“外”を捨てて心を楽に!自分のやりたいことに集中して穏やかに生きよう。




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2021年06月25日~:
現在メンタルヘルス系過去記事を順次全書き直し中です。
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Roni (sinceSpring2013)さんによる写真ACからの写真

何かに集中しようとしても、いつも気が散ってしまう。

ほかの娯楽が気になったり、SNSが気になったり、とにかく何かに集中するには誘惑がたくさんありすぎて、いつもそちらに手が伸びてしまう。

結果全く集中できず、進めたいと思っていたことも進まず、悶々と時間が過ぎていく日々。

そんな日々を送っていると「ちゃんとやらないと」「なんで続かないんだ」と自分を責め始めて、無理やり自分にやらせようとしようとする。

でもそうすると、余計に続けることが嫌になっていって、さらに続かなくなり、最終的にはそれをやめてしまうことすらある。

そんな悪循環に陥ってしまう。

私はそんな悪循環の中でもがいていた口だった。それはもう毎日が楽しくなくて、欲求不満と焦りだけが蓄積していく毎日。

「このままじゃ自分はダメになってしまうかもしれない」「人生詰んだ」なんて思っていた。

でもその焦りも、今はなくなっている。

自分を強制せずとも自然に、苦痛も焦りもなく目の前のことに取り組めるようになった。

その秘訣は、「自分の外に対する関心の正体」を突き止め、それを捨てることでできた。

その関心の在り方。私の場合は、その正体が「気にする」だったからだった。

「気にする」という認知

「気になる」っていうのは、外の何かに注意を払っているという感覚だと思う。

他人の目が気になる。クラスメイトの視線が気になる。会社の評価が気になる。

SNSの反応が気になる。どれだけいいねがついたか気になる。誰かのツイートがきになる。

社会の情勢がきになる。株価が気になる。同世代の人がどれだけ結婚しているかが気になる。

それを気にしていないと落ち着かない。落ち着かないから気に”してしまう”。

その心理は、「自分にとって脅威になるかもしれない存在に注意を払っているもの」に対して向けられているんだ。

つまり不安因子なんだ。それらは全部。

自分にとって怖い何かが起こっている気がする。だからそれが気になってたまらなくて、逐次チェックをしてしまう。

ひょっとしたら嫌われているかもしれない。ひょっとしたら変なリプがついているかもしれない。ひょっとしたらフォローが外されているかもしれない。

SNSのいいねに対してすら、実は不安や怖いという感情が根底にあってそれで「気にしている」んだ。

そしてそれが確認できたとき、あぁなんだ大丈夫そうだ、嫌われてなさそうだな、自分は大丈夫だな、だなんて自分を安心させるために。

不安とその解消の連続。そのために行う行動、認知が「気にする」という認知特性。

そんな不安感から駆られるように気にして、見てしまう。気を散らしてしまっているというわけ。

「気にする」という認知、あり方、考え方そのものを捨てる

この「気にする」って認知。「気にする」っていう関心の持ち方。

「気にする」っていうことをもとに、かかわっているもの、携わっている様々ななものたち。人間関係の在り方やツールの使い方、勉強、仕事の取り組み方など。

そういうものたちを捨ててしまうこと。そして、気にするという関心の持ち方をそのものを捨てること。

そうすれば、もう「気になるもの」なんてなくなる。外に引っ張られるかのような感覚は消えて、自分の純粋な「したいこと」という関心事だけが残る。

多分それは、一種の“リセット”にすらなるのかもしれない。「気にする」ことで気づいてきた関係がもし自分の大部分を占めていたとしたら、それを捨てることはとても大規模な断捨離になることを意味する。

でもそれは、それだけ自分に思い枷をつけて、これまで何かを背負って、生きづらさを感じながら生きてきて来たという証拠でもある。

それを全部捨てることができるということでもある。自分の苦しみ、生きづらさ、息苦しさ、そういうものの根源をすべて捨ててしまえるんだ。

そしてそれさえ捨てれば、あらゆるしがらみから自分を解放することができて、自分に素直になることができる。

その素直な自分でいろんなことに興味をもっていろんなことにチャレンジしたくなる。そうやって目の前に集中することができるようになっていく。

目の前の自分のやることしか残らず、安心してそれに取り組む心が整うんだ。

どうやったら捨てられる?

とは言え、多分恐怖や不安に駆られて「気にする」ということを実行してしまっているので、それをいざ捨てようとしても難しいかもしれない。

恐怖は人に簡単にいろんなことを強いてしまう感情だから、それを手放そうとしてもなかなかできない。気にすることを捨てること自体が、既に恐怖だから。

そしてその恐怖は、承認欲求という、恐怖で成り立っている欲求から来ているものなんだ。


これを捨てないことには「気にする」という認知は捨てることはきっと難しい。何かを強いて何かをしようとする、何かに強いられて何かをしようとするその考え方は、それを強いる他者の存在があって成り立っているもの。他者という存在を、どこか自分にとって絶対のような存在としてみてしまっていて、その人たちの期待を満たすことしか自分はしてはいけないという意識が、自分に何かを強いるという考え方をさせている。

「やらなきゃいけない」「しなきゃいけない」

そんな風に自分に何かを無理やり強いて何かさせようとするというのは、承認欲求由来の考え方、あり方なんだ。

だからその歪みを捨てて、自分に素直な気持ちで事に当たること、自分の自由を自分で許して、健やかに生きる人生を手にすることが肝心。

他人という恐怖を捨てること。孤独に対する恐怖の思い込みを捨てること。

それができて初めて、「気にする」は辞められる。それができて初めて、心を安静にして、健やかに目の前のことにマイペースで取り組むことができる、目の前のことに集中できる自分が手に入るんだ。



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自己紹介

Name : Elepan

元うつ病患者 (闘病歴10年)

約10年間のうつ病の体験と、独学で立ち直ったことや、実施した治療法について書いています。一人でも誰かの役に立つ情報になりますように… その他にも遊んだゲームの情報、世の中のおかしいと思うことなどについて考えたことを色々まとめています。

 

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