私の鬱は完全に「甘え」だった!




注意書き追記 この記事はタイトルにも明記している通り、「私自身のうつ病」に関する記事です。

私自身のうつ病の捉え方と、それに対して立ち向かうことについて書いております。

他の方のうつ病に対する記事ではありません。現在いろんな方からこちらの記事にコメントを頂いておりそれぞれ返信させていただいていますので、もし何かの参考にしていただけるのであればそちらも見て頂ければと思います。

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まず結論から言うと私のうつ病は、脳の病気だとか過労からくるものではなく、自分の認知の歪みが原因のものでした。それは薬でも治ることもなければ症状も軽くなることもなく、自身の認知の歪みの治療によって治ったからです。

その原因は承認欲求。

他人に支配されることを選び、他人におびえて生きることを肯定してきた人生。他人に甘え、許してもらわないと自分を認めることができない、そんな他者に対する怖気からきているものでした。

うつ病になったその自分に至るまでの生い立ちについてはこちらの記事で書いておりますので、もしご興味があればこちらを一読いただければと思います(^^)/。

新卒で入社した会社でのいじめで発症

当時私は会社の中の人間関係の問題でうつ病を発症し、仕事が全くできない状態になっていました。先輩に陰湿ないじめをされ、それが引き金となって常に頭と肩と背中が何かに吊り上げられているかのような神経痛と、頭は重く冷や汗が噴出しづつけるいうような、今まで感じたことのない壮絶な恐怖と激痛の中で仕事をしていたため、それに心が耐えられなくなり、発症しました。

とても働いてられず休職することに決め、ある日休職の申請を総務部長にしている最中でした。自分はうつ病であると事前に宣言していたので、回りに「自分を大事に扱ってもらえる、思いやってくれる」「こんなにつらい思いをしているんだから気を使ってくれるはずだ」と思っていました。

特に総務部長は私が入社当初から優しい方で「最近どうだ?」「仕事は順調?」と声をかけてくれるような気さくな人だったので、そう期待していたんですよね。

ところが休職の面談の中で行われたそのやり取りではその期待を大きく裏切るような冷たいものでした

「いつ復帰できそうですか?」

「休職は2ヶ月まで。それ以上伸びるなら退職してもらうから」

「君は優秀だったと聞いていたけど残念だね。将来有望だと思っていたんだけど」

と、終始淡々としていて、私のそんな苦痛の気持ちをに対するねぎらいの言葉とか「大丈夫?」みたいな温かみのある言葉は一切ありませんでした。

目の間にいたのは、いつものやさしそうな表情をした人ではなく、まるでゴミを見るかのような座った目をした冷たい表情の冷徹な人だったんです。

すごくショックでした。同時にとても恐ろしくひどい裏切りを受けたような強烈な感覚でしたね。

むしろ「2カ月以上休職するなら自主退職してもらうから」と、半ば脅しのようなことばかり言われ、「あの人がまさかこんな風な人だったなんて…」ととにかくひたすらにショックで信じられませんでした。

今思えばその会社は離職率も高くて、社員が体調を崩すと辞めていくことが多かったのですが、そうやって人を使い捨てにしてきたのかなぁと思いました。後から聞いた話では総務部長は自分の退職金にしか興味がなく、がめつい人だったことがわかりました。

また回りの私に対する腫れ物を障るかのような、よそよそしい態度にも耐えられず、その日は会社を早退して家でずっと泣き崩れていました。

その後2ヶ月休職したものの、結局体調も万全に戻らず、復職後はそれから自分なりに必死に働くも結局治らず、やむを得ず退職の意を伝えたときには

「退職後の1年間は同業種での就業は禁止です。」

「ではここにサインと印鑑をお願い。」

「はいこれで終わりです。お疲れ様でした。」

と相変わらず淡々とした調子で進むだけでした、私の事なんかよりも他の総務のメンバーとくだらないおしゃべりすることの方が大事そうでした。

誰も私のことなんか気にしていない。どうでもいい。人ってこんなに冷たいんだなぁと思いましたね。

親にも相談したけど…

休職をしようと思ったときは、親にも休職のことを相談しました。

うつ病になってしまったことも伝えて、ちゃんと話せば自分のつらさを分かってもらえて、同情してくれるだろうと、わかってくれるだろうと。ところが…

「うつ病なんて情けない。ただの仮病でしょう?」

「会社やめたら家を追い出す」

「ニートなんて絶対許さない」

といわれ、私がうつ病で苦しんでいることなんて眼中にもなさそうでした。親でさえも、私のことはどうでもよさそうでした。自分の世間体とかの方が大事そうでしたね。それを私に習わせることしか頭になかったのだと思います。

