自分の人生を生きるということは、自分の感覚で生きるということです。





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→承認欲求は捨てられるもの

2022/04~現在、再度全体的に記事の見直しを行っています。修正したものから順次最新更新日で更新していきますのでお楽しみに(?)

 

自分の人生ってなんでしょう?それはどこかに落ちているものなんでしょうか。誰かが知っているんでしょうか。誰かから教えてもらえることなんでしょうか。誰かに褒められる人生のことなんでしょうか。自分にふさわしい居場所をみつけることなんでしょうか。成功してお金持ちになって悠々自適な人生を送ることなんでしょうか。

そもそも自分の人生を生きることで、一体何を欲しているのでしょうか。

そんなことについていろいろと考えていた私は自分の人生とは自分の感覚で生きることだと考えてます。頭で考えても人生に正解はありませんでした。何が自分の人生なのかというものもどこにも転がっていませんでした。結局のところそれは自分の気持ちとかそういった原始的な部分に帰結していました。

正解を追っていると誰かの人生を生きることになる

人生に正解はない、という言葉を聞いたことがある方は多くいらっしゃると思います。それは実際その通りでどんなに正解といわれることの通りに生きてみようとしてもうまくいかなかったり、思った通りにならないことってあると思います。

それは当然で誰も先のことはわからないから。わからないことを人は考えることはできません。先のことだと思っていることは皆自分の過去の経験をもとに作った想定、想像、妄想にすぎない。現実はその時が来てみないとわからない。

さらに、巷で言われている様々な正解、別の言葉を借りれば常識や普通であるといったことというのは本当にこの世で正解や普通とされている言葉ではなく、その言葉を語った人の世界での話しにすぎません。

「人に気を使うことは普通のこと」といったなら、それはその人の中の普通でしかない。もしそれがこの世の普通であるというのなら世界中の人がそう考えていなければなりませんが、この世の理のようにまるでこの世が物質で構成されているという自明の事実のように自然に営まれているなにかのようには決して営まれてはいないことは少し周りを見渡すだけでもわかります。相手の気持ちを考えない人なんてざらにいますし、暴力、いじめ、詐欺、汚職…ほかにも数えきれないほどあります。人に気を使うことがこの世の理なら、戦争なんてとてもできないですよね。

そのような事実が外にあってもそれを無視して誰かが言っているだけの普通や常識といった”正解にみえるもの”をこの世の正解であるかのように捉えているということはあるんではないかと思います。

つまり正解や常識に従って生きているというのは、実質的には他人に従い強制して生きていることに等しい。自分の人生を生きることからは対極にある生き方をしているわけです。

頭で考えて生きるのは人生を難しくする場合がある

では自分で考えて生きることが自分の人生を生きることなのか、というと一見はもっともらしい感じですがこれも違うと思っています。

なぜか。人は周囲の環境に影響を受けます。そしてその環境を受けて頭を使って思考し答えを出しています。

人はありもの何かを元に答えを出しているのであって、無から答えを出しているわけではない。空が青いと知っているのは生まれたころから知っていることではなく、空を見たことがあったり、空が青い事を誰かから聞いたりしたからで、現実のどこかに合った環境をとらえて答えを出しています。

これはマーク・トウェインの「人間とは何か」という本にも出てくる言葉なんですが、「人は創造などしておらず、ただ加工しかしていない」のです。

自分の家族をはじめ交友関係や学校、職場などそこで関わる人と関わる中で様々な影響を受け自分の性格や価値観、考え方を作っていきます。自分の価値観だとか正解だとか思っていることというのは、今まで様々な形で付き合ってきた人間たち(家族、友人、動画サイト、SNS、本など…人がかかわったあらゆるもの)が言っていたことややっていることを目の当たりにして気づきをえたことだったりするものであり、自分自身のものであるとは言えないのです。

猫などの他の動物や植物、空気といったものも含み、あらゆる自身を取り巻く環境を自分が受けて何かを感じ、それについて思考したり行動したりすることは変わりがありません。

自分とは、今まで自分が生きてきた環境の中での適応結果なんです。

自分だけで考えて生きることは実質的に不可能

人間はこれまでの人類が編み出してきた文明の頂にたっていて、過去に人類が残した色んなものをコピーし、その次に積み上げる何かを考えて行動して生きてます。例えば今自分が話している言葉がそうですね考え方だったり趣味や仕事に学問、スマホもパソコンもゲームも何もかも全てに至るまでがどこかの誰かがやっていたり作ってきたものであり、それを借りてきて何かを考えたりしているだけ。自分自身だけで編み出したもの、考えたもの、発見したものではないわけです。

