頭で考えるより行動あるのみが良い理由




頭で考えてばかりだと「正解」を探して行動できなくなる

100%正解、成功する方法なんてない

絶対成功する方法とか失敗しない方法って基本的にないと思うんですよね。もしそんな方法が合ったらもうその問題はとっくの昔に収束していて問題視すらされていないはず。誰もがその方法で成功するはずなので、まるでこの世の常識のように広まっているはずです。でもそれを自分が知らずかつほかの誰も知らず不安そうにして、知ってそうな人に質問して聞いているような状態なのであればそれはいまだ誰にも解かれていない問題なわけで、なおさらそんな方法はないと考えた方がずっと自然なはずです。

それでもそういう方法がどこかに必ずあるはずだ、と正解に執着し続けるといつまでたっても行動に移すことが出来ずに終わってしまうと思います。

例えばどこかに転職しようとしていてどの転職サイトを使えば100%成功するかとか、どんな会社に勤めれば自分が100%満足するかとか、100%面接に成功する方法とか、あらゆる可能性をしらみつぶしに調べて備えても失敗するときは失敗するし、思い通りにならないところは思い通りになりません。思ったほど希望の求人が見つからなかったり、入社してみたけどなんか違ったと感じたり、面接で緊張してしゃべれなかったり内容が消し飛んだり、相手のスケジュールやほかの候補者の都合でキャンセルになったり、予期しないことというのは実際その時になってみないとわからないことというのが大半を占めていると思います。

先のことは常に自分にもほかの誰にもわかりません。自分がこの先どこに行ってどのような経験をするのか、これから世界がどうなっていくかなんていうのは実際その時になって見なきゃわからない。いくら下調べをしようがそれだけはわからないものです。

それでもわかるはずだ、100%備えられるはずだと執着をし続けても、原則的にないものはないわけですからただ考え続けるだけしかできず、何れは根負けして転職するという行動に踏み切れず、結局「転職しない」という行動を選択してしまうこともあると思います。

つまり頭で考えた結果行動できなくなる自分を作り出してしまうなんて結果になってしまうこともあるかもしれないんですよね。

他人が関わるものは他人の都合次第なことも避けられない

例えば人生で成功するにはどうすればいいのか、というその成功の定義が他人が関わることであればあるほど、それは必ず正解、成功するということから遠ざかるものになると思います。

もっとも簡単な100%正解というのは「1+1=2」というようなごく単純かつ、自身の頭の中でできることで完結しているものです。これは他人の都合をほとんど巻き込まずかつ労力も最小限のものになりますからほぼすべての人間がこの公式を覚えることを出来ると思います。

しかしこれが、学校で成績1位をとるとなれば一気に難易度は変わりますよね。もちろんずっと複雑で覚えることもけた違いであるという点はそうですが何よりも重要なのは、そんな成績という概念や覚える内容など、各種学科目などの知識といったものはほかの誰かが作ったもので構築されているものであるという点です。

自分が作ったものではないのだから自分に都合の良い形の分かりやすい内容であったり身に着けやすいものであるとは限りません。他人が作った授業、カリキュラムという枠組みややり方の中で学び、他人が決めたテストの日に当日まで内容が不明な他人が作ったテストを受け、後日他人によって採点された成績発表がされるわけですよね。そしてその授業やテストを受けるのはほかの大勢の他人もいるわけです。単に勉強するだけでなく学生生活などの人間関係の問題などもありますし、自身の体調や家族関係など様々な要因によって自分の心や考え方にも変化が生まれることもありますからそうそう単純にはいきません。

こんな風に他人が絡み始めると、途端に自分ではどうにもならない問題というのが膨大に増えていくわけです。他人と絡む問題が増えればそれだけ思い通りにならずに悩んだりすることが増えていくわけですね。