その日を境に一気に人間不信が爆発し、親とも誰とも一切口を聞かなくなり休職期間中にも関わらず衝動的に部屋探しを始め、約1ヶ月で家を飛び出して一人暮らしを始めていました。

一生一人で生きてやる。誰にも頼らず。」とそういきまきながら。収入ゼロなのにね。今にして思えば相当に無謀なことをしたと思っています。働くことすらできないような精神状態だったのに。バカだったなぁと思います。

でもそれくらいバカにならないと、私はあの家でずっと母からねちねち小言を言われ続けていただろうし、ずっと親に支配され続けて苦しみ続けて生きるしかできなかったと思います。

休職中とはいえ会社には在籍中の状態でしたから部屋はすぐにみつかりました。しかし体はろく動かず、休職期間中はずっと一日中ぐったり寝ている日々が続いてました。復職してからも隊長は全く戻らず度々欠勤し、出勤すれば会社からボロボロの状態になって帰ってきてはぐったりとしていて、ずっとひどい前述の神経痛に悩まされる日々が続いていました。限界がきて結局は会社を退職し、それから1年くらいニートをして、ようやく体が動くようになったころには貯金も大分減っていました。それからはアルバイトをして生計を立てていましたね。

いろいろ自分なりに大変な思いをしましたが、それでも親を頼ったり実家にいるよりは精神的に相当良かったとは思います。あそこにいたら多分再起不能になっていたでしょう。社会復帰なんて夢のまた夢、ずっと親に飼殺されていただけだったと思います。

母親から離れて

今現在の話をしますと、父親も含め親とは連絡を取っていない状態で、関わる理由がないから関わっていないという感じです。恨みなどではなく、単に興味がないから関わっていないというか。

不思議でした。当時は母親に認められたいという一心もあって、母親を見返してやりたいとかこんな風に育てた母親に復讐してやるとか、母親に「あんたの教育が間違ってたから自分はこんなに苦しんでるんだ」っていうことを証明しようとしてました。

無言の家出もその一環です。そうすれば「なぜそんなことをしたのか」と母親が考えなおしてくれるかもしれない。「自分が悪かったって反省してくれると思ったんですよね。

これまでの私に対する様々な態度を謝罪してほしかった。私がこんなにつらい思いをしていることに気づいてほしかった。親なら当然子供の気持ちはわかるはず。そう信じて期待していたわけですね。

でも母親は全くそんなことを気にしてない様子でした。突然電話をよこしたかと思うとあっけらかんとしていて、「たまには連絡してよ」「なんで電話無視するの」と自分のことばかりでこちらの気持ちなんか少しも気遣ってはくれませんでした

ただ母親は母親の都合で私とかかわっていただけ。私のためなんかじゃなかったんです。

以来母親には完全に愛想も尽きただ憎しみばかりが募り以来ずっと着信拒否するようになりました。それでも認めさせたいという強烈な気持ちだけはずっと残っていました。

「母親を分からせたい。母親が悪いってことを証明したい」

結果毎日毒親関連の本を読み込んだり、同じ境遇の方の動画を見て共感しようとしたり、掲示板を除いて他の人達の毒親経験談を読みあさりながら、母親の非を探すことに必死でした。

うつ病を治す中で起きた”変化”と”気づき”

しかし、ある日アドラー心理学に出会ってから自己を分析していく中で、自身のうつ病の原因が自分の強烈な承認欲求から来ているということがわかってきました。

部長や他の会社の人達への自分に対する思いやりの要求も母親への復讐心も反省への期待も全て「自分を認めて欲しい、自分は何も悪くないということを誰かに認めてほしい」という欲求が根本にありました。それが一向に満たされずひたすらに裏切られ続け、それが絶望感となり自身をうつ病に追いやったということに気づきました。