自分で全くの一から考えたり作ろうとするものなんてほぼゼロ。自分たちが今生きている社会を見渡せばそれは明らか、社会どころか自分の部屋だけでもそれはすぐにわかります。ググればすぐに情報も手に入ってしまう現代社会に生きている時点で自分だけで考えて自分の人生を生きる、というのはもうほぼ不可能であるといえると思います。

もちろん自分で考えようとすることが悪いことであるとか無意味であるということではないです。自分で考えるということが指しているのは精神的自立であり、自分の感覚や意思を元に一人で決める勇気を持つことだと私は思っています。

しかしこれを「何が正解なのか、常識なのか」を一人考えてみても実態はこれまでの他人の借り物を元に考えているわけで、やっていること自体もほかの他人と同じかどうかを考えて生きているだけなわけで、ただ他人の都合に沿って生きているだけなのは変わりません。おまけに、新しいものはこれでは生まれてきませんね。過去の同じことの繰り返ししかやらないわけですから。

結果考えるも考えるもいつまでたっても他人や世論の言いなりで自分の人生は生きられません。自分の人生で積み上げたいものがわからず、ずっと他人に自分の人生を握られている人生を送ることに自ら選択し続けてしまうことになり、それが生きづらさを作り出したりすることもあります。

それは多分、自分の人生を生きることで欲しているものではないと思うのですよね。

自分の感覚は自分だけのもの=自分の人生の根源

一方、そんな頭で考える世界とは全く無縁なのが自分の感覚です。5感で感じることや安心感といったもののことですね。これは頭で考えて発生させているようなものではなくて、例えばおいしい食べ物を食べたりとか、毎日ぐっすり睡眠して気持ちよく起きたりとか、運動して汗を流して気持ちがいいとか、夕日がきれいだとか、春の早朝の空気がおいしくて好きだとか、楽しいことを見つけて夢中になってみたりとか、そういったときに感じる自身の感覚ですよね。

それが結局のところ人が欲しているものの根源だと思うのです。幸福”感”ともいいますし、幸福を求めるとき人が求めている最終的なものは幸福だと感じる自身の感覚なんです。そしてその本質は突き詰めれば安心感ですからただ安心したいだけで大したものは実はいらなかったりします。だからその手段は別に何でもいいのです。

有名になってもならなくても、盛大に金をかけてもかけなくても、地位があってもなくても、なにかをもっていてももっていなくても、結局最終的に欲しているものは自分の感覚の世界の話しに帰結し、その限界を超えることもないのですから。

いかに自分の感覚を満たし続けることが自分の人生を生きるということ

「自分の人生を生きる」ということを人が求めたとき、手段や行動に各個人で違いはあれど、共通しているのが最終的に求めている何かを感じたいことだと思います。

つまり自分の感覚を自分が望む理想的な形で満たし続けることが自分の人生ではないか、と考えます。贅沢をしたいのも有名になりたいのも、それによって最終的に感じたいと思う何かがあるから求めている、やはり単なる手段にすぎません。

理想的な自分の感覚を満たし続ける形とは

ではその理想の形はとは何かについて考えてみると、それもやはり手段の話しではなく自身の感覚の問題の話しで、つまり自分が死ぬその瞬間までできる限り幸福感を感じ続けることであることだと思います。安心し、満たされ続けながらも時には悲しみや苦しみ、興奮や喜びなどの様々な感情を自由にその瞬間で感じながら豊かに人生を生きていくこと、だと思います。

そんな風にできるようになるにはどうすればいいのかを考えた場合、様々な手段が出てくると思います。先ほどの贅沢の話しもそうですが例えばタバコとかお酒とか薬とかに頼る、という人もいると思います。そのような自分の精神を外的要因によって無理やりどうにかする方法も確かにありますが、それは死ぬその瞬間まで続けるにはちょっとリスクですよね。続けられるかどうかという問題もあります。自らの健康に影響を与えるものはやがては手段としては使えなくなりますし、かえって自身の健康を壊しかねず幸福感の達成からは遠のいてしまったりします。

健康ほど自分の幸福を支えているものはない

健康はそんな自分の理想を実現するための要素としてはほぼ不可欠のものです。これなくしてはあらゆる贅沢をもってしても幸福になることはかなり難しいことになってしまうでしょう。ガンなどを患ってしまったらそれは相当に苦しいものと聞きます。精神的苦痛といった思い込み由来のものとは違い、病気などの物理的要因によって自分の感覚に直接的な苦痛を感じているわけですから、それをごまかすのは相当に難しいと思います。