そしてこれが例えば人生で成功する、お金持ちになるとか地位ある職に就くとか、有名人になるというものになってくると、さらに難しくなるでしょう。難しくなるというか、運否天賦の分が強くなるといった方がいいでしょうか。学校の成績は努力次第でどうにかなる部分が大きいですからね。極論を言えば全てのテストで100点を取れば1位になることはできますから。

しかし有名になるには自分を有名にする支持者という他人の存在が必要不可欠になります。そして支持者を獲得するにはどうすればいいのかというと、彼ら彼女らの欲しいものを提供することです。それも継続的に提供しなければならなず、かつ膨大な人の支持を獲得し続けなければ有名になることは不可能。つまりは不特定大多数の他人の需要を継続的に提供できなければいけません。

顔見知りならいざ知らず、どこの誰かも顔も分からない大勢の他人の需要ですから、それにこたえるにはどうすればいいのか考えていてもきりがないうえにわかりっこありません。そもそもの話しその彼ら彼女ら自身が自分が何か欲しいのかにすら気づいていないことだってあるわけで。

最近では有名になるといったらInstagramなどのSNSのツールがトレンドだと思いますが、SNSなどで得られる情報って受動的なんですよね。つまりユーザーたちが能動的に「これが欲しい」ともめている形がなくたまたまなんとなく面白そうなものが流れた時初めて好き、嫌いだということがわかる構造です。川で洗濯をしていたらある日桃が流れてきたみたいな。でも誰も桃が流れてくるなんてあらかじめ知ってなんかいないわけです。そのような無意識的な本人にすら気づいていないものを自分がわかろうとしてもそりゃ無理というものです。

ビジネスの世界でも似たようなもので、例えば営業や広告の仕事があるのも同じような理由だと思います。外から「こういう商品を扱っていまして」と紹介されて欲しいものがあるということに気づかされて商売につながる。でも実際にそうなるかは営業してみなきゃわからない。実際に広告を売って見なきゃわからない。

出世は出世で単に仕事の成績だけで出世できるとも限りません。その会社の社風や上司との相性などに左右されることもありますし、結局そこは人間関係の問題に起因することが多くあります。さらに回ってきた仕事が自分にとって合うことだったかどうかという運の問題もあります。それも実際にいろいろやってみないとわからないことだらけです。

ビジネスで成功するにせよ、出世するにせよ、Youtuberなどのネットの界隈で成功するにせよ、そこには必ず他人の存在があります。それも自身の求めている欲しいものすらよくわかっていない他人という存在が不規則に不明瞭に点在してそれらを作り出すわけです。そんな中で成功を求めるというのは自分自身の資質とかものというよりも、彼ら彼女ら他者の偶発的な動き次第のものであるところが大きい。あるコミュニティに自分がある形、境遇でたまたまそこに存在し、たまたま多くの人を需要を満たすなにかをたまたまやることがでできたという偶然の結果なわけです。それは人は生まれる場所を選ぶことが出来ないという話と同じで、運の要素がとてもつよいのです。

結局のところいくら考えようが、自分にわかることでないことは一生わからない。どうにかすることもコントロールもできない。他人なんてものはそのもっともたるものです。

誰かの出した答えに頼っても保証なんかされない

よってこの何十億という人間が暮らし、作り上げている現代社会で自分は何をすればいいのか、どう生きればいいのかという答えにおいて、100%保証できるようなものは何一つありません。いくら著名人である誰かの助言をきこうが、それがいかに説得力のあるものであろうが、自己啓発や人生哲学、成功するにはどうすればいいのかという本を読もうがそれで自分の人生が成功することが保証されたりすることは全くありません。

今流れている自分という現実に、人の出す答えというのが完全性を保証しうることはないからです。

現実の世界と人が話している世界は常にズレています。「〇〇は〇〇である」というように人の答えは常に定的で固定ですが、大して現実の世界は流動的で動き続けています。時代とともに価値観は変わるっていうのはそういうことだと思います。だからアップデートが必要だともいわれることあるんですよね。