それ以来そんな自身の認知の仕方、くせ、価値観を変える日々を送るようになっていきました。毎日がいろんな気づきの連続でそのたびにメモに書き取りかれこれ5年以上続く日課になっているので多分1000万文字は超えているじゃないかと思います。

それだけたくさんの歪んだ思い込みをしていたんですね。

人は元から他者と心を共有できず孤独であり、それが変わることは一生ない

徹底的に突き詰めた上で出した答えを基底に、自分の心に癒着した他人の存在を切り離しながら少しずつそれを受け入れていきました。(それをこのブログに記事としていろいろと残しております。)

母親に対する気持ちの気づき

気づきと認知修正をしていく中で少しずつ承認欲求が薄れていきました。するとそれと同時になんと母親に対するあらゆる興味がどんどんなくなっていったんです。「母親に彼女自身の否を認めさせたい」という欲求が無くなっていったんですね。

その時気づきました。私だって母親自身の気持ち、母親の心に無関心なんだってことに。母親にされたいことしかなくて、したいことは何一つもっていなかったということに。

母にしたいこと、母としたいことが何もなかったから、承認欲求を捨てていくと関わる理由が何も残らなかったのです。

母親を自分の思い通りにして承認欲求を満たすことにしか関心がなかった自分の理想の親像を求め押し付けたい欲求以外なかった。

それってつまり、今まで母親が自分を母親の思い通りに従わせようとしてきたそれとほとんど同じなんじゃないか、ということに気づきました

さらに私はそれを母親だけではなく他人に対しても求めていたのです。誰かに「好かれたい」「評価されたい」。それを得るための「こうしたら好かれる」「嫌われないはず」と、本来他人が決めることを全部自分で勝手に決めたあげく、実際にそうでなかったときには「裏切られた」「誰にも好かれなくてつらい、悲しい」と絶望したりと勝手に勝手を重ねた、身勝手すぎるルールと要求を無意識に他人にも自分にも強いて、それが果たされないことを勝手に絶望していたのでした。

私は誰かにひたすらに自分の世界観を押し付け、コントロールしようとしていただけの人間だったのです。知らず知らずのうちに嫌いな母親と同じ人間になっていた。毒親の素質を受け継いでいたのですね。

友人なんていなかったこと

今までの人生で自分を好きになった人ばかりを好きになったのも今思えば、他人をコントロールするために自分に強いてきた”犠牲”を、まるでその人がすべて認めてくれたような、それで報われたかのように感じたから、という理由だったように思います。

母親に対するものと同じでその理由でしか他人と関わる理由がありませんでした。他人をただ自分の承認欲求を満たすための道具として使っていただけだったんですよね。だから自分だけで好きだといえる友達はずっといなかった。自分から遊びたいと思った人や何かをしてあげたいと思った人、好きだと心から思っている人なんていなかったんです。みな自分に嘘をついて得た仮初のようなものでした。

どんなに友人と思える人といても心は常に孤立していた。常に取り付く島もない感じで周りに合わせて嘘をついて付き合っていて心から楽しんでいた自分はほとんどいなかったと思います。

そんな自分に気づいてからしばらくして、かつて私に冷たくあしらった総務部長や腫れ物扱いした先輩や同僚に対しても恨みや期待はなくなりました。単に彼らはそれぞれの都合で行動していただけで、私はその人たちに自分の都合を無理やり押し付けようとしていただけ、依存しようとしていただけだったんですよね。

苦労=報われる という勝手な決めつけをしていたということ

当時私は趣味で絵を描いていましたが(幸い今も続いている趣味であります)、自分がとてつもない労力をかけて描き上げた絵であっても期待通りには評価されることはありませんでした。

「こんなにがんばったのになんで評価されないんだ、どうして褒めてくれないんだ」と一々悲しくなったりイライラしたりして絵を描くのが楽しくなくなったりしていましたね。やがては思ったようにうまくなれない自分にもイライラして、絵を描くこと自体がつらくなってしまいました。

でも私がどれだけ努力しようが苦労しようが、他人がそれをどう感じるかは関係ないんですよね。

思えば自分の思い通りに他人が動いてくれなかったりこちらを思ってくれないことなんてなんていくらでもあったんですよ。自分がどれだけ苦労をしても他人は全然知らぬ顔なんてことはたくさんあった。イライラすることなんて何度もあったはずなのにそれを受け入れたくなくて見ないふり、気づかないふりを無意識にしていたんです。

