なぜなら、それは自分で決めていることだからです。
「自分がこうしたいと思って」決断したことですよね。じゃぁそれは甘えではないのですよ
それを甘えだといってくる人が実は甘えていたりします。(その理由は詳しくはこちらの記事で)
だからそんな人たちのことなど無視してしまえばいいのです。
「君のことを思って言っているんだ」、なんていう人もいますがあれも嘘みたいなものです。実際には自分に言い聞かせるように言っているだけで、党のあなたの心なんて少しも見てはいないのですよ。人は他人を理解できるようにはできていませんからね。
むしろこれは「いい機会」ですらあります。自分を支配しようとする、おしつけようとする人間関係を整理するいい機会だと思います。
「この人はこうやって人にマウントをとって自分が気持ちよくなりたい人だったんだ」、というその人の内なる精神性を発見できたわけですから。
もう付き合う必要がない人間であるということがその時点で判明したんだから、むしろ得だといえるでしょう。もう無理してその人と付き合わなくていいんです。
目次
甘えって?
では甘えとはいったい何なのかというと、それは「自分で決めず、他人に決めてもらうおうとすること」だと思います
受け身的であるとか他人軸的であるとか、自分で決めずに、他人に決めてもらおうとしたり、他人に自分の都合をおしつけて当然だとふんぞり返ってみたり。
他人の都合に自分を癒着しようとする思考のことです。
例えば私みたいに休職するということについて他人からそんな自分をいたわってくれることを期待して、それが得られなかったときにがっかしてみせるとか、とかそういった他人の気持ち、他人の課題をどうにかしたい、支配したいといった感じのものです。
それが甘えなのであって、自分の休職したいという気持ちは甘えなんかじゃないのですよ
自分がそう思ってる。自分がそうしたいって思ってる。
他人じゃなく、ほかでもない自分がそう思ってるんだったら、それは自分で自分のことを決めているわけなので、甘えではないんです。
むしろ自分で決めているのですから、とても勇気があることですらあります。
だから心置きなく休職したらいいんです
自分が休職したい、あるいは辞めたいと思っているならそれが”すべて“なんです。
自分の人生は、自分の都合がすべてです。それでいいんですよ。他人の都合を巻き込んで考えなくてもいいんです。他人の都合を満たすために我慢しなくてもいいんです。
他人の都合はそんな自身の”すべて”に対して不可侵です。そんな力はないし関係もないんですから。
「ここで休職なんかしたら後悔するぞ」「そんなのは甘ったれがすることだ」「周りに迷惑だろ」
そんな風にどうにか自分の都合のいいようにこちらを使いたがっている支配者気取りの甘えん坊のいうことなんて聞かなくていいのですよ。
さも知った風に言っているだけです。その人の都合でただそう言いたくて言っているだけ。休職されると自分が困るからとか、単に気に入らないとかそんな個人的理由でしかないのです。
こちらの都合なんて一切無視、無責任で言っているのですから。
そんな”他人からのいい加減なお墨付き”なんていらない。そんな他人の都合なんていらないのです。
他人に許されずに、保証されずに、休んで、安心していいのです
だから休んじゃおう。自分が休みたいって感じているんだから。自分が「そうしたい」ことなんですからね。
自分の「したい」だけを考えて、したいことだけを感じて、それに素直になりましょう。楽になっていいのです。
他人に期待に添わない、休みたい自分を許しましょう。
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