でも別に「時代」なんて大きな節目でみなくたって、今流れ続けている時間というマクロな視点や時間でみたって変化はし続けているのが現実の世界です。だから今出した答えですらも、次の瞬間からは少し、また少しとずれていくんですよ。

誰かの出した答えが自分には合わないことだってある

ある誰かがいったことが本当に100%成功するものだと仮定しても、それはその人にとってはの方法、通用するやり方でしかないと思います。

もちろんほかの人にも適用できることもあると思いますが、それは相性がいいことに事柄に限りますよね。現時点の自分で今すぐ手が届く、できる範囲のことなら。今の自分がごく自然にできる範囲、多少の無理をするくらいなら一回くらいはできる、ということはあると思います。

でもそうでない場合は無理なものは無理だと思います。ゲーム機が欲しいと思っていても「じゃぁ買えば?」と助言されたところで、買うお金がなければ買えませんよね。

周りに肥満をからかわれるのが嫌だからどうしたらいいですかと聞いて「やせたら?」「気にしなきゃいいんじゃない?」といわれても、出来ない人にはできないでしょう。

ブラック企業に勤めているととしてそれがつらい、どうしたらいいんだと相談したら「やめればいい」と助言されてもきっと辞めない。

「買う」「やせる」「気にしない」「会社を辞める」、という選択肢は最初から選択肢にない。選べない、選ぶつもりがないから。なぜかといえばその当人の価値観や考え方、習慣といった自身の内面の都合によるものだから。お金がないのは前述の運の問題ですが、肥満は当人の生活習慣的な要因も多くありますし、気にしないことが出来るなら等の昔にやっている。会社を辞めることで周りから嫌われるのではないか、白い目で見られるのではないか、転職活動なんて自分にできるのか、と心配になって動けない。そういった自分の「心の作りの問題。これまでの人生で自分が積み重ねてきた自分という作りが受け付けない方法を他者から提示されても実行に移すことができないからです。助言をした人の心の作りにとっては簡単、もしくはそれで悩むような心を作らなかったから言えるんです。

他人は自分と違う人生を生きています。それぞれの人生の中で作ってきた自分を元に答えを言っているだけにすぎない。その人にとっての普通や常識がこの世のそれというわけではないように、誰かと同じだからといってそれで自分が正しいことが証明されるわけでもないように、その人の助言が万人に通用することであるとは限らない。

話し手にとってはごく自然にできる次の一手でしかないことが、聴く側にとっては多くの問題をクリアしないとできないずっと先の一手であることもあるわけです。

答えは過去の中で見つかる

とはいえ何かをやってうまくいった、という誰かの話が全く役に立たないとか嘘というわけでもないと思います。その人が嘘やでたらめを言っていない前提は当然として、何かしらすることを決めて実行し続けた上でのみ結果は実るわけで、それで彼ら彼女らはその答えを手にしているわけです。

答えなんていうのは過去からしか見つからないんですよ。

これはつまり、何らかの成功を収めている人というのはみな「答えを見つける前に行動をした」ということです。自分で行動した結果見つかる自分の答えです。

答えとはその本人の持ち物であり、かつその本人の過去形なのです。未来のことではないし、誰かのこれからさきの正解のことでももちろんありません。

失敗の積み重ねの中で見つかる

そしてそのような答えとは、実行して発生する失敗の連続の中で見つかるものであると思います。

例えば絵を描くという行為がこれを如実に表していて、絵というのは最初から思い通りに自分の描きたいものがかけるというものではありません。実際には何度も線を引きなおしたり調整したり、構図自体を最初から構築しなおしたりすることもあり、最終的に自分がイメージしている描きたい何かに近づけていく作業になります。誤った線を引くという失敗の連続と調整の果ての中に求めていた線を引くという小さな成功が点在し、そこを起点として次の目標に向かい続けてひたすらペンや筆を動かし続けて繰り返し、最終的に自分の中で満足するまで続けるんです。