私は他人を一切コントロールできてなかった。そんな能力は最初からなかった。当たり前の話なんですけど当時の私は他人を自分の努力で本気で思い通りにできると思っていたんですね。それを前提に考えて生きていたからこそ、何をするにも他人の評価を自分のやることに結びつけないといけなくてでも満たされないばかりか否定すらされて、自分の無力さに耐えられず生きづらかったわけです。

他人は皆自分と違うということ

他人と自分の課題の分離をしていく中、他人と自分は全然違う考え方や価値観、感覚、感性を持っているんじゃないかという風にも思うようになっていきました。またここを勘違いしていたからこそ、他人を理解することで他人を支配できるという思い込みにつながっていたことも分かりました。

皆生まれた環境や場所、価値観や文化もその全てに至るまで違うので、そこで経験することも全然違います。というのは同じ日本人であっても家族という環境が違う、住んでいる場所が違う、付き合う人が違う、周りの動植物や空気の味、そういうものに至るまですべてが違うわけです。そんな自分と何もかもそれぞれ違う他人達という存在がどうして自分と同じ考え方や価値観をもつことができるというのか。ほとんど不可能な話だという風に気づきました。

人と暮らすことって私にとっては、母親の言う正しさの通りに生きること、つまり母親と同じ人間になることだと思っていたんです。母親が正しくて父親は間違い、家族はみな同じ母親の言う価値観を共有して生きていくべきなんだと。

でもそれは間違っていて、誰かと同じ価値観で生きるのではなく、違う価値観をもつ者同士が共同生活するのが家族だったんですよね。無理に押し付けてでもしないと暮らせないというのならそれは別れた方がいいという話で他人の価値観を踏みにじってまで共同生活を送る必要なんかなかったわけです。

「普通に生きなさい」「これくらいできて当たり前のことでしょ」「常識でしょ」「人前では行儀よくしなさい」「それじゃ恥ずかしいでしょ、ちゃんとしなさい」「お兄ちゃんなんだからしっかりしなさい」[あの人(父)のような男には絶対なるな」

色々なことを母親から教えられましたが、ほとんどが他人軸の発想のものでしたし、すべて母親の世界観や都合の話でしかなかったんです。誰もが考える常識なんかではない。そんなものがあるかどうかなんて証明のしようがないのですから。

「私はあなたのことなんて全部わかっているんだから」なんてよく言っていました。でもそれもみんな母親のただの思い込みだったように思います。私はその母親の言い分を怒られないために無意識に服従して、そう思い込んでその通りに演じていただけで、本当はいいたいことがたくさんあった。でもそれが言える立場でなかったから母親の言う通りにならなきゃいけないと自分を追い込んで、必死にそのふりをしていただけだったと思います。

私は誰のことも知らなかったということ

自分は他人をどれだけ知っているのか。─考えてみれば見るほど、全く知らないことがわかってきました。そしてこんなにわかっていないのなら、おそらくほかの人も他人のことなどすこしも分かっていないのではないか、わかっていないのなら、誰も自分と同じかどうかなんて知らないのだから合わせることすらもできず、人と人は違っている方がむしろ自然だ、という風に思うようもなりました。他人のことを理解できているというのは「この人はこう考えているに違いない」なんていう自分の勝手な思い込みで、私はその思い込みを基底にして暴走していただけでした。

そしてそれに気づいた時思いました。

なんだ、人って案外めちゃくちゃ適当で自分のことしか考えてないんじゃないか、ってことに。

健康的でいつも快活な元気な人ってなんであんなふうにふるまえるんだろうってずっと思ってました。それはその“適当”さがあるからなんじゃないかって。少なくとも私みたいに他人を本気で理解しようとして執着したりはしてないんじゃないかって。誰かの面倒を見たりヒーローか何かになろうともしてない。ただなんとなく適当に思ったことを適当に背負うこともなく事投げに言っているだけなんじゃないかって。

