自分の人生を生きるということは、自分の感覚で生きるということです。





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思考では「正解」を探してしまいがち。

〇〇すればうまくいく、とか、〇〇を考えなければ不安は感じない、とか、

何かを考えたり何か行動に移す時に、まず最初に思考が来ている場合、何らかの「理」をもとに生きようとすると思います。

それでうまくいけばいいのですが、なかなかうまくいかないこともあるんじゃないかなぁと主思います。それに人というのは、「理」という止まったもののように、常に同じ気持ちや感覚を保てるようにはできていません。

自分の感覚や気持ちというのは、その日の体調や時間帯、気候など、周りの環境によって変動するからです。

なので理という「止まっているもの」をもとに動こうとしても、ましてやそれに執着しようものなら強迫観念をともなってしまったり、移り変わる自分の感覚や気持ちに却って制限をかけるだけになってしまい、

却って息苦しい生き方になってしまうかもしれません。

そもそも「理」をまず立てないと自分の欲求をつかってはいけない、としてしまっているとしたら、それ自体が自分に対する制限であり、自己否定でもあると思います。

自分に素直になったり、健やかに、楽に生きたい、人生を気持ちよく生きたいというなら、理で自分を律したりそれに頼って成功を願って生きようとするというよりも、今ある自分の感覚と気持ちを先に理由なしに感じる、ということの方が得られるものはあるんじゃないか、と思うのですよね。

感覚と気持ちに素直になると、他人が怖くなくなります。

自分の感覚や気持ちに素直になることができれば、そこには正解も間違いもありません。正解や間違いがある必要がなくなるんです。

結果に対する執着も息苦しさも必要なくなってきますし、誰かがそんな自分の生き方を正解、間違いだと指摘することはあるかもしれませんが、それはその人の都合や答えの話しにすぎず、自分には関係のないことになります。

それに、これができるようになると他人の話を聞く余裕も出てきます。思考を使って何らかの正解や理に頼って自分を正当化して生きようとしている場合は、その「理」が他人の「理」によって崩されてしまうと、途端に自分の行動や価値観に対する根拠を失ってしまうため、自信の行動動機そのものを否定することになってしまうので、人の話を聞くのが怖くなって余裕がなくなってしまうためです。

しかし、感覚や気持ちという「理」の及ばないものを原動力としていれば、相手に自分のなんらかの「理」を否定されたところで痛くもかゆくもないわけです。

自分の欲求、感覚を原動力として思考、行動しよう

なのでまずは思考や理由などではなく、まず最初に自分の今感じている感覚や気持ちを認め、それに素直になることから始めるといいのではないか、と思います。

常に素直に自分の感覚や気持ちを感じることを、理由なく感じることを許していくんですね。

それをした上で生まれた「やりたい」「感じてみたい」「ほしい」という気持ちや感覚にこたえて、行動したり思考したりしていくんです。

そうすると、もうそこには迷いや不安はなくなっていると思います。

自分がこうしたい、あぁしたいという気持ちを否定する癖があると、迷いが生まれてきます。なのでそれは捨てていきましょう。

「どうせ無駄だから」「こんなことをするのはおかしい人だと思われる」「私には無理だよ」

そのような外的な「理」で自分の気持ちを否定する癖を捨てていきましょう。

「理」は自分の感覚や気持ちを否定するためにあるものではない。自分の「こうしたい」、「あぁしたい」をしていくその中で「理」は使っていけばいいんです。

まずは自分の気持ちや感覚に対してしたいことをしよう

他人や社会の都合、他人が言っていたことや他人が思っていることではなく、自分の気持ち、感覚でまずは動いてみるんですね。

単に自分が〇〇が欲しい。〇〇がやってみたいと思っている、外の何も背負わない自分の気持ち、感覚です。

頭を使うのではなく、まずは感じてみる。自分で感じてみて、「やってみたい」「こうしてみたい」は生まれます。

「余ったもの」を他人にも与えよう

そのように素直な自分で十分に楽しんで結果生まれたものを、他人に与えればいいんです。

例えば趣味がゲームであれば、ゲームプレイ動画を取ってそれをyoutubeに挙げるとかはわかりやすいかなと思います。まずはそのゲームを気g済むまで遊んで楽しむ。自分の気持ちを満たしたい思いだけで自分の好きなように楽しみます。

