やる気が出ない、人生がつまらないのは「今自分が決めてただやる」をやってないから





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仕事がつまらない?勉強がつまらない?

結婚生活がマンネリ?夫がうっとおしい?家族が重い?

ゲームももうあきた?

何か新しいことを始めても面白くない?

つらいですよね。何をやっても面白くない。そう感じたら、これから先どう生きていったらいいのか、このままでいいのか、なんて不安になってきます。最近はコロナで外出もできず、自身の行動に制限をかける生活が続いていますから、欲求不満もたまっていきます。

でもだったら単純に別の趣味を始めてみるだけでいいだけですよね。家でできる趣味、外に出なくてもできる趣味なんて言うのは別にいくらでもあります。

何か特定のものにこだわらずとも、今身の回りにあるものを使って何かやってみればいいだけなんじゃないかと思います。絵描くとか、ゲームで遊ぶとか、読書するとか、エクササイズだって道具を購入したらすぐできる。新しく何か勉強を始めてみてもいいと思います。本や参考書を買えばすぐに始められますよね。ほかにもちょっとネットで検索してみればいろいろ出てきます。

他にやることなんて探せばいくらでも出てきますよね。

でもどういうわけかその重い腰が上がらないんですよね。今まで自分がしてきたことと全く別のことをするのはなんだか気が重いし、気が乗らないんじゃないかと思います。

ここに無力感までがついてくると、何もやる気がわいてこなくなって本当に手詰まりな気がしてきますね。

でもその感覚、私自身非常に身に覚えがあるんです。

その感覚は、もう何をやっても面白くない、何をやっても無駄、何をやってもダメ。すべてが無駄に感じられて、むなしく感じられて、もう何もする気が起きない…とそんな自己否定感がつきまとうようなものではないでしょうか?

どうせ失敗するし、どうせ自分には向いていないし、どうせうまくできないし、どうせ何にもならないし、どうせすべて無駄に終わるし、どうせ将来役に立たないだろうし。

こんなことに時間を使って何の意味がある?と、そんな風に無意識に思い込んで何事にも興味を向けることができなくなっている、というような感じではないでしょうか?

だとしたら、そう思い込んでいること自体が原因かもしれません。

何かをするのに”正当性”が必要だと思い込んではいませんか?

例えば絵を描くということを誰かに勧めてみると「いや私絵描く才能ないし」と返ってくることがあります。こういう感じの自分はそれをやるには適していないとかふさわしくないとかいった、何らかの正当性や将来性がないとやってはいけない、というようなものです

これはつまり、絵がうまい人しか絵をかいてはいけない、才能がある人でなければ描いても意味がない、絵がうまい人でないと絵を描く意味がないと思い込んでいることになります。

これはつまり、「うまい絵を描く人」や「才能のある人」といった、外の何かや誰かと自分を比べ自分はそれらよりも下だからやらないというルールを自分が勝手に作っているんです。

つまり競争としてとらえ、競争で負ければ意味がないと思い込んでいるのです。何かよりも上であるという何かを自分がもっていなければ何も物事を楽しむことはできるはずがない。何らかの承認や権威のような、人が認めてくれる「誰かよりも特別な何か」でなければやる意味がない、何も得られないというような思い込みです。

このような他人を使った権威主義的な自己否定感が、何かを始めようとする自分を否定して何もできないようにしてしまっているわけですね。

しかしこれらのルールたちは、すべてただの思い込みにすぎません。自分が何かを新しく始める上で、全く必要のない、いらない考え方です。それはある単純な事実たちによって簡単にそれを証明できます。

それは幼い子供たちです。

幼い子供たちが初めて絵を描こうとしたら、それは決して「上手」な絵にはならないでしょう。上手な絵、丁寧な絵、リアルな絵というのは、それだけある対象をよく観察し理解しながら写し取る必要があるため練習が必要になります。にもかかわらず彼ら彼女たちは、そんなこと気にせずにただ楽しそうに絵を描いていますよね。



それは彼ら彼女たちが、「上手な絵」という結果に執着しようという意識がなく、ただ目の前の何かを使って、絵を描くという行為を実施し、夢中になることができているから。

ようは、単にその時に自分ができることを彼ら彼女なりに考えて実行しているだけなのですよ。そこには、何の結果に対する執着も、やる意味というものに対する執着心もなく、「ただ目の前のことをやる」という自身の意思決定のみです。

誰かよりも私は上手に描けないからといった、外の何かをやらない言い訳にしません。

他人を自分の行動動機にせず、ただ自分で今決めて、決めたことをただやる。それだけのことをやっているだけなんです。

そして実際にそう決めて絵を描いてみる、着手してみると、そこに初めて何らかの面白さや感動、驚きといった発見が生まれていきます。クレヨンで線を引くことでそこに塗られていく色、自分が描くことで塗られていく色、そういうものに興味をもち、追いかけていることが面白くなっていきます。