「いいんじゃん、適当で」

そう悟った瞬間、肩の力がすっと抜けていったことを覚えています。

他人に対する執着心。恨み。妬み。そんな他人を責めたい感情、自分の都合を他人に求め執着する感情が、自分を苦しめていたのです。

他人に救われたかっただけだった

こんな面倒で苦しい思い込みをしてきた理由はとても単純なものでした。他人の世話をし他人の犠牲になり、他人の都合を満たすことで自分の人生を導いてもらい、守ってもらうことが目的だった

他人は私にとって救世主であり、神も同然でした。

それゆえいつも他人荷好かれているか不安で、他人が自分に無理難題を吹っかけてくることも怖くて、自分できめられなくて自信がもてなかった。救世主である他人から救われるにふさわしい自分でなければ安心することはできないと思い込んでいたからそれを得るために承認欲求を求めていたんです。

つまり自分で勝手に他人を神のように見立てそれによって作り出した不安によって自らを追い込み、それを救世主の他人によって許されることで解放するという一人マッチポンプだったんです。

都合よく支配されたかっただけなんですよね。そんな他人に対する歪んだ思い込みの「甘え」が、かえって自分を苦しめていたんだ、と気づいたんですね。

しかしまぁ、こうして書きだしてみるとかなり複雑な思い込みをしていたようです。道理で気づきにくいわけです。手放しづらいはずです。恐怖と絡めて他人と自分の境界性を曖昧にしながらがんじがらめに思い込んでいたわけですからね。

私も他人もただの人間、皆自分のためだけに生きてるだけ

「人って自分の都合でしか生きていないんだ」

「でもそれで十分なんだ。私も他人も最初からそれしかやってないんだもの」

ということを他人からも自分自身からも、ほとほとに実感させられました。

他者には他者の都合がある。そして何より、自分には自分の都合がある。

他人は自分を救ってくれる神様じゃない。自分と同じただの人間だった。親だろうが何だろうが先のことも正しいことも知らない。何も知らない。無知な存在である人間であり、それはみな同じです。

だから自分を救いたいなら自分で自分を変え、自分で決めて生きることを選ぶほかないと気づいたんですね。

私が苦しんでいようがいまいが、「かわいそうな自分」「苦労している自分」であろうが、そんなの他人に関係ないし、それをどう思うのもどう接してくるのもすべて他人の自由です。

他人は自分の人生を決めてくれなんかしないし、保証もしてくれないし、都合よく与えてくれもしない。私を都合よく管理もしてくれないし、正解を与えてくれない。他人だってそんなのわからないから。他人はそう私に餌をちらつかせて、私を都合よくつかうことしかやってなかった。

価値観や信条は個人でバラバラで、たとえ特定の誰かの価値観や信条に従って同じになったとしても別の人のそれとすぐにコンフリクトを起こしてしまうだけ。

ある人の価値観はある誰かの価値観とは合わなかったり、その中に絶対的な正しいものがあるわけでもなかった。普通や常識はあるようで実はなく、そこには何の救いもなかった。

考え方、価値観、信条、生き方、あり方といった自分が決めることを全部他人や外の何かに決めてもらおうとしてきたがために振り回され続けて、最終的にはその他人に対する膨れ上がった思い込みに裏切られ絶望した。

甘えを持っていたがゆえに被ってきた損害。自分の人生を他人を使って損なってきた。甘えによって作り出された生きづらさ、不自由さ、窮屈さ、うつ病だったんです。

甘えを捨て、孤独を受け入れ、自由を楽しめるようになった

仕事を辞めたければ、素直に辞めればよかった。苦しいって感じているのなら充分すぎる辞める理由だった。絵を楽しみたいならただ描くことを楽しめばよかっただけ。誰かにどう思われるか、評価されるかどうかなんてどうでもいいんです。

誰かの許可も賛同も基準も何もかもいらなかったんですよ。自分が感じること、考えること、やること。そんな目の前の自分の世界には自分という感覚だけしかいなかったんですよね。

自分の決断を下せるのは自分。自分のやることを考えるも自分。それを楽しむのも味わうのも、自分だけ。

この5年間以必死にもがきました。そうして変わった私の世界は当時の自分の世界観からは見違えるくらいに静かで孤独になりました。

でもとてつもなく自由で生きてて楽しいな、って気持ちよく思えるようになったんです

最初はそんな孤独をどこか空虚でどこか寂しい、こんな人生に意味なんてあるのかとも思いました。でも自分で何かを決めて夢中で取り組んで気が付いたら目の前に何かが出来上がっている。その時のすがすがしさ、達成感、解放感。それを感じてからはそんなものはどうでもいいものになっていまいた。