つまり如何に健康を保ち続けながら自分の求める感覚を求めること、が自分の人生を生きる、ということになってきますね。

精神的な健康も同じく必須

肉体面だけではなく精神面の健康も同じくらい、場合にとってはそれ以上に重要なものになります。

精神面の健康の大敵はストレスです。そしてストレスとは、この人間社会においては大抵他人との付き合い、つまり人間関係の中で生まれます。職場でむかつく上司がいるとか、仕事がうまくいかなくてつらいとか、友だちがいなくて寂しいとか、周りよりも貧乏でみじめだとか、そういった形で人はストレスを感じます。

でもそれは自分の認知の問題にすぎません。人間関係のとらえ方の問題であり、それを変えてしまえばストレスを感じる必要はなくなり、つまり悩まなくてよくなります。それによって精神面の健康は確保することが出来るようになり、自分の人生を生きることにもつながっていくと思います。

つまり自身の認知が如何に幸福に生きられる認知になっているか、が精神的健康のカギですね。

自分で決めることから逃げないこと

その精神面の健康上良くない習慣の一つが、自分のことを他人に決めさせることです。

やらされている、という認知で何かに取り組むのは他者から拘束され身動きを制限されていると感じるのでストレスを感じます。やらされていることにした方が他人のせいにできると感じるので一見楽に感じるかもしれませんが、現実はただ他人に振り回されるだけです。いくら自分が他人のせいだと思っていようが、現実の他人はそんな自分の想いなんて知りませんし関係ありません。全然取り合わないこともざらにあり、というかそれが通常的な話でしょう。生物は自分のことしか基本的に考えていませんから。

そんな世界でその思い込みは自分をただ精神的に脆くするだけです。他人に決めてもらわないと不安になってしまいますし、他人のせいにしても寝入りするケースもあります。それで心の病になってしまい、ますます精神的健康から遠のきます。

例えば毒親に育てられたから自分は健常者のような性格にはなれなかったんだ、と親のせいにしていても親は変わらないし、誰かが同情したりしてもそれで自分の性格が変わるわけでもないので苦しいのは変わりません。

自分の性格に不満があるなら自分で自分を変えていく必要があります。自分を変えられるのは自分だけ。

自分から逃げ続ける限りその苦しみは終わりません。

他人からは逃げ続けていい。

逆説的に言えることですが、自分から逃げてはいけない、というかそもそも逃げられるものでもありません。が、他人からはいくらでも逃げられるし逃げていいということでもあります。

様々な社会や他人の都合が世の中にありますよね。あれしろこうしろこうあるべきだすべきだと。人間として、日本人として、男として女として…というような誰かが勝手に定義した様々なロールのことです。

こういうものからは全力で逃げたらいいです。全部ただの押し付けですしそういうものをこちらに求めてくる他者というのはこちらに対して何も与えません。彼ら彼女らはそれを他者に強いることによって他者を支配したいだけなのですから。

他者の支配的都合から逃げ続ければ残るのは自分の人生だけ。自分が何をしてどう生きるのかという課題だけです。それに夢中になっていていいのです。

まとめ

さて、まとめると、自分の人生を生きるというのは自分の感覚で生きるということ、自分の感覚を求めることを中心に考え、それを理想的な形にしていくためにどう生きるかを考えて生きるということ、堪能し、楽しむことということです。

単純に言うなら、賢ぶるの何かやめて素直にバカに生きたらいいってことです。

自分の感覚を肯定しましょう。こう感じたらだめ、なんてことは全くない。今感じていることを数べ手否定しなくていい。それが例え悲しみだったり恐怖であったとしても、今自分がそう感じている自体はなにも間違っているわけではなく、単に今の自分自身なだけです。それを否定することはできません。自分を否定することは人間にはできることではないですから。

自分の感覚を肯定し受け入れて自分一人でそれを処理することができると、案外それだけでも自信は付きます。他人にあやしてもらおうとし続ける限りはずっと自分独りが怖いので他人に依存することばかり考えて不安を作り出してしまいますが、独りで自分の感情に向き合えた、というのはそれをしてこなかった人ならなおさらで貴重で新しい体験になると思います。それを繰り返し日常に取り込んでいけば恒常的な自信につながり自分の感覚や欲求を基底に人生を生きていけるようになります。

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自己紹介

Name : Elepan

元うつ病患者 (闘病歴10年)

約10年間うつ病でしたが、多くの自分の歪んだ思い込みに気づきそれを捨てることで独学で立ち直りました。その「気づき」の記事を本ブログにて日々更新中です。
一人でも誰かの役に立つ情報になりますように… その他にも遊んだゲームの情報、世の中のことで疑問に思うことなどなどについて考えたことを色々まとめています。

 

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