それと同じことだと思います。最初は大体であたりをつけてからとにかくやってみるんです。やってみてうまくいかなかったら少し調整してみたり別の方法を試してみたりしながらとにかく前に進む。何かひらめいたりすれば試してみる。さらに深く掘るために学んでみる。その果てにある成功というものがあり、そして振り返った時にこうしたからうまくいったといったんだ、という答えが出る。

失敗という気づきがないことには成功もないわけです。

ほとんどの現実の瞬間はある成功に至るまでの失敗の連続なんですよ。失敗してし続けて、その中でたどり着いたある光る瞬間が成功体験というやつだと思います。ゆえに、求める何かに至るまで失敗しようが関係なく行動し続けるしか最初からないのです。

お金が必要ならどうしたら手に入るかを考えて実行に移す。肥満を解消したいなら食生活や運動の習慣を身に着けるにはどうすればいいかを考えて実行に移す。会社を辞められるようになるにはどうすればいいか考える、自分の心と向き合う、段取りを決めて今自分ができることから一つずつ実行に移す。他人は関係ありません。他人ができるから自分もできなきゃ、なんて考えなくていい。いきなりできないことをやろうとしてもつらいだけですし、続きません。

トライアンドエラーが基本。実行にうつさなければエラーは発生しませんが、次の一手(トライ)もわからず、その先のある成功にも届くことはありません。もし人生で何かしらの成功を収めたいというのなら、それはもうそこにたどり着くまで失敗の積み重ねを続けるほかないのです。それも、必ず成功するかどうかの保証が何もない中で、結局成功せずに終わることも十分に覚悟して、常にベストを尽くしながらトライし続ける以外にない。

行動しなければ求めている正解は得られないというわけです。そういう矛盾なわけですから行動する以外にないわけです。失敗を恐れて何もせずに答えを見つけた気になっているのであれば、それは全く答えではない、ただの妄想にすぎません。

だから前向きに取り組む以外ない!

どれだけ備えても予防線を張っても結果はわからない。どれだけ努力してもそれでも成功するかどうかは確約されない。あらゆる結果はその時になってみなければわからない。

なら本当にできることって何なのか。

それは前を向くかどうか。そしてやるかやらないか。続けるか続けないか。あきらめるかあきらめないか。

これくらいしか自分が本当にできることなんてないんです。自分の外側にあるものを思い通りにすることはほぼ不可能。でも自分の内側、つまり自分の心の在り方、意思決定だけは自分が決めて実行できるんです。

つまり、それが実際に成功するかどうか自体ははっきりいってどうでもいい。何に取り組もうが、必ず成功すると夢みて取り組んで”いい”わけです。

成功しなければならないと義務を背負う必要も結果を出さなきゃ幸せになってはいけないということもない。前を向けないのは失敗することが許されていないという思い込みからで、「失敗を許さない他人」から嫌われることが怖いからなんじゃないでしょうか。

でもその他人も「自分の外」。ほかの結果たちと同じものでどうにもなりません。だからそれは考えても意味がないんです。もしそういう人と相対したのなら、その人に気に入られるように努力する必要もなく、ただ離れて関わらなければいいんですよ。

やはり自分にできることなんて自分が何をどう思うかくらいのもの。最初からできることなんてこれしかないんですよ。

それに、案外そ子を変えるだけで自分が本当に欲しかったものが手に入るのかもしれません。やりがいだとか生きやすさだとか楽しさだとか安心だとか…。そういった感覚の話しです。それはすべて自分の内側のものですから、内側を変えれば手に入るものなんですよ。

前を向けた時点で成功しちゃったりするんですよね。



自己紹介

Name : Elepan

元うつ病患者 (闘病歴10年)

約10年間うつ病でしたが、多くの自分の歪んだ思い込みに気づきそれを捨てることで独学で立ち直りました。その「気づき」の記事を本ブログにて日々更新中です。
一人でも誰かの役に立つ情報になりますように… その他にも遊んだゲームの情報、世の中のことで疑問に思うことなどなどについて考えたことを色々まとめています。

 

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