それは小学生のころ、夢中で一人で校庭に出て延々とボールを壁あてしてた頃の感覚でした。

約20年ぶりの誰のしがらみもない誰の制限もない、自分だけがそこにいて、自分だけで何かをやっている時に感じたあの感覚。別に何か意味があるわけでも将来につながることでもなんでもなかったことなのに、生涯の中で最も充実していたと感じていたあの時の純粋な感覚をもう一度味わうことが出来たんです。

まさにホーリーグラウンドでした。そういえばそんなかんじのタイトルの漫画があったなぁ。とても面白かったです。

それからは仕事も何もかもその感覚でやるようになり、何事においても背負わなくなりました。「仕事ってこんなに気軽にできるものなんだ」「絵を描くってこんなに楽しいものだったんだ」っていうことにも気づきました。何も背負わずに仕事ができるなんて、ただ絵を描いていること自体がこんなに楽しいものだったなんて、今まで感じたこともありませんでした。

自分の世界のとらえ方ひとつでここまで見え方が変わるんだ。と、そう実感した瞬間でした。



自己紹介

Name : Elepan

元うつ病患者 (闘病歴10年)

約10年間うつ病でしたが、多くの自分の歪んだ思い込みに気づきそれを捨てることで独学で立ち直りました。その「気づき」の記事を本ブログにて日々更新中です。
一人でも誰かの役に立つ情報になりますように… その他にも遊んだゲームの情報、世の中のことで疑問に思うことなどなどについて考えたことを色々まとめています。

 

78件のコメント

「他人は私にとって救世主であり、神も同然でした。」
この言葉を見た瞬間、とても大きな安堵感を覚えました。

私も同じような考えを持っていた時期があり、またそれに気付いてからも同じ考え方をしていた方を見たことがなかったため、どこか「自分はやはり変なんだ」という不安感を抱えて生きてきました。ですので、勝手ながら
Elepanさんも同じような考えを抱いていたことがとても嬉しかったです。
自分語りを長々と失礼しました。

また、今日Elepanさんのブログを初めて拝見したのですが、Elepanさんの自分の考えを言語化する能力の高さに感服いたしました。これからの活動も応援しております。

お気持ちお察しします…。他人全員がなんだか恐れ多いというか、自分よりも上、みたいな感じというか…常に見下ろされてるみたいでズーンというかいやーな感覚ですよね。
親戚とか集まっても常に自分が下で、いろんな神様に怒られてめちゃくちゃ肩身が狭い、みたいな感覚でしたね。(実際に怒られたわけではないんですけど、そんな感覚でした
ありがとうございます。これからもちょくちょく更新していこうと思います^-^

たまたま辿り着きましたが、まさに自分もそうなのではないかと思えるような記事で、他の記事も読みたくなりました。
ゆっくり拝読させていただきます。

主様は御自身で分析や行動をし、改善されたようで素晴らしいです。頭が下がります。
私も頑張りたいと思います。
ためになる記事を投稿していただきありがとうございます。

適応障害で逃げるように会社を辞めて、「どうして自分はこんな人間なのか」と調べている中で、こちらの記事に行き着きました。『「承認欲求お化け」だった私の半生を独白します』という記事も併せて拝見しましたが、とても納得できた気がします。

「自分は社会不適合者ではないか?」「自分に合う仕事ってなんだ?」と思っては検索して、それでも答えが見つからずに医者や家族へ尋ねる始末で、自分で考えていくことができていなかったのだと思います。

他人だって自分や家族のことで精いっぱいなんだから、ただの他人である自分を救ってくれると期待するのは、おかしな話だったと思います。これからは、自分で自分を救えるようにいきたいと思います。

ありがとうございました。

記事を読ませていただき、とても共感できました。
必死に悩んでいるのに、自分で自分の「甘え」を認めることはとても辛かったことだと思います。わたしも今日、気づかされました。
記事を発信した勇気に感謝します。
ありがとうございました。

