定してしまっているとしたら、
自分が「したいこと」を見つけられないのは、そういう他人の都合を巻き込んで自分のしたいことをみつけようとしている、自分の思い込みが邪魔をしているからじゃないでしょうか?
承認欲求が邪魔している。
他人に認められたい。他人に評価されたい。
そんな承認欲求を自分のしたいことと結び付けようとしているから、自分のしたいことがみつけにくくなっている。
なぜなら、自分がしたいことを常に他人の何らかの需要に加工しないといけなくなるから。
それは他人が好むなにかであって、自分が好む何かではない。自分が好きでないものに変えようとしているのと同義。
自分が純粋にそれを好きだという「コア」を他人の都合でゆがめて自分のしたいことだと思い込もうとしても、それは土台無理な話。自分の本当の気持ちをだますことはできません。
だからそんな承認欲求を捨てて自分のしたいことを考えない限り、自分のしたいことなんて見えてくるはずがないんですよ。
その自分の純粋な気持ちにこたえて、他人の都合に合わない何かを好きになって初めて、自分の好きなことっていうのは見えてくるんです。
見えてくるというよりも、感じられるようになるというか。
「自分がしたいこと」というのは、”こと”そのものよりも、自分の気持ちに素直にな何かをしたいという“気持ち”。
それがあれば、なんでも自分のしたいことにできる。その心でなら、自分のしたいことなんてすぐに見つかるんですよ。
自分がしたいこと、というのは、実際には自分の心の在り方、自分の気持ちに自分がどうあろうとしているか、正直に素直であろうとしているかどうかというのがすべてということです。
だから「したいことが何か自体」は実は何でもいい。
何にでもなりえるから。自分次第で、自由にそれを決められるから。
それも、今自分の身の回りのあるもの中でそれを見定めて自分で決めることができる。
好きなこと、したいことなんて言うのは実に単純で、大したことでもない、単に自分が決めてそう感じることが、自分のしたいことなんです。
他人に対する期待、甘えは邪魔なだけ
自分のしたいことが見つからないのは、そんな風に他人に期待して他人にそれを決めてほしいという自分の他人に対する甘え、期待があるからなんです。
それあるばかりに自分のしたいことと他人が求めることが複雑に絡み合い、境界線が曖昧になって自分のしたいことがわからなくなる、自分のしたいという感覚が何なのかがわからなくなるのです。
自分を評価してくれないと自分のしていることに自分が持てない、今自分がしていることを信じられなくなって自己否定だらけで苦しくなってしまう
みんな他人の都合を自分のやりたいことに巻き込んでいるからこそ起こることでしかありません。
自分の素直な気持ちで、身の回りの物を使ってできることをやってみる。
なので、そんな他人の都合たちを全部自分から切り離し、自分の心だけ、他人の都合を切り離した空っぽな心の自分を受け入れ、それをベースにいろんなことをやってみればいいんです。
例えば紙とペンが自分の目の前にあったら、それを使ってなんとなくでもなんでもいい、自分が素直に、ただやってみようと思えることをやってみる。
絵を描くとか、とにかく本当になんでもかまいません。「〇〇はダメ」なんてことはない。ダメなことがあるとしたら、法律に違反するかどうかくらいで、それを守れば後は何の許可も指標もいりません。外の需要や外の指標なんて関係ないんです。
今自分の身の回りにあるものを使ってできることをやって、自分で何かをしてみるということを体験してみましょう。
そうすると、それがどういうものなのかを経験することができます。自分で決めて自分で何かをする、ということが、自分で感じてみることでどういうことなのかを経験できるんですね。
人は経験して初めて、何かを本当に知ることができる生き物。いくら本で絵の描き方を勉強しても、絵をかかないことには絵を描くことがどういうことなのか全くわからないのと同じことです。
経験して、初めて自分のものになります。そしてその次に行ける。さらに次の経験のステップを踏める。
それはやってみない限り何も進まない。始まらないんです。何ができるかが大事なんかではなく、どんな能力を持っているから、適性があるからということも大事なことなんかじゃない。
自分の意志で経験し、積み重ねることがすべてなんです。一歩一歩少しずつ。着実に純粋な自分だけで経験していくことだけがすべて。
やりたいこと、したいことというのは、自分が好きでやり続けてきたことの積み重ねの”結果”というだけ。
自分の素直な気持ちで携わった経験が少しずつ積みあがっていって、その積み重ねこそが「自分のしたいこと」を作るわけです。
世の中にあふれているいろんな「したいことを仕事にしている人」っていうのは、元々ずっと前から、もっと単純な自分の好きなこととか続けていることを積み重ねて続けてきて、その『頂』として今その形があるだけなんですよ。
もともと絵が単純に好きで、好きな絵をずっと描き続けてきて、そしたら絵もきれいに描けるようになってイラストレーターとして食べられるようになった、というように、元々の自分の好きというコアを積み重ね続けてきたから続けられて、今があるというだけ。
したいことというのは、自分に向いているとかどうだとかいう素質だとか才能だとか、外の評価に基づくものなんかではなく、ただのその人の継続の結果でしかありません。
自分の素直な気持ちにこたえ続けて積み重ねてきた経験そのもののことでしかない。
ある日突然見つかるものなんかじゃない。少しずつ自分の意志で積み重ねて「自分だけで作り上げていくもの」なんですよ。
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