そのような経験という刺激がさらに次を追いかけたくなって、いろいろと次に新しい書き方や道具を試してをやってみるようになったりします。

こんな単純な話なんです。何かをやるというのは、単純に何かをやるだけ。やってみて経験してその結果興味の幅が広がってやることが増えてまたそれを繰り返す。

そこには「向き不向きなどという正当性」も何も必要ありません。

しかしこれが成長して大人になると、社会や周りが結果を要求するようになってきて、それに「こたえなきゃいけないという義務」を背負ってしまうことになり、やがて無意識のうちに自分軸が失われて他人軸となり、他人に強いられた結果重視思考になっていくことでできなくなっていくケースがあるのです。

そして今の自分がもし何かを新しく始められない精神状態にあるのだとしたら、そのケースに陥っている状態なんじゃないかと思うのです。

それが「こんなことしても無駄だ(だって人生の何の役にも立たないから)」とか「こんなことして何の意味がある」というそれをやらないための言い訳、正当化をするという行為に結びついている可能性があるんですね。

またこのようにして、自己否定感という感覚も無意識のうちに培われて行きます。「外的な動機を理由にして意思決定するという癖」がついていくことで、それが習慣化していき、やがて外的な動機がないと何もできない、自分で決めて何かをすることが出来ない自分が作られていくわけですね。

外を使って自分のやることを否定しても人生は面白くならない

面白さとは、最初から持っているものでも知っているものでもありません。自ら決定して何かをして発見するものでしかありません。

外に最初から転がっているものではないのです。ゲームや漫画が面白いのは、最初からそれが面白いものであるというわけではなく、自分が最初になんらかの理由で興味をもって手に取り、実際に読んでみて、やってみて面白さを発見したから面白いものであると自分が知っているだけなのです。

もし仮にゲームや漫画そのものに面白さというものがやどっているというのなら、それはすべての人間がそれらを一様に面白いと思っていなければおかしいです。でも現実は漫画やゲームに興味持っていない人もいますよね。

要はそれを一度以上は経験したからこそそれが面白いものであると自分が思っているのであって、経験する前はそれが面白いかどうか、どう面白いのかを全く知りもしていないのです。

何事もやってみないことにはわからないのです。

結果を気にしていると何も面白くなくなる

何かをずっと気にして執着し続けていて感じるのは、焦燥感と支配欲、不安感、否定感くらいしかありません。そこに面白さなんてものはない。発見もない。ただの苦痛だけです。

いくら期待して結果に執着をしても、それで自分の思い通りにはならない。現実の世界と自分の思惑という妄想は、大抵いつも食い違っています。

気にしたところで何にもならない以上、自分の人生を楽しむという目的の上においては史上最低のスポイルだといってもいいくらい、邪魔な考え方でしかないのです

そもそも結果に対する執着というのは、実は現実に対しては非常に無力な考え方であり、何かに執着したところで現実を思い通りに支配することはできず、人生を必ず豊かにできるような力は全くありません。

不安と恐怖でいっぱいになるだけでしょう。

ただ素直に目の前ことをやってみよう

結局どれだけ気にしようがしまいが、自分を正当化しようが、それで現実の何かが変わることはありません。変わるのは自分の気持ちや欲求、精神状態くらいのものです。

であれば自分に素直になって気持ちで何かをしてみた方がずっと気持ちがいいのではないでしょうか?新しい発見もありますし、その方がずっと人生が豊かになる気がしませんか?

そう思うのでしたら、今ある何かを使って、ただやってみる。何も背負わず、何も気負わずに何かをする。それを習慣化するのです。

その中できっと自然に気力とやる気は沸いてくるんじゃないかと思います。人生をつまらないなどといっている場合もなくなります。

何かと比較する必要も、正しくある必要も、何かの基準に達していなくても全然かまわないのです。

無理も頑張る必要もなく、気楽にやっていい

頑張る必要もありません。何かに取り組むなら頑張って取り組まなきゃいけないなんて言うのも、親や社会からそう言われてきたから無意識に続けてきた、自分に無理をして何かをすることを前提としている無意識の思い込みにすぎません。

ちゃんとやる必要もない。成果を出す必要もない。無理もしなくていい。

ただやっていい。ただ何も頑張らずに、何も成果を出すことも考えず、必要もなく、何かをやっていい。

そのようにして外から与えられた課題たちを捨てるだけで、今まで面白くなかったものが面白くなってくることすらあるかもしれません。

結局人が何かをするのに必要な原動力なんて、自分の意思決定とその中でうまれる好奇心や探求心くらいのものです。それは結果でも成果でもなんでもない、ただの自分の気持ちです。

そういうものだけでいいのです。つまり、既に今の自分が、ただやればいいだけのことなんですよ。



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自己紹介

Name : Elepan

元うつ病患者 (闘病歴10年)

約10年間うつ病でしたが、多くの自分の歪んだ思い込みに気づきそれを捨てることで独学で立ち直りました。その「気づき」の記事を本ブログにて日々更新中です。
一人でも誰かの役に立つ情報になりますように… その他にも遊んだゲームの情報、世の中のことで疑問に思うことなどなどについて考えたことを色々まとめています。

 

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