苦境に陥ると二重三重の袋小路に勝手に入り込んで四苦八苦した挙げ句に迷妄を極める道を行ってしまうことも多いものだけど
気付いた、目が覚めたというか、正にある一定の真実を悟った訳だ。
認識の方に現実を合わせようとすると、求める結果に対し賄いきれないだけのコストが掛かる場合どこかのタイミングで必ず破綻を来すというのはまさに道理というもの。
正しいのは常に現実の方であり、それを見て認識の方を修正していくより他ないということ。
あなたがあなた自身のために生きているのと同じように、他者もその人自身のために生きているということ。
同じ人間同士といえど一人ひとりは別々の肉体や経験をもっており、隔たれた存在であるということ
あなたが考えていることはあなた以外の人間には知り得ないことであり、それを知らしめるためには言葉や行動をもってして伝えるより他ないということ。

古代ギリシャの哲学や仏教キリスト教もアドラー心理学と変わらぬことを伝えてくれるが、そこに触れるきっかけさえ薄れた現代ではかつてのあなたのような「迷える子羊」も救いの目を見ることなし。
物事の捉え方考え方、倫理観や判断の基準となるものを知る契機を得ることすら高すぎる壁の向こう側にあるというのだろうか。

はじめまして。普段このようにコメントを書くことはないんですが、Elepan様の記事が私にとってとても衝撃的だったので感謝の気持ちを込めて送らせていただきます。
ずっと抱えていた上手く言葉にできない私の暗くて重たいものを、的確に言葉に表して下さってます。私の自己紹介をされているようでした。
この記事を書いてくれて、私に気づきの機会を与えてくださってありがとうございます。
繰り返しこの記事を読んでいこうとおもいます。

読むほど考えさせられる記事でした。また時間があるときに読みたいと思います。これからの参考にさせていだきます、ありがとうございました。

はじめまして。
最初に謝罪を。私は鬱ではありません。
ですが、昔から他人の目線を気にして自分の他人に対する期待や認められたい、気にかけてもらいたいという気持ちを強く感じクセのように毎日考えてそれを許に行動していました。
最近になってソレをどうにかしたくて自分に言い聞かせながら生きていましたがうまくいかず、自分を甘やかしている現状だけが理解できていたので馬鹿な自分に嫌気がさしていました。
今日この記事をたまたま拝見してとても気持ちが軽くなりました。
私が自分の気持ちに対して言いたかった事はこれなんだと凄く腑に落ちました。
他人は無条件に自分の事など気にかけてはくれないのだ。自分もそれで良いんだと思うことが出来ました。
ありがとうございます。
またこの記事を見に来ようと思います。

他人を自分から少しずつでも切り離していくと楽になっていくと思います。

他人に好かれてなくてもいい。気にかけてもなくても、何も関係させなくていいんです。

ありがとうございます。どうぞ、好きな時好きなだけご自由にお読みください(^-^)/

はじめまして。
自分軸他人軸について書かれた書籍・記事、様々読んできましたが、私にとってはこの記事がすーっと心に入ってくる内容でした。どうしても人からの評価、ねぎらいを求めてしまい、それではずっと苦しいままだと知っても、中々、受け止められずにいました。

赤裸々に、丁寧に、ご自身の変化が綴られたこの記事を読んで、うまく言えませんが心が軽くなりました。

ありがとうございます。

読んでいて、考えが似通っている部分が多数ありました。
以下は、この記事を読む前に既に私が考えていたことですが、
相手が望んでいる理想どおりの人物になる=承認される=評価される。
私は、うつ病になるまで、この考えのもと、プライベートでも会社でも生活してきました。
他者からの評価、つまり承認欲求を優先して行動することは、自分の生き方・考え方を相手に依存することで、そのギャップに苦しみ、精神的に追い詰められるのではないでしょうか。

解決策として、承認されることではなく、自らの考えに基づいて行動することなのは勿論ですが、一歩間違えると自分勝手な振る舞いに繋がると思います。
自らの考えが、論理的であるか、具体的に仕事面で言えば、その仕事の目的を果たすために必要であると説明がつくものであるか、そこを意識すれば、主体的に行動できる勇気にもなるのではないでしょうか。

