目次
「描かなきゃ」をやめる
多分を絵を描き続けたいのに描き続けられない場合、そこには義務感で絵を描こうとしている自分がいるのかもしれない。
描かないとうまくなれない。
そう自分を追い込んでいるから、描くことが億劫になっていやになってしまっているのかも。
だったら描かなきゃという意識自体が絵を描くことを邪魔しているかもしれないので、それをやめたら、案外気楽になって絵を描けるかもしれない。
「うまくならなきゃ」をやめる
絵を描くからにはうまい絵を描かなきゃいけない。
もしそんな思い込みがあるためにそれがプレッシャーになって描けなくなっているのだとしたら、それも捨てることで絵を描き続けられるようになるかも。
別に絵なんてうまくなくてもなんでもいいんだ。下手でも上手でもなんでも、自分の自由にかけるのが絵なんだから。
褒められるために絵を描くことをやめる
褒められたいという気持ちが自分の絵を描きたいという純粋な気持ちを打ち消して島ているかもしれない。
褒められたいと思って絵を描くと、褒められるための絵を描こうとするようになる。
それが自分の描きたい絵とイコールにはなってないんじゃないかと思う。
そもそも他人の都合に合わせて絵を描くという行為自体が、既に自分の描きたい絵を描くという目的からずれてしまっている。
それが邪魔をしているなら、それも捨ててしまった方がきっと絵を描き続けることは簡単になる。
絵を使って人の気持ちに干渉しようとすることをあきらめること
褒められたい、ちやほやされたい。いくらそう思いながら絵をかいても現実の他人にそんな自分の欲望は全然届かない。
自分のそんな思いとは裏腹に、他人は他人のしたいようにふるまうだけ。他人が好きだと思う何かを好きになり、嫌いなものを嫌いといい、興味の惹かれないものは無視。
自分がそうであるように。自分だってこの瞬間「褒められたいと思って絵を描いている人の気持ち」なんて少しも察していない。全部自分のことだけしか感じられていないはず。
そんな褒められたいなんて都合は、誰かにとっては別にどうでもいいことでしかないんだ。
それに対していくらこちらの都合で願掛けをしようと、いくらそこに取り入って注意を引こうとしようと何の意味がない。他人の気持ちを支配しようとしてもそれはかなわない。ましてや、ただ絵を上げただけで他人の気持ちをどうこうなんてできやしないんだ。
他人に対する一種の支配欲のようなもの。他人の気持ちを自分のものにしたいみたいな気持ち。そんな気持ちがもしあるとしたらその気持ちを糧に絵を描くのをやめると、自分の中にある「上手い絵を描かかなきゃだめだ」という思いが消えて、絵を描くのが楽になるかもしれない。
自分の絵を描くという行為を楽しむ
他人の気持ちではなく自分の気持ちを感じて絵を描こう。
義務感を捨てたいなら承認欲求を捨てた方がいいかも
それでも義務感を捨てられない、うまい絵をかいて褒められたいという気持ちが消えないのなら、それは多分絵云々の話しよりももっと根幹的な、自分の価値観や考え方といったところの問題に起因する何かが原因なのかもしれない。
私は「承認欲求お化け」だったのだけれど、そのせいで自分の好きなことが全然できなかったということを経験したことがある。絵もそうで、うまい絵を描かかなきゃいけないという義務感と、褒められたいという欲求で完全に支配されていて何も手が動かない、という状況の中で悶々としながら日々を過ごしていた。
承認欲求を捨てることでいろんなことを気兼ねなくやれるようになったのだけど、絵に対しても同じことが起こった。褒められるために描く必要がなくなったので、自分の好きな何かを好きなように自分が満足するまで気楽にかけるようになった。
他人の目を気にしたり、他人の評価をあてにしたり、他人に気を使って何かをしようとしたりすることをしなくてもよくなるだけで全然人生の景色が違う。
だからもしそういうところがあって、それで人生が面白くなかったりつらかったり苦しかったりするとしたら、そんな思い込みたちを解消して捨ててみれば、きっと絵を描くことも楽しくなるんじゃないかと思うのです。
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