そして「取り終わった動画」、つまり自分が楽しんで後に残った「あまりもの」をyoutubeにアップロードすればいい。

そんな感じで、自分がまずは自分がしていることを全力で楽しんで、その楽しんだ結果に生まれた何かを他人が使って楽しむなら楽しめばいいし、そうでないならそうでもいい。

仕事も趣味も生活もすべて同じです。仕事を楽しんで、結果生まれた成果物を顧客に提供したり、家事もすべて楽しんで、部屋を装飾してみたり、料理や掃除の仕方に工夫を入れて、楽しみながら綺麗に、おいしいものを作ってみたり。

①自分がしていることを自分が楽しむ。

②楽しんで生まれた結果で貢献する。

そのような形で生きていけば、結果に執着することなく、過程を楽しんで日々を過ごすことができるのではないか、と思います。

つまり、単的いうなら「バカになりましょう」ということですね。頭を使って賢いフリなんてする必要はありません。ただ自分の気持ちと感覚、周りからバカといわれようが、そんな「理」はどうでもいいのです。

失敗続きでも周りからバカにされてもいいのですよ。

自分の気持ちや感覚が自分の欲求の原動力なんですから、それをまずはじめに感じようとしないのではやる気も何もわいてこないのは自然な話。

なのでそれを否定して思考を使う必要はないのです。先にその感覚をつかって初めて、自らの思考は有効に使えるわけです。

自分の感覚、考え、行動を罰するのはもうやめましょう。

人の幸福感や不幸感とは、安心感と不安感という言葉に置き換えることもできると思います。

“感”という言葉がついているように、人にとって欲しているものの全てはなんらかの「感覚」なわけです。

他人の理解でもありません。他人の承認でもありません。お金でもなければ家族でも恋人でも何でもない

自分の気持ち、感覚。これが人の全てだといってもいいでしょう。五感という世界がなければ人は考えることどころか、自分が存在することすら認知できないのですから、人にとってはこれがすべてなのです。

これを否定しないで、自分を素直に感じる。もし否定してしまっているなら、もう否定しなくていいんだと自分に許すんですね。何を感じるか、そして何を考えるか、自分がやるすべてのことを、他人や社会に許可してもらわなければならないなんてことはないのですから。

自分の自由意思で感じること、そして考えること、やることを自由に選べるのです。それを罰することができるものがあるなら、それは法律のみ。それもただの決まりごとにすぎず、「人間として間違っている」ことなんてこの世のどこにもないんです。

であれば「楽になりたい」なら「今楽になっていい」んですよ。「なにかやってみたい」なら「今やっていい」んです。「苦しみたくない」なら、「もう苦しまなくていい」んです。

自分の感覚をひたすら感じてみましょう。他人の言い分や他人の正義を全部忘れてください。親から鬼のように叱られて守らされたこと、思い込まざる得なかったこと、いじめられて否定してしまった自分の気持ち。きっと人によってその形は様々ですが、そうやって否定してきてしまった自分を許してください。そして自分で感じること、考えること、行動することを罰することをやめましょう。

自分に勝手を許すと、なんだか悪い自分になってしまうのではないか、と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、大丈夫、自分に素直になっても故意に人を傷つけたいなんて気持ちは沸いてきません。むしろ、自分に素直になっていない方が、コンプレックスを強烈に感じることになることで、そのような行動をとる傾向が強くなるのです。

100%自分の感覚を素直に、恥ずかしげもなく感じるようになれれば、それだけ自分に素直になることができて、自分の人生を生きることを楽しめますよ。



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自己紹介

Name : Elepan

元うつ病患者 (闘病歴10年)

約10年間うつ病でしたが、多くの自分の歪んだ思い込みに気づきそれを捨てることで独学で立ち直りました。その「気づき」の記事を本ブログにて日々更新中です。
一人でも誰かの役に立つ情報になりますように… その他にも遊んだゲームの情報、世の中のことで疑問に思うことなどなどについて考えたことを色々まとめています。

 

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