そうですね。私個人としては、「自分が心から”したい”と思っているかどうか」だと思っています。”しなきゃいけない”ではなく。

もし自分がしたくないのに、「勝手はよくないから」と自分を押さえつけていると、結局ストレスになってしまうと感じています。

そもそも、「勝手」という尺度すら、自分自身の個人的な主観でしかないものなので、(“真に勝手なこと”はこの世には存在しない)結局のところは「自分の世界の捉え方」で、勝手だと思っても思わなくても、現実の世界はそれに対してほとんど変わらないことが多い印象です。

おっしゃるとおり、主観的な自分の意志のもと、つまり、「やらされている」とか、「させられている」という義務の意識を捨てて素直に生きると、とても楽に生きられますね。私自身、日々それを体感しています。

興味深く拝読させていただきました。
「ウツは甘えである」とは、
解放されたからこそ感じられることですよね。
解放されてみると、
何をあんなに苦しがってたのか、
なぜあんなに甘えてたのか、
自分で不思議になったりするもので。

ただ、真っ最中のときは、そんなふうには思えない。
だからこそウツ状態なわけで。

だから、「甘えである」とは、
自分にしか言えないことであり、
他人には決して言えないし、
言われたくもないことです。
そこが難しいんですよね。
自分で気づく以外にない、と。

トラウマは勘違いである、
というアドラーの主張も
真っ最中のときには、しんどい考え方です。

そのような意味で、
「私のウツは~」と自分で感じられたことは
自分にとって幸せなことであり
正か誤かの話ではないのだと感じました。

アドラーも、
「主観でいいのだ」といわれてますしね。

ただ、ウツのときは休んだほうがいいというのは
ある程度、事実でもあり、
それは甘えではなく、
自分を取り戻すための時間なのだろうと思います。
本人も周囲も、
休むことに関しては寛容になったほうが
いい社会になりそうな気がします。

ウツは甘えであるというよりも、
承認欲求が甘えであるというほうが
より事実に近い感じになるでしょうか。

まぁ、ときには甘えん坊になることも
愛嬌として考えたらいいような気がしますね。
甘えたっていいじゃーんって思うことで
ウツから解放されることもあるもので。

結局は、自分にとっての落としどころを見つけるのが
一番よいのだと思います。

私個人としては、
自分のなかのウツを愛でる気持ちでいようと思ってます。

そんなことを考えさせられた記事でした。

おお!
まさしく私が悩んでるのと同じ!!
なんか、私も鬱になって、恥ずかしいけどどっかで優しくしてくれると期待してる自分がいました。
まじで情けないなーと思いつつも直せなくて、、
絶対に絶対に他人に求めないように生きた方が楽だから
私も変わりたい、、

お前は俺か…!?って記事を読んでて思いました。まあ全部じゃないんですけどね。
誰かに依存してるというか、常に許しを乞い、「誰か自分を認めてほしい」と時に辛くなる。でもこんなんだといざという時の選択を他人に預けて、その選択が間違っていたと感じた時にその選択を委ねた相手に責任転嫁してしまいそうで。これって承認欲求が根源だったんですね。
今まで私はいじめられっ子だったこともあって、他人を退け孤独に慣れていたと思っていたのですが、結局は他人を退けるだけで、母親に依存して母親にヘイトを溜めていただけだったのだと。気づくことができてよかったです。
できれば今でなく2年前にこの記事に出会いたかった。

なるほどとおもいました。私は過去のエレファンさんと同じような心境にあります。今が苦しいです、でも苦しいのは他人の目をきにしているから…刺さりました。自分を強く持ちたい、甘えを断ち切りたい、他人がどうでも良くなりたい。
孤独で、強く自由な、逞しい生き方、素晴らしいです、はやく私もそうなりたい。はやく親から自立したい、親から好かれたいという気持ちを無くしたい、自由になりたい、私のいままでは遠回りしてばっかりです。金銭的にはまだ親からは離れられないけど、もう苦しい。無言家出なんて、考えたこともなかった、そんなことしたら…どうなるのか怖いけど…いいなとおもいました。
現実的にこれからどう生きて行こうか考えます。
この記事を書いてくださって、ありがとうございました。

こんにちは。宜しくお願いします。「うつイコール甘え」ではないのですが、「うつ」と「甘え」が重なっている部分、複合症状とでも言ったら良いのか、いわゆる「勝手うつ」の症状の方は多いと思います。

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